息子の言いたいことが、ちょっとだけ分かった気がした。#僕らには僕らの言葉がある (1/3)
ろう者の真白は、片手が塞がってると手話ができなくて話ができない?聴こえる人みたいに手を繋げなくてかわいそう?いいえ、そうではありません。(※個人の一例として描いています) #僕らには僕らの言葉がある
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「聴こえるキャッチャー」と「聴こえないピッチャー」がバッテリーを組む話(1/6) #僕らには僕らの言葉がある #漫画が読めるハッシュタグ
英語を勉強し始めた中学生の頃、「英語って、日本語に比べるとなんか風情がない言い回しになっちゃうんだなぁ」と思っていた。それが英語という言語そのもののせいじゃなく、自分自身の語彙力と知識の貧弱さによるものだと気づいたのはずいぶん後になってからのことです。
日本語のニュアンスをそのまま持っていけないからといって、その言語を「風情がない」「豊かでない」と判断することの傲慢さにあのときの私は気づけなかった。母に「それはあなた、傲慢よ」と怒られた意味が全然わかってなかった。つくづくもったいないことをしたと思います。
日本語とは違う言語やそれに付随する文化を学ぶことは、日本語とはベクトルの違う豊かさを学ぶということだと今は思っています。日本手話や、ろう文化についても同じです。「日本語と同じようには表現できない」という事実がそこにあるだけであり、そこから別の形の豊かさを知ることができるかどうかは
自分自身がどう学ぶかにかかっている。中学生の私を「傲慢だ」と叱った母はそれを言いたかったんだと思います。こんなにいい大人になって、やっと自分の言葉にできた!あの時も今も「日本語ではない言語」に向き合って勉強しているところが同じなのはなんだか不思議…
#僕らには僕らの言葉がある 「耳が自由」って、どうして言わないの? (ツリーに日本語意訳有)