男女混じえて三人産んで良かったなとおもえることは 妊娠中も出産も育児も各児の発達も全部バラバラでいろんな方向から次々に前例を叩き壊してもらえたことによる「こどもはこう」「男の子だから女の子だからこう」という固定観念の崩壊。
「お母さんの愛情不足よ!」をぶつけてくる奴はろくでもない。 ということを、育児書や保育の教科書の冒頭に書いておきたい。
娘の親になってからというもの、先生と恋する中高生の話も、強引な俺様キャラも、出張先で迫ってくる上司との恋愛マンガも全部無理になったし、セーラー○ーンが純粋に読めなくなってしまった。大学生が中学生のまわりうろついてたら通報するわ…。
自分がアラフォーになり「若い女性」枠を越えたのもあるよね。 未成年はもちろんだし、生徒や部下めちゃくちゃ年下の女性をわざわざ選んで関わりに行く成人男性ヤバイよ…そのときめきは偽物よ…って言いたくなる。
理由は?と言われたら、 「自分より確実に弱くて無知で従順な相手を選んでいる」ってとこよな。 まっとうな大人ならそれはしない。 対等な関係を相手に最初から望んでいないのだ。
私育児全然がんばれてない気持ちで10年走ってきたけど、 長男が朝から椅子ごと倒れて頭打って冷やしてるときに次男がトイレから「おがあさあああん!」て叫んでてふとみたら早起きして作ったお弁当を娘が捕まり立ちして落として食べてるみたいなのを日常的に1人で対応してきたのに何いってんだ。
離婚後に共同親権を!と主張する人の意見を繰り返し見るたび、 「そんなに育児したいのに、なんで一緒にいるときにしなかったの?いい関係を築きたいならなんで一緒にいるときにがんばらなかったの?」としか思えない(。-ω-)
RTうちは食パンやヨーグルト、炊飯器にごはん、ときどきシリアルや菓子パンなど、5歳でも自分でできる難易度のものを常備しといて起きた人から各々好きなものをお腹の減り具合と気分に合わせて食べているよ。同じもん用意しても食べないし。それが虐待?は?正気?
母親の育児辛いツイートをわざわざ探して「じゃあ産むな!」を言いにくる人たちは、 自らもかつて赤ちゃんやこどもで、大人に育てられてきたからいまそこに存在するという事実を真っ向から否定したいんだろうか。
昔、職場の入園式に、担当職員が一人、自分のこどもの入学式とかぶって不在なのを、施設長がはっきりいわずににごして紹介する、というのを見てモヤモヤした。 「○○先生もお子さんの入学式のため…」ってはっきり言ってよかったよな。そこにいる人全員、こどもの親なのに、仕事休んでそこにいるのに
昨日作ったスパゲッティのベーコンだけ食べて9割のこした娘に「おいしくない。バイバイしていい?」といわれ、「減らすならたべる前に言ってって約束してるやんか!もう母ちゃん作りたくない。明日から自分で作ってよ!ずっと娘ちゃんが小さいから我慢してただけなんやからね!」って泣いてしまった。
選挙は必ずこども全員連れてって見学させる。選挙ってなに?ってきかれたら、「"みんなから集めた何十兆円てお金を、何に使うかを決める権利を持った人"をだれにするかを、選ぶことだよ」って返事する。
離婚したので、また平日しかできない諸手続きが山ほどあるんだが、 これ、結婚したときも休み全部つぶして1ヶ月くらいかかったんだよな。「家族でいる」ってことは、「自分の意思と関係ない雑務が膨大になるし、それをこなす努力がいる」んだけど、一番最初にそれを、ほぼ自動的に女性が負っている。
妊娠出産以前に、ちっとも平等じゃないんだよな。 これは本当に、やらないとわからないと思う。人によったら名前も住むところも仕事も何もかも変わってしまうの。 「だってそういうものでしょ」の持つ暴力性。 それを意識できない、いわれても理解しようとしない相手と家族を続けられるか、だよな。
わたしは正直、結婚前に「姓をどうするか」を議論したら、夫の身内も巻き込んで大騒ぎになり、結婚せずに終わったとおもう。 力がある側の「そういうもんでしょ」は、それくらい強く頑ななものであるし、一方的に押し付けられる側に対して無神経だ。
そんなことない!って人は、一度冷静に回りをみわたせばいい。 結婚、妊娠、出産、育児、子の障害や不登校、親族の介護、妻の転勤に対して、自分のいままでのキャリアや環境を全部捨てて、妻をフォローすることに人生の柱を置いている男性がどれだけいますか?
追記。 「妻のフォロー」は、妻の手伝いじゃないからね。 「妻が今までのキャリアや環境を捨てなくていいように、夫が全部すてて相手に合わせる」だよ。
先週唐突に次男がそろばんが習いたいと言い出し、理由きいたら、 「俺は…俺は…かしこくなりたいんや…」と、すごく切実な感じだったので思わず即ググったら近所に良心的なお値段のとこがあり家計簿とにらめっこし「よし金はなんとかしよう」と週末体験教室行ったらやる気満々でなんと週4通うことに。
きいてくれ。 今日次男が帰り道に熱中症になったらしくて、帰宅して「しんどい、頭が痛い、足が痛い😭」ってなってる次男を長男が即クーラーガンガンに冷やして水分とらせてアイスノンで冷やして寝かせて、私が帰るまでケアしてくれてた😭😭😭
「ああどうしよう無駄にイライラする!気圧様のせいか!」と叫んだら長男に「生理のせいでは?」と返されたので、 「いいか長男、それは女を黙らすセクハラの常套句であるから、今後口にしてはならない」と伝えた。
長男と、大型台風と台湾地震の話をした。「一番迷惑なのは千羽鶴。次が古着。何かしたいなら、お金を寄付する、と覚えておいてね。お金は、一番その地域のために使われるから。ふるさと納税とかもよい。とにかくお金。迷惑なお気持ちよりお金。」と、伝えた。
うまく言えないんだけど。 「女性として生きたい」となったとき、真っ先にロングヘアーのかつらをかぶりセーラー服を身に付ける男性が、 実際その姿をした10代の女性がどんな思いで生きてるかなんて想像すらできないんだろうな、と思う。
多くの女性は、制服に身を包んだ10代のときに、多くの無神経な視線にさらされ、外見的ジャッジされ、性的な犯罪に巻き込まれ、自分が女であるだけでなんでこんな目に合わないといけないんだ?!って、ある種の絶望を経験すると思う。大人になった今と違ってとっさに対応するのも難しい。
「女性として生きてきた人」が、年を取るにつれだんだん楽になるのは、少なからず「赤の他人に性的なジャッジされる」が、減るからだと思う。 大人になった女性の中に、 「制服を着ていた10代に戻りたい女性」が、果たしてどれくらいいるだろうか。
「女性になりたい=セーラー服の女子高生」ってタイプの人が女性の気持ちを想像したとして、それは妄想でしかないよな、と思う。 本当にその「いきなり被害者にされてしまう」苦しみを知っていたら、 「身体は男性だが女性スペースを使わせろ!」の暴力性がわかるはずで、安易に言えないと思う。