687年前の5月22日、鎌倉幕府は終焉を迎えました。写真は初七日にあたる「元弘三年五月二十八日」の銘をもつ五輪塔です。当時の人々はどんな景色を見たのでしょう。臨時休館中のため、お越しいただくことは叶いませんが、今日は少しの時間、皆様の場所から鎌倉の方角へ、思いを馳せてみてください。
831年前の今日、藤原泰衡は命を落としました。頼朝の追討を受けて敗北し、晒し首の後、首は中尊寺金色堂に納められました。泰衡の首桶に納められた種を開花させたのが中尊寺ハスです。 父秀衡の跡を継いでから僅か2年。その無念はいかばかりでしょう。今日は平泉の方角へ思いを馳せてみてください。
2022年放送予定のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の脚本家・三谷幸喜氏にお越しいただきました。熱心に展示をご覧いただきました。今から放送が待ち遠しいです! #鎌倉 #大河ドラマ #鎌倉殿の13人 #kamakura
\次回展示予告‼/ 12月5日(土)から企画展「戦国時代の鎌倉ーもとの都に成してこそみめー」が始まります!鎌倉幕府そして鎌倉府の滅亡後、鎌倉のまちは一体どうなったのでしょうか?本展では後北条氏と職人たちが鎌倉再興に向けて歩んだ道のりを、玉縄城跡の出土品や古文書を通してお伝えします。
3月6日(土)から企画展「まじないの世界ー鬼をもって鬼を制すー」が始まります!生活の中で直面する災害や疫病。こうした自らの力の及ばない現象を目の当たりにしたとき、昔の人々はまじないに頼りました。市内から出土した呪符や形代、鬼の姿を描く絵画資料からまじないの世界をのぞいてみましょう。
\🔯本日開幕🔯/ 本日より企画展「まじないの世界ー鬼をもって鬼を制すー」が始まりました!(4/17まで) 開館時間:10:00~16:00(日・祝日は休館) 摩訶不思議なまじないの世界を、一緒にのぞいてみましょう。 #鎌倉歴史文化交流館 #鎌倉観光 #鬼 #陰陽師 #まじない #疫病退散
✡まじないの世界1✡ 鎌倉の人々は災いを除けるために、呪符を身に着けたり、家の柱に打ち付けたりしました。写真の北条泰時・時頼邸跡から出土した呪符には釘穴が残り「蘇民将来子孫家也急々如律令」という呪文が記されています。武家屋敷の入口に呪符が打ち付けられていた可能性を示す出土品です。
鎌倉の歴史は源頼朝からはじまる そんなイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか? 頼朝以前の鎌倉がどのような場所だったのか、その実態に迫る企画展「頼朝以前ー源頼朝はなぜ鎌倉を選んだかー」が9月25日(土)から始まります。 本日はフライヤーのお披露目です♪ #頼朝以前 #鎌倉
\本日開幕/ 本日9月25日(土)より企画展「#頼朝以前 ー源頼朝はなぜ鎌倉を選んだかー」が始まりました!会期は12月18日(土)まで。 源頼朝はなぜ鎌倉を選んだのかー、鎌倉時代以前の歴史資料や市内出土品から、この疑問に迫ります。 詳しくはcity.kamakura.kanagawa.jp/rekibun/before… ※事前予約は不要です
📢次回企画展予告―北条氏展始動!― 来年の1月4日から、鎌倉歴史文化交流館で【北条氏展vol.1】「伊豆から鎌倉へ―北条氏の軌跡をたどる―」を開催します! 本日はフライヤーのお披露目です♪ ※現在は企画展「頼朝以前」を開催中。こちらもお見逃しなく。 #北条氏 #鎌倉殿 #北条義時 #伊豆国
🎍本日開幕🎍 明けましておめでとうございます。 本日1月4日(火)より北条氏展vol.1「伊豆から鎌倉へー北条氏の軌跡をたどるー」が始まりました。 伊豆の北条氏邸跡や鎌倉市内の出土品を中心に展観し、伊豆から鎌倉へと活動の場を広げた北条氏の軌跡をたどります。 #北条義時 #鎌倉殿の13人
本日は休館ですが…呟かずにはいられません。 という訳で、当館学芸員が広報に連載している「鎌倉殿通信」のご紹介です。note版では、やむなくカットになった文章も載せています。ぜひご覧ください♫(そして♡をポチッとしていただけると嬉しいです) #いよいよスタート note.com/kamakuracity_e…
いよいよ大河ドラマがはじまりましたね。あの人もこの人も…先々を想像するとドキドキです。 さてドラマの中で、武士たちが頭に黒い帽子のようなものを被っていました。これは烏帽子(えぼし)という被り物ですが、もちろん鎌倉市内でも出土していますよ♪ 写真は鎌倉の大倉で出土した折烏帽子です!
今日は鎌倉幕府初代将軍 #源頼朝 の命日です。 父義朝が平治の乱で敗れたため、13歳から伊豆で流人生活を送ることに。34歳の時、平家追討の兵を挙げて鎌倉に武家政権を樹立し、都市鎌倉の礎を築きました。平家を滅ぼし、二度の上洛も果たしています。また、妻北条政子との間に二男二女を儲けました。
頼朝が髻(もとどり)の中から取り出した仏像。吾妻鏡によれば二寸(約6㎝)の銀の正観音像でした。頼朝3歳の折、頼朝の乳母が清水寺に籠り頼朝の成長を祈った際に霊夢のお告げで得たものといいます。頼朝が幼い頃より信仰してきた仏様です。 市内でも小さな仏様がみつかっています。当館にて展示中♪ twitter.com/nhk_kamakura13…
📢次回企画展予告―2館コラボ「北条氏展」始動!― 4月9日(土)から、鎌倉国宝館と鎌倉歴史文化交流館のコラボ展示【北条氏展vol.2】「鎌倉武士の時代」を開催します! 本日はフライヤーのお披露目です~♪ ※現在、鎌倉歴史文化交流館では【北条氏展vol.1】「伊豆から鎌倉へ」を開催中です。
\明日開幕/ 明日から北条氏展vol.2「鎌倉武士の時代―幕府草創を支えた宿老たち―」が開幕します! 鎌倉殿を支えた人々を取り上げ武士の「武」と「文」の二面性に光を当てます。 💡主な展示品はこちら ・御厩司次第 個人蔵(学習院大学史料館寄託) ・北酒出本「源氏系図」 秋田県公文書館(5.7迄)
先日の大河ドラマで登場しました!当時の人々が熱中したアイテム「双六(すごろく)盤」 鎌倉でも出土していますよ。角に釘穴があるため、もとは箱状に組んで使われていたと考えられています。裏には「双六盤也」という墨書とともに、作者名や花押もあります。今後も双六盤に注目です🔍 #展示中
鎌倉歴史文化交流館ミュージアムグッズ第一弾! 鎌倉時代の漆皿(北条時房・顕時邸跡出土)の文様を再現した「豆皿」を作りました。 鎌倉では、中世の人々が日常的に使用した漆器が多く出土していますが、なかでも黒漆地に朱漆で文様を描いた漆絵の表現はとっても個性的です♪
今日7月11日は #北条政子(1157~1225)の命日です。 源頼朝と結ばれて鎌倉殿の御台所となりましたが、夫にも4人の子どもにも先立たれます。 その後、尼将軍として幕府を導き、承久の乱では武士たちに頼朝の恩を説いて結束を促しました。 北条泰時に天下を鎮守するよう諭して亡くなりました。享年69。
/ 📢「北条氏展」図録、販売開始! \ お待たせいたしました!(待ってない?) いよいよ「#北条氏展」の図録販売が始まりました。 vol.1からvol.4の一年間分、交流館・国宝館の「北条氏展」の全てを掲載した渾身の図録です。学芸員の意気込みの分、厚くて重めの図録に仕上がりました(笑)
当館では、重忠が建久2年(1191)に武蔵御嶽神社に奉納したと伝えられる「赤糸縅大鎧」(模写)を展示中。 原品は、武蔵御嶽神社所蔵で、昭和27年(1952)11月に国宝に指定されています。重量は、26㎏ほどみたいです。
元久2年(1205)6月22日、畠山重忠は武蔵国二俣川で最期を迎えました。『吾妻鏡』によれば、誅殺を謀る時政に、義時・時房は重忠の忠節を訴えたといいます。大軍を率いる義時方に対し、謀反を疑われた重忠方は僅か百人余り。武士の本意を重んじ、大軍と互角に戦う重忠最期の様子が記されています。
茜色の威が美しい大鎧。畠山重忠が武蔵御嶽神社に奉納したと伝わる国宝赤絲威鎧を、現代の甲冑師が選りすぐりの素材と技法で制作したものです。 重忠の勇姿を偲びつつ、鎌倉武士の美を存分に感じていただければ幸いです。
62歳でこの世を去った北条義時。源頼朝と並んで埋葬され、その遺志は息子の泰時へと引き継がれました。 泰時は合議政治を進め、「御成敗式目」を制定するなど、幕府の発展に尽くしました。 北条氏展vol.4では「御成敗式目」(今月28日まで)の他、義時の息子たちに関する史料を展示しています。