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「追悼 宮谷一彦」をブログに上げました。
blogs.itmedia.co.jp/natsume/2022/0…
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たった今、宮谷一彦が6月28日に亡くなったとの情報が入った。ホントなんだろうか? 確認できていないが、誰か確かな情報もってないかしら。
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いやはや、何とも言葉がないですよ、もう。ご冥福を、としか。A先生は記録魔で「ふたりで漫画ばかり描いてきた」や「まんが道」でマンガ史像の形成にも影響深い方でした。www3.nhk.or.jp/shutoken-news/…
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この話は『版画男』の版をパリのマンガ展で展示すべくお願いに伺ったときに僕も聞いて腰抜かしそうになりました。何なんだろう、その素晴らしくもバカバカしいこだわり(笑) ただ当時(1999年)のフランスでは今一つ伝わらなかったかもしれない。 twitter.com/nawokikarasawa…
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『版画男』! 戦後マンガ史に残る珍作の最高峰だといってもやぶ蕎麦でない傑作です! twitter.com/nawokikarasawa…
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#田河水泡『#のらくろ戦後作品傑作集』(教育評論社)届く。1940~50年代に小出版社から出版された『珍品のらくろ草』『のらくろ三人旅』『龍とのらくろ』『ちゃめけんとのらくろ』という漫画史的にほぼ無視された作品の貴重な復刻。僕と宮本大人氏も解説をのせてます。
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紹介文章多すぎだけど、それはともかく『風雲児たち』は読め! しのごのいわずに読め! と私は言いたい。 twitter.com/mnmtoen/status…
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いやあ、びっくり。園田光慶も少女マンガ描いてたんだ。あのデッサンの人が、よくこんなデカい目が描けるなあ。器用なんだろうけど。58年、17歳ですか。 twitter.com/kudan2002/stat…
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唐沢先生、僕もそのように記憶しております。むろん今後新発見がないとはいえませんが、記憶のかぎりでは多分。 twitter.com/nawokikarasawa…
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みなもと先生、今生では本当にお世話になりました。勉強させていただきました。ありがとうございます。僕もそう遠くないうちにそちらでお会いできると思いますが、そうしたらまたお話してください。楽しみにしております。 twitter.com/kojiro_jn/stat…
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週刊朝日を後ろから開かせた男・山藤章二さん。僕が週刊朝日で働き始めた70年代後半、連載を始めた80年代も既にご活躍でした。ベン・シャーンの影響を感じさせる都会的でカッコいい絵でした。似顔絵塾は、当時のものまねブームと共通するものも感じて色々考えさせられました。長い間ご苦労様でした。 twitter.com/tadcomix48/sta…
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ほほう、こりゃあ面白い。明治30年代か。コマまたぎで水が流れる表現はなかなか。江戸期の香りも残してる感じがするけど。それより水道鉄管が「ヒルヲダス」ってどういう意味なんだろう? 何謝ってるのかわからん。 twitter.com/nue213/status/…
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白土三平さんと実弟の岡本鉄二さんが亡くなっていた。さいとうさん、みなもとさんに続き、何て年だろう。『忍者武芸帳』『忍法秘話』の衝撃が蘇る。読売の石田汗太氏と昨日話をしたばかり。彼に明日締め切りの追悼文千字を依頼され、さっき送ったところ。 twitter.com/bigcomic_mg/st…
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3 日本では珍しく作家でありながら出版社(リイド社)を作り、成功させた稀有なマンガ家だった。生前、何度かお会いしてそれをお伝えしようとしたが、ご本人はそれが当たり前のようで、きょとんとされていた。きちんと仕事でお伝え出来なかったのが申し訳ない。
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2 貸本時代の、ひたすらカッコいいアクション劇画も、「深み」や「意味」ではなく表層的な娯楽性だけでもいいのだ、という大衆娯楽の潔さを見せ、マンガ青年への影響は深かった。園田光慶や川崎のぼるの美意識もそこからやってきた。
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嗚呼。評論家受けしない作家だったが、60~70年代青年向け大衆娯楽としてマンガを精錬した立役者だった。プロダクション制作、脚本家など制作システム、マンガの演出法など、多くの影響を与えた。再評価されるべき作家である。ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。oricon.co.jp/news/2208578/f…