寝室で横になっていたら、5歳の娘がやってきて「遊んでよ!だってパパはいつかおじいちゃんになって死ぬんだよ」と言われたので遊びました。
アメリカのコメディアンが「自分は表立って差別はしない。でも『エッ』となる瞬間があるんだ。例えばピザ屋に入った時、店員が全員黒人だったら『エッ』ってなってから『何も問題はない、珍しいな』となるんだ」と言っていたんだけど、内なる小さな差別感情について上手く掬い上げているなと。
おれは妻に可愛い可愛いと言われて暮らしていたので、このところ何となく自分は可愛いもんだと思っていたのだが、数年前に娘から「お父さん別に可愛くないよ」と言われ大ショックを受け、写真と鏡を見返したらたしかにまったく可愛くなかった。
妻は10代まで、ずっと自己肯定感が乏しい人間だったようだけれど、駄目人間優勝候補であるところの僕と付き合うことで「自分は必要とされている!」と肯定感が上がり、良い影響があったようだ。自己肯定感に乏しい人はぜひ駄目人間と付き合ってみて欲しい。ペットと違って途中で捨てられるので。
定時制高校時代に何度か友人と「おれらは将来どうなるのか」みたいな話をしたことがあるが、友人の中国人の「日本は警察も刑務所も拷問しないから何も心配することはない」という話でいつも終わってしまった。
ここ2週間Zoomで会議してるけど、みんな結構、後ろで子どもの声が聞こえるんだよね。最初違和感あったけど、本来そっちの方が自然じゃないか、家庭のために仕事しているのに、そういったものと切り離されて、会社員としての振る舞いだけを見ていた方が不自然だったんじゃないか?って思うようになった
「元気なときにやろう」は30代半ば以降になると「元気なとき」が無くなるので何もできなくなってしまうということがこの一年ほどでわかってきた。
妻に「そんなにTwitterで呟くことある?」って聞かれたけど「あるというか、起きてる間ずっと一人で呟いてて、その一部を書き込んでる感じなんだよ」って答えたら引かれた。
娘が「なんでパパとママは子ども2人産んだのに生きてるの?」と質問してきて思わず「鮭じゃねーよ」と答えた春の夜でした。
そうした小さな偏見と差別感情について「それを堂々と出すのは止めようか」という前提があって、その上で小さな偏見と差別感情は誰にでもあって、自分もちょっとしたきっかけで出てしまうかもな、という認識があった方がいいと思っているし、あまり他人のそれを声高に糾弾したいとは考えていない。
みんなそんなに簡単に小さな差別感情を捨てられるのかって話。コメディアンは「人通りの少ない道で一人、フードを被った黒人が前から来る。『エッ』となるんだ。深呼吸して『大丈夫、問題ない』と自分に言う。でも、『エッ』ってなるんだよ」と続ける。自分の心の自然な動きと、どう付き合うのか。
日本人だったらというか僕は、接待で予約した和食の店に入って、明らかに店員が全員外国人だったら「エッ」となると思うんだよ。フランス料理店に入って店員が全員日本人でもそうはならないと思うんだけど。
妻がワクチン2回を終え、実家の両親と祖母も終えているので、昨年生まれた娘を連れて里帰りしようとしたところ、東北の山奥ではワクチンなど関係なく疫病が怖れられ、隣町との行き来も憚られており、「とても無理だ」と言われ断念した。
でも、そうした無害ともいえるほど小さな、誰にでもある偏見と差別感情の積み重ねが当事者には耐え難いハンディになってたりはするのだろうというのは、日本で成人男性サラリーマンをやっているオッサンとしては想像はしておきたいなという……。
「女の子とエロいことしたいな〜」 という動機一点で妻と仲良くなり、恋愛、職、金、結婚、子ども、マイホームその他がある。僕の人生で人生で役に立ったのは「女の子とエロいことしたいな〜」という気持ちだけですわ。
性欲があるから、エロいことがしたいから、大学の授業で隣になった女の子になんとか必死に話しかけたんじゃ。おかげで共通の友達もできたし、今も仲良くしとる。それからその子と付き合って、エロいことして、結婚して、エロいことして、子どもが2人産まれて大きくなっとる。妻のことは今も大好きじゃ
殺人や障害致死なんかの記録を読んで一番印象的だったのが、刃物を持ち出した被告人の「刺すぞ」に「やれるもんならやってみろ」的なことを言って刺されている事件ってたくさんあるんだってこと。映画や漫画と違い「クッ、クゥ〜」とか泣いて刃物を落としてはくれないことが多いみたい。
「俺はどっちも『エッ』とならないぜ」みたいな人もいると思うんだけど、僕の場合、ピザ屋に入って店員が全員黒人でも「エッ」とはならないし、多分そのコメディアンも和食店に日本人がいなくても「エッ」とはならないと思うんだけど、そういうことじゃなくて。
「お腹の子に問題がある」と聞いたのは初夏で、予感めいたものなんてなかった。マジでなにひとつなかった。その日は土曜日で、月に一度のいつもの定期健診。産休に入った妻は1人で産婦人科に行き、僕と4歳の娘は家で留守番だったから、庭で遊んでた。
娘をお風呂に入れたあと「自分で背中拭いてよ」とバスタオル渡したら「背中って、パパにしか付いてないんじゃない?」と返されて、よくわからんので「それって、おとーさんには背中あるけど、君に背中はないってこと?」と聞くと「そう、だって見たことない」という。気になる発言だな…
なんとなく仕事をはじめてから人と知り合うと、「学歴」「年収」「会社での役職」「会社の規模」「職業」みたいなものに、誰しも犠牲を払って打ち込んでいて、そこに僕が興味なくとも敬意を払うべきというルールがあることに気づいたというか、敬意を払わないと相手を不愉快になさせちゃうんだよね。
たすけてくれ。あまり人には言えないが、自慰以外の趣味はそんなに無いんだ。おれは仕事をはじめていきなり始めた一人暮らしで金もなく、TVもPCもなかったから、自慰のために会社支給の携帯電話で官能小説携帯サイトを見続け13万円の携帯代を会社に支払わせた男なんだ。おれのエロを守ってくれ。
本日借金玉さんとの裁判が始まりましたが、なんと裁判において、借金玉さんは「自分は借金玉じゃないかも知れないからこの裁判を受けたくない」という答弁をしています。 違うなら違う、そうならそう言えば良いのですが、弁護士の先生と裁判官を困惑させる動きのようです。
コロナ、平均年齢が80歳くらいの集落の人からすると、誇張なく死亡率20%を超える疫病なので、恐怖の感覚が違うのは仕方ないのだろう。要介護者が複数いたり、ひとり倒れればすべてが崩壊する状況の家も多い。
本日、借金玉氏(『発達障害サバイバルガイド』など)が所有する企業、株式会社Torch(東京都新宿区高田馬場 法人番号0104-01-108269)から、私のツイートが違法であるとして、1,650万円を払えとの訴状が届きました。私は違法行為をしておらず.到底納得のできない内容のため裁判で争うこととなります。