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イワナフランカ再び。通りの西の端、線路に最も近い一角には、60代前半のヴィクトルとユーリのパブレンコ兄弟が暮らしていました。2人とも子どもはいたようですが、ロシア軍侵攻時は兄弟それぞれ独り暮らし。実家は煉瓦造りの家ですが、弟が西側にログハウスを建てて独立したようです。
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ウクライナ中部ヴィンニツァに暮らす4歳のリザと母イリーナ。リザはダウン症で、言語療法からの帰り道、ミサイル攻撃に遭った。リザは死亡、イリーナは重体。 twitter.com/StratcomCentre…
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ヴィンニツァへのミサイル攻撃の犠牲となった4歳のダウン症の少女リザは、クリスマスビデオの撮影で大統領夫人オレナ・ザレンシカと会っていた。リザ自身がビデオに登場するという。大統領夫人のツイート。 twitter.com/ZelenskaUA/sta…
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ロシア軍のミサイル攻撃を受けたミコライウの大学で、被害の後片付けをする女性たち。ウクライナ社会は強靱だ。 twitter.com/ngumenyuk/stat…
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ヴィンニツァへのミサイル攻撃で4歳の娘リザちゃんを失った母イリーナさん、意識を回復。娘の死を知らされたが、攻撃時の模様は記憶から抜け落ちているという。「私たちが殺されているのに、なぜ世界は黙って見ているのか」 reddit.com/r/ukraine/comm…
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フランスの橋梁会社マチエール、仮設橋梁36基をウクライナに寄贈へ。戦場ではまず橋が落ちる。ウクライナでも多数の橋が落ちて交通に支障を来しており、復旧が急務。 twitter.com/nexta_tv/statu…
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ウクライナの農夫、砲撃の中で収穫。 twitter.com/visegrad24/sta…
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ロンドン猛暑。我が職場にもついに冷房が導入されました。
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ロンドン在住のクウェート人と言葉を交わす機会があった。「40度が何だ。俺んとこなんか今日は50度だ」。幸不幸は相対的なのだと実感した。
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英議会でのジョンソン最後の質疑の後、満場の拍手の中で、前首相テリーザ・メイは拍手せず。 twitter.com/SkyNews/status…
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ウクライナの親ロシア派支配地域で、住民が無理やり徴兵されている実態が住民の証言から明らかになりつつある。親ロ派地域に住む友人たちが、徴兵されないように夫や息子を自宅に隠し続けている。 asahi.com/articles/ASQ7P… #ウクライナ情勢
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英国には、議会承認の国葬と、女王の合意に基づく国民葬があります。国葬は、王族では前国王ジョージ6世の1952年以来なく、王族以外では戦後だと65年のチャーチル元首相だけ。ダイアナ妃やエディンバラ公フィリップ殿下、2013年のサッチャー元首相は国民葬でした。 asahi.com/articles/DA3S1…
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キーウ近郊ブチャの街外れイワナフランカ地区からの報告の続編です。写真左手の1番地の一角に残っていた5軒11人がロシア軍に殺害されました。このうち、民主化運動の活動家だったシドレンコ夫妻と、インテリのパブレンコ兄弟については、すでにご紹介した通りです。以下はその他の7人の運命です。
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イワナフランカ1番地の家屋には、2世帯4人が住んでいました。シャピロ一家の3人と、ヤムロレンコ家の1人です。両家はいとこの関係でした。4人ともなくなって主のない家は、6月になって緑に覆われていました。
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ウラジーミル・シャピロさん(59)。工場の技師でした。非常に穏やかな性格だったといいます。この一家3人は、ウラジーミルさんだけロシア語話者、他の2人はウクライナ語話者でした。ウクライナではごく普通のことだそうです。
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妻のタチアナ・シャピロさん(57)。この地区の子どもたちが通うブチャ第2学校の教師で、小学校相当の子どもたちにウクライナ語などを教えていました。近所で評判の人格者で、途中の大通りを渡るのが危ないからと、毎朝子どもたちを集めて一緒に登下校していたといいます。
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この地区で会った住民の多くが、タチアナさんを懐かしみました。「あんな素晴らしい先生は他にいない」と涙ぐむ人も。いかに慕われていたかがわかります。
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息子のアンドレーさん(34)は、音楽学校を出て、声楽の教師をしていました。バリトンだと思われますが、地元の教会や集会所で催されるイベントに歌手としてしばしば出演し、歌を披露していたといいます。大変穏やかな方だったと近所の人は話していました。
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オレグ・ヤルモレンコさん(48)。会社勤めで、朝早く出勤し夜遅く帰ってきていたといいます。ウラジーミル・シャピロさんとはいとこ同士でした。
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住民たちの何人かは、同じうわさを口にしました。ロシア軍はシャピロ家を拷問にかけ、タチアナさんの目の前でウラジーミルさんとアンドレーさんの脚を切断し、最後にタチアナも殺害した、と。単なる想像とは思えないほど、描写は具体的でした。
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シャピロ家、ヤルモレンコ家の4人は、シドレンコ夫妻とともに一部手足を切断された状態で、通りの先の樫の大木の下で焼かれました。遺体の損傷が激しく、シャピロ家は長らく行方不明だと思われていましたが、遺体の検査から身元が判明したと言います。
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ひとまず拙稿。また続きます。 digital.asahi.com/articles/ASQ7K…
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こちらは前編です。 digital.asahi.com/articles/ASQ76…
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第2次大戦の廃虚から再出発した欧州は、人命を貴ぶ精神を培い、命の価値を徐々に高めてきた。着実に根付いたかに見えたこの理念を、ロシア軍は平然と踏みにじった。ロシア軍を撤退させるウクライナの戦いは、命の価値を取り戻す闘いである。しっかり支えたい。拙稿コラム。asahi.com/articles/DA3S1…
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拙稿コラム。イワナフランカで砲撃や銃撃に巻き込まれて亡くなった人はいません。ブチャ全体でも、犠牲者の大半は戦闘と関係がありません。つまり、戦いをやめるだけでは、第2のブチャは防げない。平和を手にする唯一の方法は、即時停戦などではなく、ロシア軍撤退なのです。 digital.asahi.com/articles/DA3S1…