576
聴いてるとバカが感染するので離脱。
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しかしまあ、大金払ってゴールドパートナーになったあの会社は踏んだり蹴ったりだわな。観客席での酒類販売をたくらむ圧力団体に擬されて袋叩きに遭ったかと思えば、今度は得意先に酒を売るなだとさ。それと丸川珠代はステークホルダーとスケープゴートの区別がついてないから注意した方がいいぞ。
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そろそろ正剛に家督を譲って隠居するのがこの際の最適解だと思う。大丈夫、正剛はあんたが思っているよりずっとしっかりしている。ギターも弾けるそうだし。
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バッハ会長に用水路の様子を見に行ってもらうのはどうだろうか。
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無能なリーダーの下では、メンバー全員が無力感を共有せねばならない。このことがもたらす生産性の低下はバカにならない。わが国では、この10年ほど、テレビの画面に映し出される内閣総理大臣の肖像を通じて、毎日新鮮な無力感が供給されている。これは国難だぞ。
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無能さは、体現している人物の地位の高さに比例して、その有害さを増す。町内会長の無能はご愛嬌でも、市長の無能は笑い事ではない。閣僚の場合、その無能は大規模災害に匹敵する。内閣総理大臣の無能は、文字通り「国難」そのものとして受け止めなければならない。
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NHKがニュースを削除するかもしれないと思ったので、スクリーンショットを保存しておきました。私は、少しずついやな人間になりつつあります。
首相“フリーター支援 社会保障制度見直し検討” ラジオ番組で | NHKニュース www3.nhk.or.jp/news/html/2021…
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フリーターについては、ずっと昔原稿を書いたことがある。フリーという英語とアルバイターという偽ドイツ語を合体させた極めてインチキな言葉で、こういうものを労働省が文書の中で使うのはいかがなものか→案外、こいつらは雇用保険の節約を狙ってフリーターを歓迎してる? という趣旨だった。
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もちろん、そこいらへんのご老人がフリーターとフリーランスの区別をつけられなくても一向にかまわない。でも、仮にも内閣総理大臣が、社会保障制度の見直しを語る文脈の中で、フリーターとフリーランスを混同or同一視することがあってはいけない。ウマとシカの区別がつかないのと同じだぞ。
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このニュースを、何の説明も加えずに配信したNHKの人間が、菅さんをおとしいれようとしていた可能性は考慮せねばならない。だって、放送原稿の文脈からは、どう見てもフリーターとフリーランスの区別がついてないイナカジジイがバカを晒している以外のナニモノでもないわけだから。
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ホントだ。「エンターテインメントには、フリーターで関与している方が多い。社会保障制度などをもう一度見直し、1つの制度としてしっかり対応できるようにしたい」とか言っちゃってる。それもメディアの電波に乗っかってるのを分かった上で。本物のバカだったんだ。 twitter.com/nmcmnc/status/…
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『日経ビジネス』誌上にて連載中のコラム「pie in the sky」の最新(7月2日)更新分は、以下のリンク先より閲覧可能(24時間限定ですが)です。よろしくよろしく。
嫌われ者はルールで追い出せ:日経ビジネス電子版(この記事は2021年7月6日 0:24まで無料で読めます) business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00…
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0時過ぎにふと目覚めて、開票速報番組をチェックしようとテレビをつけてみて、こんな時間にNHKが
「東京2020聖火リレーデイリーハイライト」
という番組をやっていることをはじめて知った。
内容はお涙頂戴風味のスポーツドキュメンタリー。
寝る。
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見に行った。キツい。反ポリコレ、反ジェンダー思想 反多様性万能主義のアジテーションを冷笑風味で並べてみたのだろうね。全体に「難しい言葉を使ってオレらパンピーに説教を垂れてる古くさいインテリ」への憎悪がすごい。その辺はダウンタウン由来というのか、上に向けた秋波なのだろうね。
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あるタイプのおっさんたちが、どうしてかくまで激越にフェミニズムをを憎悪するのかというと、フェミの人たちが自分たちの説教に耳を傾けないからなのだろうね。たしかに、アンチフェミって、あらためて見てみると、誰も彼も典型的な説教オヤジだよな。
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なるほど。「あんたらの説教は無視するよ」が、一般的なマナーになったことで、受給のバランスが狂っているのだな。20世紀までは、おっさんの説教は、聴いたふりをしてあげるのが若い女性のマナーだった。世界は少しずつても改善されつつある。
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前twはただのジョークではない。出版界にはあらゆるカルトが集まる。周辺は「コロナはただの風邪だ論者」「マスク拒絶主義者」「反ワクチン運動家」だらけだ。しかも、業界はそれらの極論を弄んで商売にしている。「安全のためのマスク」というのは、皮肉どころか最後の防衛線だぞ。
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マスクをしたからといってすべての感染症を完全にシャットアウトできるわけではない。ただ、マスクをしていれば、とりあえず「コロナはただの風邪だ論者」の接近を防げる。なにより「ワシはマスクなんかしないぞ派のイキったマッチョ」と見なされるリスクが減る。一番の効果はこれじゃないかな。
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昭和の感動至上主義的なスポーツライティングは、戦時中に大量配布された「爆弾三勇士」や「死んでもラッパ」関連のやっすい物語を始原としている。さらにさかのぼって「忠臣蔵」を持ってきても良い。とにかくうちの国の善男善女は、いさぎよくはかなく落命する若者の物語が大好物なのだよ。
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自己愛全開のびしょびしょな文体を観戦記の標準設定にしてしまった沢木耕太郎氏と、雑誌『ナンバー』に集った黙示録ライターの皆さんには、ぜひ責任を感じてほしい。若い人たちの間に「スポーツファンのオヤジって演説屋だからなあ」という誤解を広めたのは彼らだと思っている。
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日本のスポーツジャーナリズムは、長らく美文に侵されてきた。装飾的な美文を実現ために事実から物語を読み取りにかかる倒錯した視点が採用されていたということです。結果、記事は、競技のダイナミズムを追うよりはアスリートの魂の孤絶や必死さを称揚する講談じみた法螺話に着地したのだよね。
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まさにまさに。河野太郎は、見ている側に恥ずかしさを感じさせる人間です。能町さんの慧眼に勇気を得て、ちょっと古い原稿にリンクを張ります。
そのドヤ顔が見ていてツラい:日経ビジネス電子版(この記事は2021年7月4日 7:53まで無料で読めます) business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00… twitter.com/nmcmnc/status/…
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主人公がバカなマッチョで、それでも面白い小説はたくさんある。でも、バカなマッチョが書いたエッセイやコラムは、時代が変わると、とても読めない代物になる。コラムニストとしては、知りたくなかった事実だ。今の目で読むと、バカな頑固親父が威張り散らしてようにしか見えない。つらい。
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資料用の電子書籍(某小説家による酒関連のエッセイ集1979年発行)を拾い読みしているのだが、いや、驚いた。イヤミったらしくて読めたものではない。エッセイやコラムは、小説より寿命が短いのかもしれない。小説なら主人公がバカなマッチョでも読める。でも、愚かなマッチョのコラムは読めない。
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「とても」でなく「めちゃくちゃ」を使う人々は「染みる」「刺さる」「腹落ちする」「胸がぎゅっとなる」「思いがあふれる」式の「身体的」な表現を好む。さらに倒置、体言止め、擬態語・擬声語(いそいそ、わくわく)、間投詞(うひゃあ、ええーん)を多用し、自分では文章がうまいつもりでいる。