性自認というのは「言ったもん勝ち」みたいなことではなく、その人がどう生きてきたか、社会でどう暮らしてきたかをきちんと尊重するということです。○○のふりをした○○がのさばる、みたいな悪魔化を延々とやっているのは差別者だけ。
「陰湿で不誠実で嗜虐的」などと表現するのがよいと思っています。
ほんとうに、みなさん批判の対象を「頭おかしい」とか「病気」とか言いすぎ。それはダメです。
ずっと繰り返されている「トイレの安全が脅かされている」という話も、いま広まりつつある代理出産に反対する話も、それ自体は理があるとしても、トランスジェンダーや同性愛者を攻撃する口実に用いられているので非常に悪質です。そういう話をしているアカウントの過去発言をよく見てください。
いまcolaboに対してなされていることは手続きの正しさに関する批判などではなく、女性差別に加担してきた人々からの理不尽で執拗な攻撃であって、これほど多くの人が筋違いな恨みを女性に対して抱き、攻撃に加わっているという状況が本当にひどい。
構造的な女性差別の被害者たちを救うための活動が、まさにその差別構造を支える人々から執拗に妨害されつづけている、という状況を都はもっと深刻に受け止めなければいけない。
こういう人たちのトランス差別の先には、女性差別もあるということです。
ここしばらく、トランス差別を煽るハッシュタグがトレンドに上がったりしているけれど、いま起こっているのは、トランス差別への「右派」の本格的参入です。外国人差別や女性差別に加担してきた人々が、LGBT法案を敵視する連中の旗振りにのっかって、トイレの話やスポーツの話を持ち出している。
長年にわたり女性差別に加担してきた人々が喜々としてColabo攻撃に加わる様子がどんどん可視化されているけれど、そもそも、会計についての疑惑追求などというのは建前で、はなから女性差別の嫌がらせだったということをあらためて指摘しておきたいです。
表現の絶対的な保護を要求しつつ、表現の力をとことん軽視するというのは、いったいなんなんだと思っちゃいますね。
人間はふつう現実とフィクションを混同しますよ(どちらも人間にとっての現実ですよ)、どっちからもすごく影響を受けますよ、ということは何度でも主張しておきたい。
人権や、人間に対する敬意をごっそり捨象したものを「リアリズム」と称して差別や思考放棄のいいわけに使うことが流行りすぎているんですよね…
この国では、生存のために必要な金を得ることがどんどん困難になっている。それは全体的に政治の失敗です。にもかかわらず、この社会は、困難に直面した人間に憎悪と軽蔑を向ける傾向がある。 自己責任論はほんとに社会の毒。
この漫画のような状況を喜ぶのはいったい誰なのか、ということが重要なのだけれど、そこには作者の意識が向いていないのか、わざと無視しているのか。 twitter.com/mitarai_4shi/s…
「ロボット/AIが人間から仕事を奪う」という常套句的な未来予測が現実にどういう形で進行するかをわれわれは配膳ロボの運用を通して見ているわけですが、「なんの報酬も求めず、けなげに楽しげに働く」ふりをする物体と、賃金労働をする人間がおなじ業務につく状況は本当にキツいなあと思います。
消費税を上げたり皆保険制度を崩そうとしたりしている権力者たちは、「活動家」全般が世間の支持を得られなくなる状況をすごく歓迎するし、その状況をさらに進めるためにいろいろ手を回しもするでしょう。
ゴッホの絵の件は、あれがガラスで保護されていたから選ばれたのであって、あの人たちに絵を損傷させるつもりは毛頭なかった、という話をしてもいいけれど(そこはちゃんと広まってほしいところではあるけれど)、世間の「活動家アレルギー」みたいなののおかしさをまず問題にしたいですね。
「なんで左派は嫌われるのか」などと嫌うほうの主体がなんなのかをぼかして書けちゃう人はそりゃもう右派だろうと思うけど、自己イメージとしては完全にそこが透明なんでしょうね。自分の立ち位置を一切意識しないですむマジョリティの「ふつう」、デフォルト、「中立」…
・権力をもつものは、自分たちの優位を維持し、批判や抵抗運動を斥けるために、「迷惑」や「暴力」の定義をいくらでも変えることができる。嘲笑する人々は、おのれの優越感のためにこの定義変更に迎合する。
「国」のところには権力をもつ主体ならなんでも代入可能です
「他人に迷惑をかけなきゃいいよ、でも、あなたたち、迷惑でしょ?」というのが社会運動を嘲笑したり敵視したりする人がよく言う決まり文句だけれど、 ・そもそも国がわれわれに迷惑をかけている ・あなたの考えるような「迷惑行為」によって勝ち取られたたくさんの権利に、あなた自身も守られている
マジョリティは、マイノリティの価値観を「へんな考え」とみなしがちで、ゆえに、差別や抑圧や権力からの暴力に抵抗する運動を「へんな考えをもったやつらが身勝手なふるまいをする」と受け取りがち。自分の価値観が唯一ではないという思考訓練が足りないのであり、そういう怠惰は許しちゃいけない。
これで開発者に女性が含まれていたりすると(実際にどうなのか全然知りませんが)、ほら女性だって認めてるじゃないか、みたいな援護論が出てくるものだけれど、そういう話ではないです。ジェンダーバイアスを強化するな、ということに尽きます。
現実の女性のかわりに女性ロボットがこういう役目を担うのはいいことだ、と言ってる人がいるけれど、「身代わり」をつくることが解決策になるという考えが間違ってるし、そういうことをやってると社会における女性の扱いはむしろ悪化するはず。 twitter.com/nhk_news/statu…
デマがどんどんひどくなっているので、ぜひこういう検証を読んでください。 blog.livedoor.jp/kudan9/archive…