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【昭和の喫茶店】野球喫茶 昭和33年
ここは大阪・新世界。〈ジャズ喫茶〉ブームに続けとばかりに〈野球喫茶〉が出現、壁にはテレビやスコア・ボード、進塁を豆電球で示すという凝った作り。マスターは営業施策だと言うが、コーヒー1杯50円で試合終了までゆっくりと――その成否やいかに。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和52年5月14日(土)
取手市民会館からの公開生放送『8時だョ!全員集合』。前半のジャングル探検コントで西城秀樹と五木ひろしが発砲したところ、その火花がセットに燃え移り出火。会場の非常ベルが鳴り響く中スタッフが消火したが、コントは打ち切りとなった。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和63年5月5日(木)
日本テレビはこの日、チョモランマ(エベレスト)頂上から世界初の衛星生中継。コント赤信号がドラマ初主演『東京恋愛事情』は永倉万治原作の恋愛コメディ。永倉はこの7年前、向田邦子らと台湾へ取材旅行を予定も、仕事が入り難を逃れていた。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和46年5月1日(土)
千葉県初の民放テレビ局〈千葉テレビ〉がこの日から本放送を開始。プロ野球〈ロッテオリオンズ〉の主催試合を番組編成の目玉とし、荒川区南千住にあった本拠地〈東京スタジアム(東京球場)〉から完全中継を行った。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和61年4月9日(水)
将来を嘱望された若きアイドルの自死。前日の悲劇を各局とも扇情的に報じ、写真週刊誌は凄惨な現場写真を掲載。当事者心理を恋愛や労働問題に求めた勝手な憶測が飛び交う中、ファンの後追いが多発するなど〈ユッコ・シンドローム〉は社会問題化。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和54年4月7日(土)
絶大な人気を誇るシリーズの第1作『機動戦士ガンダム』。当時は視聴率が伸びず予定話数が削減される苦難。教師とは別の世界線・水谷豊の『熱中時代・刑事編』は〈相棒〉シリーズの原点とも。テーマ曲〈カリフォルニア・コネクション〉がヒット。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和34年3月1日(日)
免許申請から2年、在京4番目の民放〈フジテレビ〉が本放送を開始。緊張の初日、万が一の放送事故に備えて柳亭痴楽と牧野周一がスタジオに一日待機。いざという時に場つなぎの〈お詫び漫談〉を準備していたが、幸い最後までその出番は無かった。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和50年2月23日(日)
オイルショックが制作に影響し、5週にわたって全話再放送となった『サザエさん』。視聴率が取れたこともあり、4月からは火曜19時枠の再放送も開始する。『学校そば屋テレビ局』は〈全員集合〉スタッフが投入されたTBSの自社制作バラエティ。@retoro_mode
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『サザエさん』放送開始から6年、300回を迎えた頃の声優陣(昭和50年)@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】平成元年1月8日(日)
平成の幕は開けたが、街のネオンは消え、重い空気に支配されていた。興行は中止が相次ぎ、娯楽が消えたテレビはひたすら大行天皇を悼み、激動の昭和を回顧する。番組編成がこれほど変わることはテレビ放送史上、初の出来事だった。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和64年1月7日(土)
昭和最期の日──早朝にもたらされた天皇陛下のご危篤~崩御の報。NHK各波からはチャイムが鳴り響き、民放各局もCMを入れず報道特番を流し続けた。そして視聴者は14時36分頃、内閣官房長官・小渕恵三が新元号〈平成〉を掲げる瞬間を目撃する。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和51年1月3日(土)
この日からTBS『まんが日本昔ばなし』と『クイズダービー』が開始。続く『8時だョ!全員集合』、『Gメン'75』との黄金編成が確立する。フジ『放送演芸大賞』は十代目柳家小三治が大賞、ほか三球・照代、コント55号、泉ピン子らが部門賞を受賞。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和55年1月1日(火)
フジ『初詣爆笑ヒットパレード』(昭和43年~)と『新春スターかくし芸大会』(昭和39年~平成22年)は正月を代表する演芸・バラエティ番組。てんや・わんや、桂子・好江、クレージー、ドリフ、三波伸介、タモリ、ツービートら新旧世代が交差する。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和60年12月31日(火)
NHK『ゆく年くる年』はテレビ放送が開始された昭和28年から現在まで続く長寿番組(開始当初は『除夜の鐘』)。民放も昭和31~63年までは在京キー局が輪番制で制作。どのチャンネルでも同じ番組が放送される光景は大晦日の風物詩となっていた。@retoro_mode
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【昭和のテレビ】笑っていいとも! フジテレビ
第9回の生放送を控えた昭和57年10月14日。タモリは本番1時間前にはスタジオに入り、狭い楽屋で台本に目を通す。彼はこの〈森田一義アワー〉を以後32年間、8054回続けることになる。@retoro_mode
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昭和44年10月。TBS『進め!ドリフターズ』と『突撃!ドリフターズ』をベースにした新番組『8時だョ!全員集合』。座談会で意気込みを語る。@retoro_mode
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大正15年。ポンチ絵の“ポンチ“とは英漫画雑誌『パンチ』を語源とする。@retoro_mode
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昭和を彩った愉快なギャングたち @retoro_mode
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神保町「ミロンガ・ヌオーバ」の現店舗は年内12月6日で営業終了、その後取り壊し。新店舗はごく近く(徒歩30秒)で2023年1月中に再開、と電話取材・確認済み。
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語り継ぐことが最大の供養。永遠なれ。