651
古い社会ではマッチングは自由でなく、配偶者は親からあてがわれるため、本人の適性が低くても淘汰圧がかかることはない。しかし産業革命以降の社会では自分で相手を探す必要があるため、いちゃつく能力のなさは配偶者を惹きつける能力を減じることになる。
sciencedirect.com/science/articl…
それ以上いけない
652
653
まあこういうのも「とにかく男相手に暴力性を出してイキりたい。実効性がなかろうが、これを真に受けた女性が現実で致命的な傷害を受ける可能性があろうがどうでもいい」という無責任なブス特有の娯楽なわけですよ。 twitter.com/megumiinhawaii…
654
思い出すシリーズ
「スカートでもヒール履いてても出来るし、相手の顔面狙えるし、クリーンヒットすれば一撃必殺になるし、そこまで難しくない上に威力めっちゃ出るので護身術として女子にエビ蹴りはとてもオススメです🦐」
twitter.com/ripan85/status…
655
657
人生レベルであれ日々の生活レベルであれ「意思決定」は最も脳に負荷のかかる行動であり、テストステロン量で勝る者が盾となって自分をストレスから解放してくれているのだということを理解していないと後になって「何でも勝手に決められた」という歴史改変を起こすことになる。 twitter.com/ohiratec_mega/…
658
男はアホなので女の笑顔でめちゃくちゃ燃費よく転がるんですが、なんかあの辺の女は輪をかけてアホな上にメンタルがおブスなので男を転がすことにすら耐えられないわけです。 twitter.com/as257g/status/…
659
660
そもそもの問題として女が死ぬ危険が大きい場所や労働に駆り出されないのは力が弱いからでも可憐だからでもなく「子供を産むから」なのであって、出産を気分次第で拒絶しながら死なない立場に居続ける女も、それを許容している男社会も根本的な道理が理解できてないんだわ。
661
男の体力と死亡リスクが機械によって相当程度代替された(現実にはそれを前提としたより高度なサービスが求められるようになったが)ように、女が出産から解放されるのも人工子宮のような代替物が実用化されて初めて考え得るのであって、そうでない段階での性役割の解体は群れの自殺とセットでしょうよ
662
女は子供を産む
→死なれちゃ困る
→安全な場所に留め置くべし
→女は可憐である
という成り立ちの最初をすっ飛ばして3,4段目の認知だけ残ってる人たち。 twitter.com/terrakei07/sta…
664
665
つーか上司先輩との恋愛を悪しき権力勾配として否定したところで女性が格上感のある男を「尊敬できる」と称して希求するのは合コンでもマチアプでも変わらないので、職場恋愛の衰退って異性獲得フェーズの女性にとっては特にメリットなくヤリ捨てリスク増やされてるだけなんじゃないのっていうね。
666
すいませんそれもうマジモンの人が言ってるんですよ twitter.com/japosu123/stat…
667
668
昔と違って「弱い子供は勝手に死ぬor口減し」が許されない社会なので、他人であれば視界に入れなければ済んでいた「弱者」が取り外し不可な形で自分の人生に現れるというのは現代の親にどうしようもなくついて回る問題なのよね。 twitter.com/mann_co_high/s…
669
日本人が「良い人」だけをやっていられる時代が終わろうとしている
>政府関係者によりますと、少子化問題は「全世代で向き合うべき課題だ」として、高齢者への給付を抑制するなど社会保険料の見直しで主な財源を捻出する方向
news.yahoo.co.jp/articles/9cf3f…
670
うっすら性嫌悪になった社会で大人たちが「うちの目につくところで盛り合うな」と言っているだけのことで、そうやって排除された若者達がどこに行き着くのかというとマッチングアプリとかいう無秩序市場なわけです。 twitter.com/1J5QrcXXVbGKti…
671
「好きになれる」とはつまり「私のなんかナシ要素をひとつも踏むな」くらいの意味なので、それ以外は望まないがまず大嘘なんですね。そして本人が人生経験豊か(婉曲な表現)なアラフォーなので、避けるべきポイントの数も水準も若い女性より厳しいという。 twitter.com/saki_itsales/s…
672
673
ご覧の通り「自分のための人生」なんて世間の風潮が変わればあっさり不安になる程度の薄弱な価値観だったわけで、最初から「うるせえ産め」ってしてあげてた方がよほどマシだったんですよ。 twitter.com/terrakei07/sta…
674
675
この手の母親には自分の手を離れた息子の人生がつつがないものであるようにという視点はなく、ただ生産者たる自分の地位を確認する手段として息子のステータスを装飾することに躍起になっている。ゆえに結果を出せなかった息子は「私」の価値を貶めた加害者なのである。