本日の山本太郎氏のネット声明発表と「囲み会見」については、7日・8日の党サイト上での山本氏の「代表声明」と併せて、今夜以降、さらに継続的な考察を、私のブログに発表します。御覧いただければ幸いです。 山口泉ブログ『精神の戒厳令下に』auroro.exblog.jp
木村英子さんの「声明」は、大西発言への透徹した批判であると同時に、自らの所属する党派の存在の根拠そのものを真摯に問い直すもの。山本代表はじめ党派メンバー、木村声明が出るまで、大西発言に関して沈黙してきた〝応援文化人〟らの良心が質されている。今後の事態の推移も、なお予断を許さない。
それにしても、この木村英子さんの懸命の「声明」に対してすら、早くも出てくる不可知論・判断停止・擬似客観主義・似而非〝公正中立〟・融和主義の恐ろしさ。「差別」に〝中間〟はあり得ず、個別の案件ごと、被害当事者と共に闘わない限り、見て見ぬ振りを決め込む者を含め、程度の差はあれ加害者に。
また〝本人が望んだ〟ことを理由にその死を容認してしまえば、それは「死を望まない人」に対しても必ずや〝有用性〟や〝周囲の引き受ける負担〟を「背景」とした有形無形の圧力を及ぼす。そしてあたかも〝自発的意思〟であるかに見せかけながら、実は社会からの〝強制〟にほかならない死を招き寄せる。
本来は「生きたかった」はずの者が「死を選ぼ」うとする状態に立ち至っている時、社会はその当人の苦悩・困難を取り除き、少なくとも緩和し軽減させ、あくまで「死を避ける」ための総力を挙げるべきである。それを〝本人が望む死ならやむを得ない〟と「諒解」してしまう思考は重大な誤謬に陥っている。
野原善正氏「離党」問題。「大西除籍」総会に関しての、主体性を欠き混乱した情緒的対応から現在まで、そもそも何より重大な大西発言自体への野原氏自身の見解が全く表明されていない。党組織の論議以前に、少なくとも国会議員を目指した立場としてこの是非の判断を明確にするのは最優先の責務だろう。