くどいけど、旧統一教会問題を、旧統一教会の枠組みで議論していて本当にいいのかな、と強く懸念してます。だってあれは、極右問題であり、疑似科学問題なわけでしょ。逆に言うと、宗教問題ととらえるかぎり、いったい何が問題なのかという話になりかねないですよ。
旧統一教会とずぶずぶの政治家の問題だけじゃないんですよ。その排他的な思想性を許容してしまった、あなたたち個々人の問題なんですよ、とぼくなんかは思うんですよ。
例えば、90年代初頭、在日コリアンの地方参政権には共感的な世論が一般的だった。日本の地方自治体の過半数から、在日コリアンに地方参政権を認めるべきだという陳情が出ている。それを、「だって外国人なんだから仕方ないでしょ」ってところまで押し戻したのはだれか。統一教会系のメディアだよ。
この国の中枢にいる政治家たちが、旧統一教会とずぶずぶな関係になっていることを、旧統一教会が集客に利用していたという構図ももちろん問題だよ。だけど、ザイトク並みの極右とこの国の中枢がつながっていたということを、もうちょっと問題視してくれてもいいんじゃないのかね。
初学者向けの良書です。アカデミアと運動圏の両方をよく知っている人が書いただけに、網羅的でありながら薄っぺらくならず、最新の知見を紹介しながらも小難しくありません。「学んではみたけどピンとこない」ぐらいの人が読んでもいいかと。
だってね、誰がどう考えたって、加害者が被害者に向かって、上から目線で「お前が何とかしろよ」って迫るのは、根本的なところでおかしいよ。それがおかしいということに気づかなくなっているくらい、いまの日本社会が、おかしくなってるってことなんだよ。
ところが、韓国の徴用工訴訟のプロセスで、日本政府は、なんと、被告企業に「和解はするな」って圧力をかけた、らしい。その結果として、今の日韓関係があるのだけど、日本のメディアは、そのことについて、何も語らないよね。そしてなぜか、すべては韓国側の責任、というストーリーになっている。
日本政府は戦後ずっと「個人請求権は消えてない」と説明してきた。ただ、ある時期から、「個人請求権は消えてないけど、裁判で訴えることはできない」と説明が変わった。わかりやすくいうと、個々の加害企業と和解することはできますよ、ということ。三菱マテリアルなんかは和解のモデルケース。
さっきの話題と関連して、「戦後最悪」の日韓関係の直接的な原因ともなっている、いわゆる徴用工問題だけど、あれ、ほんと、メディアの報道、根本的におかしいんだよね。「日本はやるべきことをすべてやった。あとは韓国政府がやるべき問題」って報じてるでしょ。でも、ふつーに、違うよね。
「戦前の日本もファシズムと呼ばれる政治体制下で~」とかって授業で発言すると、「日本にもファシズムがあったのですね、知らなかった」という学生が一定数出てくるもんなあ。 /昭和天皇がヒトラーと一緒と聞いてビックリした人のためのな~んちゃって国際法入門 poorblackgoat.com/2022/04/25/%e6…
あの時、公人によるヘイトスピーチを野放しにしたことが、結果としてどういう時代を招来したか。今ではもうわかっているはずなんだよね。メディア各社は、今回の訃報を、ぜひとも、自分たちの報道姿勢を振り返る機会にしてほしい。
公人による差別発言が、追及されずに済まされてしまう、「石原節」などというレトリックでパーソナリティの特徴に矮小化して問題性を霧散させてしまう、そして巷では「差別差別と騒ぎすぎ」と犠牲者非難が起こる。そんな時代を、あの人は引き寄せたんですよ。メディアはその共犯になった。
なんらかの差別発言が「ヘイトスピーチ」として定位されるためには、必要条件があるんだよね。その一つは、どれくらいの人に擁護・賞賛されるか、というもの。そして、石原氏の「問題発言」は、各メディアが擁護したり、少なくとも追及しすぎないようにすることが多かった。中には賞賛するメディアも。
石原慎太郎といえば、日本で「ヘイトスピーチの時代」の幕開けを告げた人物。その悪影響の大きさは、マジョリティには知覚しにくいものだったかもしれないけれども、時代の転換をもたらすほどのものだったわけでね。各メディアが申し訳程度にしか「問題発言」に触れていないことにはあきれるばかり。
海部俊樹元首相といえば、チマチョゴリ切り裂き事件(つまりヘイトクライム)への対策を問われて「ぼくがやったんじゃないもん」と答えた件がどうしても思い浮かぶのだけど、考えてみれば、ヘイトクライム対策を首相に質問するメディアも、この回答を問題視するようなメディアも、いまはもうないよね。
「マイノリティのことをやったって選挙で票を獲得できない」という問題設定よりも、「マイノリティのことを平気で他者化するような社会ではたして人は幸福を追求できるのか」であるべきなんじゃないかとぼくは思うんだよね。
でもいちばん大事だとぼくが思っているのは、マイノリティを抑圧(しておきながらそれを平気で放置)する社会は、同じ原理で、マジョリティだって抑圧するんだということに気づいてほしいからですね。
その理由はいろいろとあって、例えば、「マイノリティが可哀想」と思わせてしまえば、「でも私はそのマイノリティに生まれなくてよかった」という他者化の感情を生んでしまったり。あるいは、自分とは関係のない「他者」の物語だと思い込んでしまえば、コミットする気持ちが起きなくなるだろうとか。
人権やマイノリティに関わる講演をするときにいつも気をつけているのは、「可哀想なマイノリティを守る必要がある」という認識を抱かせないこと。「この社会の健全さを維持するために何かしなきゃ」と思わせなければ、失敗だと思ってる。
ある被差別当事者のリアリティを理解することがどれほど難しいかって、たぶん、「これほどまでに見えている現実が違っていたのか!」みたいな衝撃を受けてみてはじめて実感するものだよね。そういう衝撃を一度も体験したことがない人は、まだ入り口にも立ってないということだろうね。
平井文夫を抱えているかぎり、フジテレビはフェイクニュースということでいいんじゃないかな。
米国の大統領選を見て、やきもきしている人、けっこういるよね。米国の影響って大きいのに、自分は何も関与できないもんね。でもね、その感覚を、在日コリアンは、日本国内で選挙のたびにずっと抱き続けてきたんですよ。
そうなんですよ。「あぁ、日本政府がそういうふうだからこうやって記憶を共有するための像が必要なんだな」と、少女像の意義を反射的に再確認する役割しか果たしていないという。 twitter.com/hiroaisi/statu…
だいいち、記事にある「韓国系市民団体」は韓国の団体ではない。Nataly Jung-Hwa Hanさんはドイツ国民だよ。「韓国との『世論戦』」にはなりようがなかろう。
歴史修正主義がドイツで通用するわけないだろうに。恥ずかしいったら。/「性奴隷でない」日本政府が見解 慰安婦像、独語で - 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20201…