2017年、『開運!なんでも鑑定団』に出演された松本零士先生は、足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』(鶴書房)の鑑定を依頼。 鑑定結果は280万円でした。同書復刻のため本を貸し出したとき背表紙に白い筋が入ってしまい、それがなければ300万円だったとのこと。
現代に姥捨てが復活する恐怖を描いた『定年退食』。そのラスト1コマが実に印象的です。ドラマ版でも原作と重なるようなラストシーンを見せてくれました。 藤子F先生はこのラストシーンについてこうコメントしていました。 「怖い話なので、ラストは明るくかくようにつとめました」 #定年退食
シンエイ動画版『パーマン』放送開始40周年を祝して、パーマン1号=須羽ミツ夫の声を演じた三輪勝恵さんが珍しくご夫妻で出演した映像をどうぞ。 #パーマン
RT 本日で日本テレビ版『ドラえもん』放映開始から50年!ということで、同番組放映前の時期に説明された企画意図と登場人物紹介をどうぞ。 ジャイアンがその他の登場人物扱い(しかもスネ夫のママの次に名前記載)なのが、現在の目から見ると少し不思議な感じです。
奈良山首相の髪型や風貌ばかりかネクタイの模様もそれっぽくしてくれているのがポイント高し😄 #定年退食
4月からNHK BSプレミアムなどで放送される実写ドラマ「藤子・F・不二雄SF短編」。 『定年退食』登場人物の原作への寄せっぷりを見るだけで期待が高まる!
松本零士先生が司会をつとめる番組に足塚不二雄(藤子不二雄先生)が出演したことがあります。
本日(2/9)は手塚治虫先生のご命日。何らかの手塚作品を読み返して偲びたいと思います。 映像は、手塚先生の訃報に際してテレビ番組のインタビューを受ける横山光輝先生。「メトロポリス」が大好きで影響を受けたことなどを語っておられます。
藤子プロさんからの年賀状! 『ヒョンヒョロ』の大うさぎちゃんは地球の社会慣習を尊重してお正月を祝ってくれてるのでしょうか。 地球人がヒョンヒョロを知らないことが判明すると新年早々街がシーンとしそうで怖い😂
藤子・F・不二雄先生の初めての短編集であるゴールデン・コミックス「異色短編集1 ミノタウロスの皿」(1977年)に収録された作品の一つが「劇画・オバQ」。 これは、F先生が「劇画・オバQ」を描いた動機を語る映像です。
『ドラえもん』を描いている漫画家は誰? 今なら当然、藤子・F・不二雄(藤本)先生という答えになるのですが、当時は“藤子不二雄”の時代。具体的にどう合作しているかは“企業秘密”としながら『ドラえもん』は2人で描いている、ということになっていました。(小学二年生1979年12月号別冊付録より)
11月11日は「たま」の日。 大正11年生まれの水木しげる先生は「たま」の曲を聴いて「こりゃ、妖怪の声だね」と感想をおっしゃいました。 さらに知久さんの姿を見て「鬼太郎だね」と笑い、石川さんには「彼は、蓑を着ればいいのに」とアドバイス?をおくっています。 #たまの日
しのだひでお先生の描くドラえもんは、一目見てパッとわかるくらい、しのだ先生の個性が全開です。 そんな、藤子タッチに寄せる気のなさについて、しのだ先生に訊いたことがあります。 不躾な質問に対し、しのだ先生はこう答えてくださいました。 #しのだひでお 先生
永田竹丸先生は1968年~73年藤子スタジオに在籍。チーフアシスタントを務められました。永田先生の席は藤本先生のすぐ脇。『ドラえもん』連載開始直前の時代に藤子スタジオにいらっしゃったわけで、藤本先生が当時の事を描いた『ドラえもん誕生』に永田先生の端正なお姿が登場しています。 #永田竹丸
「ぼくが藤子スタジオでアシスタントをやっていたと言う人もいるが、それは違う。席が空いているから手伝いにきてと安孫子ちゃんに頼まれたので、友人として手伝いに行ってただけなんだ。ぼくは(藤子先生の弟子ではなく)手塚治虫先生の弟子だから」しのだひでお先生から直接聞いた言葉です。
しのだひでお先生は、手塚治虫先生の最初の専属アシスタント4人衆のお1人。その当時からトキワ荘へ遊びに行っておられたそうです。いわゆる、トキワ荘通い組ですね。 (写真は、2018年の手塚治虫生誕90周年記念会にて。左から手塚プロ松谷社長、藤子不二雄Ⓐ先生、しのだひでお先生)
「藤子不二雄」と「しのだひでお」の名前が並列的にクレジットされた作品たち。こうした、藤子先生がネームや一部キャラのペン入れまでやって、その他をしのだ先生が作画した作品があるほか、しのだ先生が全面的に代作した藤子原作の漫画・イラスト・カット(特にドラえもん関係)が多々ありますね。
漫画家・しのだひでお(篠田ひでお)先生が8月20日、82歳で永眠されました。 しのだ先生には本当にたくさん薫陶を受け、たいへんお世話になりました。イベントでお会いしたり、お酒をご一緒したり。東京のご自宅へ遊びに行かせて頂いたことも…。感謝しかありません。 ご冥福をお祈りします。
大阪万博で手塚治虫先生がプロデュースしたフジパン・ロボット館。そこで展示された数々のロボットのうち一部が今も愛知県児童総合センターで活躍中です。先日太陽の塔の実物を久々に見て「そういえば愛知にも大阪万博で登場して今も現役の造形物がいるよな」とこのロボットたちに再会してきました。
この番組、赤塚不二夫先生やちばてつや先生の仕事場にもカメラを入れているのですが、今となって特に貴重だなと感じるのは『どっきんロリポップ』の井沢まさみ先生の仕事場を映していることです。
1985年放送のドキュメンタリー番組「漫画家になりたい!! 一筆千金に賭ける青春」を観てたら『炎の転校生』連載中の島本和彦先生が出演されていて当時から熱かったです😁
『まんが道』では、手塚先生から送られた生原稿をトレジュアボックスにしまっていた、とあります。 その“トレジュア”の現物がいま藤子スタジオから手塚プロに寄贈されたわけですね。 いつか“トレジュア”の展示を拝見したいです。
Ⓐ先生が生涯大切に保管されていた、手塚先生から送られた生原稿の数々に感涙。 『まんが道』のこのシーンを思い出して、ますます胸が熱くなり、涙がにじんできました。 twitter.com/musicrobita/st…
ビッグコミック最新号(6/10発売)の表紙に感涙
言ってしまえば、合作をしなくなった「藤子不二雄」が毎年かならず1度は合作をしていた!……それが年賀状のイラストだったのです。