おれんと@まんどら(@OrentTreant)さんの人気ツイート(新しい順)

まずは弟の家族ですが、おなじく自宅待機を徹底していたこともあり、幸いにもそれ以上に感染が拡がることはありませんでした。 家への移動も自家用車だったため、公共交通機関も使用しておりませんでした。年末から休みでしたので、そこからの他人様への感染はなかっただろうということです。
不安を拡大させるだけではないか、という気持ちもありましたが、一人でもこんな経験をする人が減ってくれればと思っております。
昨晩の発信を多くの方に受け止めていただき、また温かいお言葉を頂戴し、本当にありがとうございます。数が多く、個々へのコメント・返信は控えさせていただきますが、一つ一つ読ませていただいております。
最後に、お父さんこれまでたくさんたくさんありがとう。 ずうっと仕事頑張っていたから、どうかゆっくり休んでね。本当にお疲れ様でした。
ニュースを見ると、所によっては治療を受けられないままに亡くなるなどの本当に痛ましい状況が起こっているようです。どうかこの状況が少しでも改善されますよう、祈ります。
幸いにも僕たち家族はすぐに検査を受けられ、すぐに入院治療を受け始めることが出来ました。結果的には命を落としてしまいましたが、病院の皆々様にはただただ感謝しかありません。
それから、今回のコロナですごく恐ろしく思ったのが、父は重症病床に移る直前まで、息が苦しいとかそういう自覚症状が全くなかったのに、実際は致命的な状況にあったという事実です。
だから、つらいけれど寂しいけれど、まだまだ親に会いに行っちゃいけない。自分は気を付けてるから大丈夫、じゃないのです。ほんの少しの油断から、もう絶対に取り返しのつかないことになってしまうことがあるんです。
話がそれましたが、僕が言いたいことは一つ。 みんな生活があるのだから、感染対策を気を付けてやっていくしかない。外食とかお付き合いもいろいろあるでしょう。でもたとえどんなに気を付けていても、やっぱりどこかに油断はあるものです。
父本人が許したのです。母も僕ももう何を言うこともありません。先を向いて歩いていきます。 弟にはもう、守るべき家族がいます。 危険と隣り合わせの仕事をしています。 もし仕事中に変なことを考えて失敗をしたら… 母も僕も、それこそ許しません。 そんな話をしました。
俺は一生兄貴や母ちゃんに恨まれるだろう。自分も自分をずっと恨んでいく。そう言って泣きました。
弟もしっかりとコロナ対策をしていました。消毒はもちろん、家に来たあとも当然マスクを着用していて。しばらくすると発熱もおさまっていたからと、一緒に食事を。 これが結果的には命取りになってしまった。
僕も母もそれは当然思っています。何度も自問自答しました。なんでこんなことになったんだろう。 弟は家を出たときには全然なんともなかったそうなのですが、こちらに向かっている途中に発熱を自覚していたそうです。でも、じぃじじぃじ久しぶりだと喜んでいる子どもたちを見て、引き返せなかったと。
それでも、弟は言いました。 俺がお父さんを殺した。 俺が帰っていなかったら、お父さんは死ななかった。
父は入院する前から、そして母と最後に電話をした時にも、また入院先で弟本人にも繰り返し言いました。 お前だけが悪いのではない。自分たちにも油断があった。 たとえ自分がこの先どうなっても、絶対に責めるな。
結論から言えば、時期的なことを見ればお察しのことと思いますが、このお正月に実家に帰ってきていた弟が新型コロナにかかっていて、一緒に食事をしたことです。 弟本人が、こうして発信することを望みました。
一番発信したいのはここからです。 そもそも、どういう事情で濃厚接触者指定を受けたか。
病気で亡くなった遺体といえば、やっぱりすごくやせ細った姿になっていると思うけれど、父は全然そんなことなくて。ほんとにいつもみたいに大口開けていびきかいて眠ってるみたいにしか見えなかった。 病院に入院してから、たった2週間。信じられない。
遠目ではあったけれど、霊柩車で運ばれるタイミングのところで、袋に包まれて棺に入って眠る父の顔を遠目から見せてもらえた。病院や霊柩車の方々は皆様すごい重装備。頭が下がる。
事情を伝えたところ、病院がすごく便宜を図ってくださって、受け入れ先が見つかった。 これが感染症で亡くなるということなんだなという現実を突き付けられたと思う。
火葬その他の手配については最初、僕たちの家でお世話になっていた葬儀社に依頼をした。コロナでの死亡だから対応してもらえるか心配していたから、最初受け入れてもらった時には安堵していたけど、その後、やっぱり受け入れられないという連絡が来たのはとてもショックだった。
それからは正直あまり覚えていない。 母と二人で葬儀の手配をしていたと思う。 新型コロナによる死亡ということで、当然お見送りをすることは許されなかった。父の遺体はすぐに火葬となるのだそうだ。
そして翌朝。 父の容体が急変の連絡があった。 とにかく母と僕だけでもすぐ病院へ行こうと支度をしていたけれど、また連絡があり、父が旅立ったことを告げられた。
やっと2週間の自宅待機期間が終わって、母はまず仕事の処理に没頭。僕も迷惑かけっぱなしだった職場へ出社。 まずは溜まっていた色々をがむしゃらにやった。 親戚もみんな心配していたから、明日みんなで病院へ行き、モニター越しでお父さんを応援しようと話していた。
家は自営業だから、対応しなければならない仕事もあるのに全く進められない。二人でずっとため息。朝起きて、ずっと電話におびえながらすごして、夜寝る。末期はずっとそんな感じだった。