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やっと2週間の自宅待機期間が終わって、母はまず仕事の処理に没頭。僕も迷惑かけっぱなしだった職場へ出社。
まずは溜まっていた色々をがむしゃらにやった。
親戚もみんな心配していたから、明日みんなで病院へ行き、モニター越しでお父さんを応援しようと話していた。
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僕も母も何もできない。
せめて面会にと思っても、僕たちは外出も出来ない。
母は電話が鳴るたびにまた何か悪い連絡が来たのではと震える。病院からの電話がなくても、もしかしたら急変の電話があるのではないかと夜も満足に眠れない。ご飯も全然食べられなくなっていた。
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その電話が、父と交わした最後の会話になりました。
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入院した父はきっと暇だったのでしょう。
母によく電話をしてきました。いたって元気な声でした。
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もちろん、これ以上の感染の拡がりが起きないよう、僕も母もすぐに自宅待機とし、2週間の間一歩も外に出ず、食料品の買い出しなどは兄がして家の前に置いてくれていました。
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それでももしかしたら戻ってこれないかもしれないという気持ちもあったのでしょう。母と今後のことをいろいろと話していました。
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家は自営業だから、対応しなければならない仕事もあるのに全く進められない。二人でずっとため息。朝起きて、ずっと電話におびえながらすごして、夜寝る。末期はずっとそんな感じだった。
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最後に、お父さんこれまでたくさんたくさんありがとう。
ずうっと仕事頑張っていたから、どうかゆっくり休んでね。本当にお疲れ様でした。
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不安を拡大させるだけではないか、という気持ちもありましたが、一人でもこんな経験をする人が減ってくれればと思っております。
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こういうところに書いてどうするんだろうと迷っていたけれど、相談した結果、発信しようということで踏ん切りをつけました。暗い内容で長文になるかと思いますが…申し訳ありません。
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昨晩の発信を多くの方に受け止めていただき、また温かいお言葉を頂戴し、本当にありがとうございます。数が多く、個々へのコメント・返信は控えさせていただきますが、一つ一つ読ませていただいております。
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まずは弟の家族ですが、おなじく自宅待機を徹底していたこともあり、幸いにもそれ以上に感染が拡がることはありませんでした。
家への移動も自家用車だったため、公共交通機関も使用しておりませんでした。年末から休みでしたので、そこからの他人様への感染はなかっただろうということです。