鎌田桂輔☀️Keisuke Kamada(@keisukekamada01)さんの人気ツイート(新しい順)

息苦しいです。だからこそ、昨年来、信教や信仰などには最新の注意を払って議論を展開すべきでしたし、泉代表には野党第一党代表として当然に国葬にも参列して頂きたかったし半ば参列する義務があったように一有権者として思います。他人に向けた矛先は次は自分に向く。そのような社会を見る思いです。 twitter.com/izmkenta/statu…
→ 安倍元首相が亡くなられたことは、もちろん痛ましいことで私も最大限に追悼・哀悼の意をかねがね表してきた。その上で言及すれば、あのような銃が駅前で発砲されること自体、無関係な市民や通行人に犠牲者が複数出ていても何ら不思議でなかったはずだ。何故銃規制ある我が国であのような →
→ 奈良県警本部長、警察庁長官、国家公安委員会委員長、場合によっては総務大臣等も即刻に罷免・更迭するぐらいのことだったはず。首相自身も直ちに引責してもおかしくはないほどの事案であるということは、率直に認めるべき。本来なら、その角度から、国会は内閣を追及すべきなのではなかろうか。→
→ 当時の奈良県警本部長などは、ほんらい参考人招致等されて然るべき。「壺を国会に持ち込むかどうか」「あなたは信者ですか」云々などしていること自体が、まず、政権与党も野党第一党も、共犯的に何かものすごく外れたことをしていると私は考えている。
こうした質問を国権の最高機関の場で容認するであるならば、公職者に対しては、「あなたは何を信心していますか?」と内心を問うて許されることになる。そして、その次には市民に問うことが許されることになるのではないか。それがいかに恐ろしい危険を包含しているかをよくよく落ち着いて考えるべき。 twitter.com/sankei_news/st…
見苦しいと感じます。あれだけ連日メディアを用いて紀藤先生自身もご主張されたんですから、対抗の訴訟をされるのは法治国家で当然のこと。堂々と司法の場で受けて立つことが、むしろ毅然たる姿勢です。 twitter.com/masaki_kito/st…
よく生身の人間にこんな文章を書けるよなぁ。
元・電通マンにより岡山が巻き込まれ被害に遭っている件について
→ 表明する必要はまったくないと私は思います。政治問題化している現状それ自体が、再三再四の繰り返しになりますが、犯人の意図そのものに著しく合致していることは、私は社会的に不適当な態度と考える次第です。
→ 私は容認され得ると考えています。いま一度、国権の最高機関たる国会に席を置かれる方には、党派や政治的評価を抜きにして、一定の喪に服する態度を示して頂きたいと一国民として私は考える次第です。そして、その上でも、反対というならば、それも自由と思います。ただ、それを殊更に世間に →
→ 殺害された理由の説明を求めるというのは、私には腑に落ちません。こうした分断線を闇雲に社会に引くのではなく、やはり、「民主主義の最大の契機たる選挙の最中に狙撃され殺害されたことの重み」と「日本の憲政史上最長の在任期間であったという客観的事実」に照らして、内閣の判断は消極的に →
→ 実施に反対の意思表示が実際になされている以上、「弔意の強制」はないことを逆に明らかにしており、イマイチ私には反対する根拠が不明瞭です。まして「特定の宗教団体と安倍氏や自民党との関係調査がなされていない」などということは、まったく本筋から離れていて、何故か殺害された人物の側に→
→ を経るベきでした。国民の休日とするには法整備が必要ですから当然に平日とし、かつ、弔意を表明することが強制され黙祷や半旗掲揚等を実施する・しないは、すべて個人・団体の自由意思に拠るべきで、それを理由にした不利益処分等があった場合には、私は断固反対します。他方で、欠席したり、→
→ 有形無形のかたちで、故人を追悼する行事に対しての態度が一つの「リトマス紙」のように用いられ、かつ、分断を象徴する状況に現在進行形でなっていることではないでしょうか。もちろん政府や岸田首相は、その実施につき、引き続きより丁寧な説明をさらに重ね、そもそもは、より慎重なプロセス →
あまり言葉にしたくなかったので言及は控えてきましたが、安倍元首相の国葬については、私は消極的ながら賛成の考えです。そして、現職国会議員や元国会議員が殊更に案内状の画像をアップして出欠、特に、欠席をアピールする行為は、私は品位に欠くと考えています。そして、最大の課題は、こうした →
「銃撃事件」ではなく「殺害事件」、撃たれて死亡した」ではなく「撃たれて殺害された」が正しい表現と私は思うのだが、民放もNHKもメディアは、表現を穏やかなものにしているのは、私は率直に気になる。メンタル的な方面への配慮かもしれないが、事実を矮小化する方向にすることには私は賛同しない。
絶対的に間違えているのは、安倍氏を殺害する行為であって、その背景にある動機は別の話である。しかし、すっかりこの1ヶ月で、この国は、特定の団体と政党・政治の関わりについてで持ちきりとなって、明らかに本質を見落としている。いわんやその他の社会課題についてをや。
首相経験者暗殺事件から日も経たずに、こうした品ないことはツイートされないほうがよろしいのでは。 真に団体による被害に遭われた方にも、汗を流して救済・支援活動をされている法曹関係者らにも失礼極まりなし。 そして、何より、面白くないですよ。 twitter.com/cdp_danshita/s…
国葬の是非の説明をしなければ、追悼演説に応じないなどという対応は、品性下劣にもほどがある。たしかに国葬の是非の議論はあって良いが、国権の最高機関として、その議員が在職中に死去した場合には、まず追悼をするのが、それこそ品位ある議会の態度ではあるまいか。冷静に、故人は送り偲ぶ態度を。
法が規制している範疇を超えて、テロリズムを行なった人間の主張ににわかに感化されて、声高にその是非を言い募るポジショントークは、単なるポジショントークを越えて、テロリズムに加担しているに私は等しいと思っている。強く非難したい。
内閣総理大臣経験者が、白昼に、選挙期間の演説中に銃が規制されているはずの我が国で公衆の面前で狙撃され殺害されたということの政治的・社会的意味、憲法的価値に与える影響。それを論じるのが何より最も重要で、特定の宗教団体の問題に着目し議論することに加担することは極めて慎重たるべきです。
容疑者は、ひとりの人を殺害する以上の目的を達しつつあります。断じてそのようなことを容認してはなりません。 いかなる理由があれでも、暴力やテロリズムは許されません。繰り返し繰り返し、声を挙げるべきことと私は考えます。
有名政治家を殺害したりすることや大事件を起こすことによって、社会問題を周知したり、報復されることもやむを得ないというような空気は、極めて危険だし、現在進行形で多くの政治家や言論人と言われる者が加担していることには、私は強い懸念と憂慮を覚えます。慎重な議論をするべきと思います。
秋葉原通り魔殺人事件のときも、派遣労働のあり方などを議論する風潮があったが、私は間違いであると思っていた。それはそれ、これはこれ。あくまでも主義主張は、言論や政治活動、表現の自由、司法、行政手続等の過程によってのみなされるべきで、暴力やテロを契機に、主義主張に耳を傾けるのは違う。
安倍氏が殺害されるような事態に至ってなお、「お前は特定の宗教団体と関係があった。不適切だ!」を「狩り」のように繰り返す、底の浅いポジショントークは、いい加減に慎むべきと思う。であれば、御党には、誰一人としていないんだな?という話になるが、それが果たして本質的にすべき議論なのか。