棒兵隊(@bouheitai1958)さんの人気ツイート(いいね順)

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亡くなったウィシュマさんのこともこれくらいみんなで関心を持って哀悼の意を表してほしかった。
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新大久保駅のホームから転落した男性と、男性を救出しようとした韓国人留学生イ・スヒョンさん、そしてカメラマンの関根史郎さんの3人が亡くなる事故から明日で21年。イさんの死をきっかけに設立されたLSHアジア奨学会は、日本で学ぶアジアの留学生らに奨学金給付を続けています。忘れてはなりません。
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その「み霊」が眠る沖縄の地を掘り起こし、また埋め立て、ダンプやらミキサー車やらをガンガン搬入させ、滑走路を2本も有する軍事基地をつくっているのは、あなたです。
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確かにかっこいい。それはそうなんです。人間はこういうものをかっこいいと思う心があるんです。そのかっこよさを軍隊は利用するし、例えばナチスは利用したんです。だから常に批判的でありたいわけです。あなた立憲民主党の沖縄県連の代表代行ですよね? かっこいい軍隊が沖縄で何をしましたか? twitter.com/genki_sudo/sta…
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東京大空襲76年。近年ようやく空襲などによる戦争孤児の存在が語られつつある。戦中は親が戦死した子らは「靖国の子」「誉れの子」と呼ばれたが、両親とも亡くなり孤児として戦後を迎えると、彼らは「駅の子」「野良犬」「ばい菌」と呼ばれ、虐待や性暴力もうけた。こうした歴史も忘れてはいけない。
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加藤陽子先生は昭和初期に軍部が擬似的な改革者として国民に期待された事実を紹介し、現代でも「国民に、本来見てはならない夢を擬似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らない」と警告する。「見てはならない夢を擬似的に見せる」。今の「維新」がまさにそれだ。
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沖縄戦でも学徒兵を置き去りにして自分だけ逃げた日本軍の将兵、学徒には捕虜になるなと命じ自決させながら自分は捕虜になった将兵、学徒たちを米軍に突撃させその隙に逃げた将兵などが存在する。あまりに卑劣すぎて信じられない気もするが、今の日本政府を見ていると普通にありえるなと納得もする。
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加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書)には、言葉巧みに日中戦争を正当化する「自己説得の論理」を展開する学者の姿が描かれている。だからこそ政治と学問には一定の距離が必要なのだが、政権は平然と介入した。次は政権を正当化する「自己説得の論理」を弄する学者が重用されることだろう。
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安倍の弔辞を代読するため翁長前知事の県民葬に厚かましくもノコノコと出向いた菅に対し、会場から「嘘つき」との厳しい声が。翁長さんをいじめ続けた菅への当然の怒りの声だ。菅が新総理となればもっと厳しい声がつきつけられるだろう。 沖縄タイムス公式チャンネルyoutu.be/cNUw6JqgAv8
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『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』という加藤陽子さんの言葉(書名)は本当に重たいものだなと、「我が方大戦果をあげたり」と繰り返すばかりのテレビを見ながら思う昨今。
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「種の保存」だなんていっている連中が、辺野古の海を埋め立ててジュゴンや希少生物に深刻なダメージを与え、人類の生存に危険をもたらす軍事基地をつくろうとしているんだから、ひどい話です。
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先の大戦では、ニューギニアの陸軍第18軍約10万人の将兵のうち、約9万人が飢餓により餓死したといわれる。補給も途絶えるなか、「現地自活」の名の下、ただただ置き去りにされ、見殺しにされたのであるが、今もまた政府は責任を放棄し、「自宅療養」の名の下、置き去り、見殺しを始めようとしている。
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根本的によくわかってないでしょ。
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原爆の日。軍は広島原爆直後から投下爆弾を原爆と認識していたが、しばらく公式には原爆と認めず、新型爆弾と言い換え、損害を小さく見積もり、現実を受け入れようとしなかった。そして76年後、やはりこの国はコロナの深刻な状況を認めず、医療ひっ迫などと都合のいい言葉を用い、現実から逃げている。
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女の子の戦争孤児が「器量良し」から順に農家に引取られ、売買春業者にも売られていったと回想する自身も孤児だった女性Aさんは、戦後かなりの年月が経ってから会社の慰安旅行で温泉街に行った際、疎開先で一緒だった女の子の孤児が芸妓として働いていたのを目撃している。温泉にはそんな歴史もある。
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76年前の今夜、東京はB-29約250機などにより何度目かの大空襲をうける。被害は皇居にも及び、阿南陸軍大臣の責任問題に発展した。東京で市民が何万人焼けようが、沖縄で住民が戦闘に動員され命を落とそうが軍は何ということもないが、皇居が焼けた途端に責任問題が発生する、そういう国であった。
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信濃毎日新聞(信毎)が社説で東京五輪中止を求めた。信毎主筆の桐生悠々が昭和8年に「関東防空大演習を嗤う」と軍部批判をしたのは有名だが、桐生は昭和7年にも五・一五事件の主犯の軍人を批判している。五輪スポンサーになり下がり国策に協力した新聞各紙は、桐生の覚悟に思いを致してほしいものだ。
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「地元出身の英語を話せる男性が、日本兵に追い回されて首を切り落とされた。年配の男性が山に向かい、逃げている住民らに投降を呼びかけると、どこからか現れた日本兵に刺し殺された」(記事より) 沖縄戦で住民は日本兵に殺された 地獄を体験、絞り出した言葉:朝日新聞 asahi.com/articles/ASN6N…
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70年に発生した沖縄のコザ騒動より今日で51年。騒動を撮影した当時の映像に記録されている「この沖縄人の涙が分かるかお前らは!」との沖縄の市民の叫びがあまりに悲壮で切ない。
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翁長雄志さんの命日。翁長さんは選挙前、必ず父助静さんと縁の深い糸満市の「魂魄之塔」をお参りしたと聞きます。この塔は沖縄戦犠牲者の遺骨の納骨所で、当初は大きな穴を掘り遺骨を安置していましたが、いつしか遺骨は山になっていったそうです。沖縄戦犠牲者への思いが翁長さんの政治的原点でした。
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公開された第32軍壕第5坑道には沖縄戦時、「女人棲息所」という一画があり、芸者・遊女たちがいた。激戦の中、彼女たちはなぜそこにいたのか。そんなことも考えて欲しい。 【動画あり】首里城下の旧日本軍壕 爆破された最深部の映像 第32軍壕、11年ぶり撮影 | 沖縄タイムス okinawatimes.co.jp/articles/-/610…
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長崎原爆の日。B-29ボックスカーは長崎への原爆投下後、沖縄の読谷飛行場に緊急着陸し、給油等を行った後に拠点のテニアンに帰投した。画像は読谷飛行場からテニアンに向けて離陸するボックスカー(沖縄県公文書館所蔵)。戦後、沖縄が「核の島」となることを暗示する「沖縄と核」の最初の接点である。
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辺野古の海を埋め立てるのも基地を沖縄に押しつけるのも、十分立派な民主主義への挑戦だと思いますけど。
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新大久保駅で転落した男性を救出しようとした韓国人留学生イ・スヒョンさんとカメラマンの関根史郎さんらが亡くなる事故から明日26日で22年。韓日の架け橋になるとのイさんの遺志を継ぎ設立されたLSHアジア奨学会は、今も日本で学ぶアジアの留学生らへ奨学金給付を続けています。忘れてはなりません。
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石垣市の自治基本条例廃止で名前が出てくる村田春樹は、学生の頃は三島由紀夫の「楯の会」にいたが、就職が決まった途端、運動とも「楯の会」の仲間とも縁を切り、会社を定年退職したら「元楯の会」の触れ込みで在特会とつるんで排外主義運動を始めた人物。「退職金右翼」とも。まあロクでもないです。