「東京マラソン」をやったわずか1ヶ月後に「命に関わる事態、外出は控えて」と盛んに言うこの気持ち悪さ。 事態悪化の政治的、道義的責任をこの国は誰も取らないつもり?すべて予想外、想定外事態と言うつもりか? まず、そこからやり直さない限り、この事態は収束しないと私は思います。
なんか見てはいけないものを見てしまった気がする。 「政治系インフルエンサー」って何ですか。政権を支えるものの闇は本当に深いのではないか。真剣に議論し、向き合う時期に来ている。もはやタブーにしてはいけない段階だ。感染症を前に、重大な危機にあるのは間違いない。言論操作は許されない。 twitter.com/shin_kurose/st…
「37.5℃以上」も「4日間」も削除するのか。 では、なぜ最初はその目安を示したのか。説明してもらわなければ困る。 それに従い、受診を控え、重症化し亡くなった方がいるのではないか。 都合の悪くなったことは、なかったことにしようとも、そうはさせない。 許すまじ。失策が人を死なせている。
「与党対野党」として捉えるのは違うと私は思っています。 「与野党を問わず」、国会が、時の内閣に対して、「国会として」ブレーキをかけられるかどうか。 「安倍さんに野党が反対している」のではない。 国会が、役割を果たすかどうかのときだと思います。 #検察庁法改正の強行採決に反対します
「責任がある」ということは、あなたが言わずとも、みんな知っている。 問題は、「責任を取る」ことを、あなたが知らないということなのだ。 twitter.com/yahoonewstopic…
「責任はあるけど、責任を取ることはしない」 検察人事に介入、元号は自分が気に入ったものを採用、最高裁は全部自分が任命した者、税金私物化し花見、記録は廃棄、野党議員に野次を飛ばす、台風来てもラグビーと内閣改造優先で棄民、感染症蔓延しても検査も受けれず。 もう国が潰れますよ。本当に。
どうやって「6月19日」は、導き出されたんだろう。 twitter.com/tbs_news/statu…
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は 誰一人残っていなかった
最近、あの証人喚問の動画をずっと見直しているが、2017年で、安倍政権なんかとっくに終わるべき政権、終わらせられる政権だったとつくづく思う。
散々これまで「東京アラート」だの「ウイズコロナ」だの「ステップ2」だの、よく分からない横文字を駆使してきたにもかかわらず、ここに来て、 「夜の街」 といういかにもムード歌謡みたいな古い表現を使うアンバランスさ。「夜」をどこか誇張した妙な語感で表現するのはあまり良くないと私は思う。
私は母親が高齢で産んだ子のため老母だ。で、女性パートナーもまだいない。はっきり言うが、これだけで「親が使えないのは不利だな」と発言されたこともあるし、「まず嫁さんをー」とあちこちで言われる。それに愛想を笑いをしてこたえる自分もめっちゃ嫌。 けど、それが今の日本の政治と選挙の現実。
安倍政権期を学齢期で育った世代が社会に出るときを考えると恐ろしい。 選挙は買収するもの、国会は野党が質問する時間をただ経過するのを待ち、不都合な記録は廃棄しそもそも記録しないことにすること、ダメな奴は切り捨てて自分だけでも逃げること。 未来のためにも、 まともな政治を取り戻そう。
なんか、この国に恨みでもあるのか。 twitter.com/asahicom/statu…
何が「野党が政権に就くとき」だ。何が「多様性」だ、何が「お互いさまに支え合う社会だ」。笑わせるな。 そんな言葉のすぐ後ろにある、エリート意識剥き出しの感覚。 それを、多数の人が察知していないと思ったら、大間違いだ。
「わずか1人」を救うことがどれだけ大変か。心の底から、私はこのツイートを軽蔑します。 twitter.com/fuku_tetsu/sta…
日本学術会議について、任命されなかったメンバーを「政権取ったら任命する」ということを選挙前に言ってしまうと、それもまた「日本学術会議」に政治性を持ち込んでしまう話じゃないのかなぁと最近思っている。
とにかく、このツイートがどうしようもなくさせてるんだよな。結局。
勝ち目のない候補者は見捨てる判断をしてわざわざ表に出す政党があるらしいですから、これは、麻生副総裁の言うとおりじゃないでしょうか。 twitter.com/CDP2017/status…
脊髄反射的に国会議員がスポーツ紙の記事に反応すること自体が浅はかと私は思う。繰り返すが、テロリズムを契機に議論がなされている今の状況こそに気持ち悪さを私は感じる。内閣総理大臣経験者が選挙期間中に銃殺されるということの社会・政治的意味や深刻さを冷静に議論することこそ肝要と私は思う。 twitter.com/renho_sha/stat…
特定の宗教団体と政治の結びつき、あるいは、特定の宗教団体の「被害」を論じるならば、それはそれとして、何故今日まで大きく取り上げてこなかったのか。落選した参議院議員がしきりにワイドショーに出演しているが、落選してからでなく現職の間に繰り返し問題提起を国会にてしていたのかと私は問う。
安倍氏が殺害されるような事態に至ってなお、「お前は特定の宗教団体と関係があった。不適切だ!」を「狩り」のように繰り返す、底の浅いポジショントークは、いい加減に慎むべきと思う。であれば、御党には、誰一人としていないんだな?という話になるが、それが果たして本質的にすべき議論なのか。
秋葉原通り魔殺人事件のときも、派遣労働のあり方などを議論する風潮があったが、私は間違いであると思っていた。それはそれ、これはこれ。あくまでも主義主張は、言論や政治活動、表現の自由、司法、行政手続等の過程によってのみなされるべきで、暴力やテロを契機に、主義主張に耳を傾けるのは違う。
有名政治家を殺害したりすることや大事件を起こすことによって、社会問題を周知したり、報復されることもやむを得ないというような空気は、極めて危険だし、現在進行形で多くの政治家や言論人と言われる者が加担していることには、私は強い懸念と憂慮を覚えます。慎重な議論をするべきと思います。
容疑者は、ひとりの人を殺害する以上の目的を達しつつあります。断じてそのようなことを容認してはなりません。 いかなる理由があれでも、暴力やテロリズムは許されません。繰り返し繰り返し、声を挙げるべきことと私は考えます。
内閣総理大臣経験者が、白昼に、選挙期間の演説中に銃が規制されているはずの我が国で公衆の面前で狙撃され殺害されたということの政治的・社会的意味、憲法的価値に与える影響。それを論じるのが何より最も重要で、特定の宗教団体の問題に着目し議論することに加担することは極めて慎重たるべきです。