「フン……」 「(言葉に若干棘がありましたかね?)まあ一人で行かせてくれと言ったのは私ですがね。何なら~」 「そうはしゃぐな鬼鮫」 (よしいつもの空気に戻せましたね) 気遣いの男鬼鮫
(グッドフューチャー~~~サスケの未来 グッドフューチャー~~~)
ミオミオのビビりはやった行為そのものというよりはやった後のスレッタのマジでまるで気にしてない様子によって、これまで親友だと思っていた相手が自分とは全く異なる価値観によって駆動している異星人めいた存在に見えた事によるものだよね。
ミオミオの想定していたあるいは望んでいた反応 スレッタ「ミ、ミオリネさん……ぶ、無事ですか……」(人を殺したショックで青い顔してがたがた震えている) こんな感じならミオミオもスレッタを抱きしめながら「アンタは悪くない。アンタは私を助けてくれたの」とか言えたんだろうけど……ね!
ここのミオミオの何が秀逸かって、直接的には初めて人が死ぬところを見たシーンであり大切に想っていた親友がそれを為したところを見た事によるショックなんですが、同時にこれまでの彼女の生活の陰でこういう事が行われていたわけでそれを彼女が知ったシーンでもある点ですよね(箱入り娘からの卒業)
ミオミオを庇護してきた「お父さん」であるデリングはプロローグでこれを非戦闘員であるヴァナディース機関の面々に対してやる命令を下した張本人なわけですからね
スレッタ、相手を叱る時は基本的に「お母さんに教わらなかったんですか?」でお母さんの教えを基軸にしており、そのお母さんがそれをする事を推奨したのでそれは咎められるような行為ではないという認識になる、なるほど。
気が強くて頭が良くて父親も権力者で社会的成功を掴む事だって容易いんだろうなって感じのお嬢様がそういうのを一切意に解さない純粋な暴力を目の当たりにした瞬間の表情はたまらんぞい。
プロスぺラマッマのヤバさを暗示してデリングの不器用な父親ぶりを12話は押し出したわけだけど、忘れる事なかれ彼女をこんな風にしたのはそもそもデリングだもやるんやろうな
逃げれば一つ進めば二つ、苦難の道を覚悟を抱いて切り拓いて往く事こそが進む事なのであって、覚悟を抱いてないならそれは進んでいないし逃げてもいない、ただ楽な方に流されているだけって事なんだと思うのよな。
公式「水星の魔女第1クール最終話、逃げ出すよりも進む事を」 YOASOBI「ち、ちが!私そんなつもりで歌ったんじゃ!!」 #第二クール最終話でちゃんと祝福になるはずだから
スレッタの幼さ、プロスぺラが意図的にそうしたというよりは水星の過酷な環境がそうさせてしまったみたいな部分が案外大きいのかもな>周りはみんな余裕のない大人で同年代の子どもがいない。余裕がないからちゃんと役に立つところを見せないとならなくて役に立つ存在である事に拘る
「誰もが不快と感じないキャラ」、自分の快が誰かにとっての不快となる事をまるで考慮していない傲慢さに満ち溢れていてウフフってなる
型月に限らず公式くんはたまにそういう事をやらかしてくる時があるから公式は絶対みたいなのには割と懐疑的です>いやそれやったら諸々台無しでしょ #適度に自分の記憶を改竄していけ
6話のグエルを見る視聴者:お前がどうすんだよwww(たくましく面白街道を歩んでいきそうな希望と期待に満ち溢れている) 12話のグエルを見る視聴者:お前はどうなっちまうんだよ……
NARUTO世界の自来也、未来のネットでコナン・ドイルみたいな扱いされてそう 自来也「渾身の小説が売れんかったのう。次回は小遣い稼ぎに官能小説でも描いてみるかのう」 「「「イチャイチャパラダイス最高!!イチャイチャタクティクス最高!!!」」」
残念でもないし当然。会談の場で取りまとめ役の中立国の人間に幻術をかけた近視眼的なアホに対する順当な評価と言える
イタチ「そんなお前にはサスケを殺さずに木の葉に連れ戻す事が出来るシスイの眼をやろう」(イタチポイントが規定値を超えたので)
>油淋鶏がめかぶに変更 自分が当事者だったら絶対この心境になる
これを見た上で愛する里の者がナルトを迫害するところを見せられた三代目ェ……
(いや本当に最悪の気分ですよねぇアレ)
あらゆるキャラがボコスカに叩いた後作った当人がそれをまるで気にせずにネタにしていた読者もドン引く本来の使用方法が開帳されるの、散々作中内外で甘ちゃんみたいに扱われていた愛弟子の猿も「あ、昔散々みた奴やる気だな」位なノリなのもあわさって好き過ぎる
二代目火影は穢土転生の開発者 当時火影を務めていた猿はその愛弟子で木の葉のあらゆる術を収めたプロフェッサーと謳われた天才(そしてその愛弟子の大蛇丸も穢土転生の使い手) という諸々を認識すると思った以上の圧を感じるここのヤマトの発言
四代目が成長した息子に会えたのも穢土転生のおかげだからな
NARUTO、思春期に摂取した時はナルトに不思議な力があると言う綱手の言葉に斜めに構えていたけど歳取って綱手とか自来也とかの心境がよくわかるようになった>ひねくれて斜めに構えている奴よりも真っ直ぐ生きている奴の方が眩しく見える