吉永小百合さん。1960(昭和35)年、15歳の頃。 グラフィックソフトを使った修復・彩色加工データに、AIによる高精細化加工&色付けデータを効果的に加えたカラー化写真。 #colorization #精密カラー化
扇千景さん。1955(昭和30)年頃、姫路城にて。 ご冥福をお祈りします。 #colorization #精密カラー化
北國新聞2023年3月11日付夕刊連載「カラーでよみがえる、ふるさと」より(カラー化写真)。 1960(昭和35)年3月29日、金沢駅にて。 集団就職のため東京・上野駅に向かう夜行列車に乗り込み、出発を待つ少年たち。 #colorization
北國新聞2023年2月18日付夕刊連載「カラーでよみがえる、ふるさと」より(カラー化写真)。 1979(昭和54)年2月19日、金沢スカイビル地下、コロナロード内のゲームセンターにて。 大流行のインベーダーゲームに熱中する若者たち。 #colorization #精密カラー化
天才バイオリン少女と謳われた諏訪根自子さん。 1936(昭和11)年撮影。16歳の頃。 グラフィックソフトを使った修復・彩色加工データに、AIによる高精細化加工&色付けデータを効果的に加えたカラー化写真。 #colorization
1938(昭和13)年、海辺の少女。 ご存命であれば、現在100歳超えてますね。 グラフィックソフトを使った修復・彩色加工データに、AIによる高精細化加工&色付けデータを効果的に加えたカラー化写真。
1955(昭和30)年の新東宝映画『ノンちゃん雲に乗る』より、原節子さんと鰐淵晴子さん。 グラフィックソフトを使った修復・彩色加工データに、AIによる高精細化加工&色付けデータを効果的に加えたカラー化写真。 #colorization
北國新聞2022年10月1日付夕刊連載「カラーでよみがえる、ふるさと」より(カラー化写真)。 1966(昭和41)年9月、金沢市中橋陸橋の交通渋滞。 金沢駅近くで金石街道が国鉄北陸線をまたぐこの陸橋は、当時市内最大の交通の難所となっていた。 #colorization
1932(昭和7)年、メンデルスゾーンの『コンチェルト』を弾く諏訪根自子さん(当時12歳)。 グラフィックソフトを使った修復・彩色加工データに、AIによる高精細化加工&色付けデータを効果的に加えたカラー化写真。 #colorization
天才バイオリン少女、諏訪根自子さん(当時15歳)。 昭和10(1935)年、自宅にて。 グラフィックソフトを使った修復・彩色加工データに、AIによる高精細化加工&色付けデータを効果的に活用したカラー化写真。 #colorization
女優、京マチ子さん(1924-2019)。 グラフィックソフトを使って修整・彩色加工を施し、AIによる高精細化加工+色付けデータを効果的に加えたカラー化写真。
北國新聞2022年2月19日付夕刊連載「カラーでよみがえる、ふるさと」より(カラー化写真)。 1962(昭和37)年2月25日の金沢市香林坊交差点。 その中心に鎮座するのは、市電の切り替え操作を行う、通称「出べそ」。 この日は交差点の信号が故障し、警察官が「出べそ」の上に立って交通整理に当たった。
1954(昭和29)年「文芸プロダクションにんじんくらぶ」の共同創設者、左より有馬稲子さん・岸惠子さん・久我美子さんの3人。 久々の昭和大女優で、今年最後のカラー化とさせていただきます。ご覧いただいた皆様、今年一年ありがとうございました。良いお年をお迎えください。
北國新聞2021年10月23日付夕刊連載「カラーでよみがえる、ふるさと」より(カラー化写真)。 第29回衆院選の投開票日となった1960(昭和35)年11月20日、石川県松任町(現白山市)御手洗(みたらし)地区では午前8時すぎからリヤカーを総動員し、年よりたちを乗せて投票所へ向かった。 【掲載許可済】
北國新聞2021年9月4日付夕刊連載「カラーでよみがえる、ふるさと」より(カラー化写真)。 【掲載許可済】 1958(昭和33)年8月26日、「世界動物博覧会」に向けて動物たちが特別仕立ての貨物列車に乗って金沢駅に到着。会場までのゾウの運送路となった金沢市本町の通りは見物人でごった返した。
#これでフォロワーさん増えました 昭和の大女優、有馬稲子さんのカラー化写真。 1957(昭和32)年の松竹映画『黒い河』撮影中の新宿駅でのスナップ。 モノクロの世界で、有馬稲子さんの迫真の演技が輝いていました。
原板はこちらの白黒写真です。 「金魚屋さんがテンビンを肩に金沢の町を流し始めた」。 1963(昭和38)年4月24日付の北國新聞より。
北國新聞2021年6月12日夕刊「カラーでよみがえる、ふるさと」より(カラー化写真)。 1963(昭和38)年4月、金沢市本多町を流す金魚売り。 当時はいろいろな商売人がまちを歩き、さまざまな声や音色、匂いがまちに流れていた。
北國新聞2021年5月15日夕刊「カラーでよみがえる、ふるさと」より(カラー化写真)。 1960(昭和35)年4月17日、石川県の宇出津。 国鉄能登線が開通したこの日、通りは祝賀行事に押し寄せた4万人の人波であふれた。 夏のあばれ祭で繰り出す大キリコの他、仮装行列や獅子舞、旗行列が祝賀行事を飾った。
#お気に入りの縦長画像を見せよう 明治期の壮大な博多祇園山笠(カラー化写真)。 舁き山笠行事は残念ながら今年も延期とのこと。 来年こそは、疫病退散で開催してほしいですね!
北國新聞2021年4月3日夕刊「カラーでよみがえる、ふるさと」にて、白黒写真のカラー化を担当させていただきました。 1959(昭和34)年1月2日の初売りで賑わう金沢市片町。旧大和(現・片町きらら)から香林坊交差点へ人並みが連なる。
今日10月10日は、戦前から'70年代まで活躍された女優 #橘公子 さん99歳のお誕生日です。 お元気でお過ごしでしょうか? 写真は『映画情報』1937年12月号に掲載された16歳当時の白黒写真をカラー化したものです。
今日8月21日は、戦前の女優 #園井恵子 さんの命日です。 宝塚退団後、所属していた移動劇団「桜隊」が当時慰問活動の拠点としていた広島市で1945年8月6日原子爆弾投下に遭い、無傷で助かったものの、8月15日の終戦を迎えた後、21日に原爆症(放射線障害)のため32歳の若さで亡くなられました。
昭和を代表する伝説の大女優、#原節子 さんのカラー化写真。 1937年(昭和12年)の日独合作映画『新しき土』より。デビュー間もない16歳でこの完成度に驚きです。 グラフィックソフトによる修整・彩色加工後、AIによる高精細化加工+自動色付けデータを効果的に加えた「ハイブリッド着色」。
日本ではあまり評価を受けることはありませんでしたが、欧米とは全く異なる日本の風俗・習慣・風景をカラー化した写真は外国人観光客に喜ばれ、蒔絵を配した表紙のアルバムが横浜の波止場から帰国みやげとして多く旅立っていったそうです。