萬象アカネ(@bansho_akane)さんの人気ツイート(いいね順)

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神保町「ミロンガ・ヌオーバ」が12月で現店舗閉店・取り壊し〜移転との報。
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昭和15年頃。寄席「神田花月」の痕跡が。
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【昭和の肖像】長谷川町子(漫画家)昭和26年 『サザエさん』連載開始から5年、キャラそのままの“モガヘアー”で猫と戯れる。生涯独身だった町子だが、30歳当時のアンケートでは結婚の意志は「あり」。一方で「結婚して世話で一生を送るのは嫌」と縁談を断り続けたという。@retoro_mode
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飲み屋で語らうタモリと桑田佳祐(昭和57年)@retoro_mode
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『サザエさん』放送開始から6年、300回を迎えた頃の声優陣(昭和50年)@retoro_mode
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妾が4人集まってスキ焼屋を開店(昭和22年) @retoro_mode
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昭和25年、2リーグに分立した際のもの #燐票 #マッチ #マッチラベル @retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】平成元年1月8日(日) 平成の幕は開けたが、街のネオンは消え、重い空気に支配されていた。興行は中止が相次ぎ、娯楽が消えたテレビはひたすら大行天皇を悼み、激動の昭和を回顧する。番組編成がこれほど変わることはテレビ放送史上、初の出来事だった。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和64年1月7日(土) 昭和最期の日──早朝にもたらされた天皇陛下のご危篤~崩御の報。NHK各波からはチャイムが鳴り響き、民放各局もCMを入れず報道特番を流し続けた。そして視聴者は14時36分頃、内閣官房長官・小渕恵三が新元号〈平成〉を掲げる瞬間を目撃する。@retoro_mode
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昭和を彩った愉快なギャングたち @retoro_mode
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若きジャズシンガー・亜土ちゃん! 昭和38年当時、ミッキー・カーチスさんが代表の事務所に所属。@oldpicture1900
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【昭和の芸能】田村正和と立川談志 昭和39年 「野球は巨人、落語は談志」とファンを公言していた田村正和。この日はフジテレビのスタジオで“ミスター”長嶋茂雄談義に花が咲く。『週刊明星』誌より。@retoro_mode
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【昭和のテレビ】笑っていいとも! フジテレビ 第9回の生放送を控えた昭和57年10月14日。タモリは本番1時間前にはスタジオに入り、狭い楽屋で台本に目を通す。彼はこの〈森田一義アワー〉を以後32年間、8054回続けることになる。@retoro_mode
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大正時代から続く古賀書店、昨日で閉業。
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昭和44年10月。TBS『進め!ドリフターズ』と『突撃!ドリフターズ』をベースにした新番組『8時だョ!全員集合』。座談会で意気込みを語る。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和59年6月16日(土) 8時だョ…おっ?――動揺するいかりや。入間市民会館からの公開生放送『8時だョ!全員集合』は開始直前、突如闇に包まれる。会場が騒然とする中、番組は懐中電灯や補助電源からの薄暗い照明で進行。語り草の〈停電事件〉は今日で39年が経つ。@retoro_mode
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希望に燃ゆる希望
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昭和31年当時のラジオ・テレビ局ロゴ一覧。民放ラジオは40局を数え、テレビも数年後に開局ラッシュとなる。@retoro_mode twitter.com/bansho_akane/s…
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昭和41年、クレージーキャッツがサントリービールのCMを撮影した際のネガを発掘
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医学博士の髙橋孝太郎が5年の歳月をかけて開発、昭和初期に大ブームを起こした滋養強壮飲料『どりこの』。その製造法は博士のみが知り、謎に包まれていたが後年の研究で成分上は「砂糖水」であることが分かっている。なお、博士は何を思ったか『どりこの鍋』という鍋も考案している。@oldpicture1900 twitter.com/oldpicture1900…
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神保町「ミロンガ・ヌオーバ」の現店舗は年内12月6日で営業終了、その後取り壊し。新店舗はごく近く(徒歩30秒)で2023年1月中に再開、と電話取材・確認済み。
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【あの日のテレビ欄】昭和52年5月14日(土) 取手市民会館からの公開生放送『8時だョ!全員集合』。前半のジャングル探検コントで西城秀樹と五木ひろしが発砲したところ、その火花がセットに燃え移り出火。会場の非常ベルが鳴り響く中スタッフが消火したが、コントは打ち切りとなった。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和51年1月3日(土) この日からTBS『まんが日本昔ばなし』と『クイズダービー』が開始。続く『8時だョ!全員集合』、『Gメン'75』との黄金編成が確立する。フジ『放送演芸大賞』は十代目柳家小三治が大賞、ほか三球・照代、コント55号、泉ピン子らが部門賞を受賞。@retoro_mode
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【あの日のテレビ欄】昭和60年12月31日(火) NHK『ゆく年くる年』はテレビ放送が開始された昭和28年から現在まで続く長寿番組(開始当初は『除夜の鐘』)。民放も昭和31~63年までは在京キー局が輪番制で制作。どのチャンネルでも同じ番組が放送される光景は大晦日の風物詩となっていた。@retoro_mode
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お皿がもらえる「春のパンまつり」は昭和56年の開始ですが、それ以前にも類似のキャンペーンは断続的に行われていたようです。順に昭和39年、53年、54年。@oldpicture1900 twitter.com/oldpicture1900…