高校一年生の頃、出家前にあれこれ本を読んで「宗教にせよ哲学にせよ教祖や提唱者は死んでいるに限る」と思っていたのは、どれだけ偉大であろうが存命であれば瑕疵を見てしまうし、生きてる人間にあれこれ指図されるのには我慢がならん。という反抗期故とは言え、中々良い選択ではあったなと思う。
カルトに限らず、厨二病を患うあたりで「人生とは・生きる意味とは・我々はどこから来てどこに行くのか・こういった事を扱ってる哲学や宗教はどういう考え方を提示しているか」くらいを履修しておかないと足を掬われるものだなぁ…というのを上手く描いてる良い記事ですな >RT
星野リゾートに何を求めているのだって話ではある
喚鐘の音が軽いのは撞木が小さいからでは?と思って愛用の木槌を探したが見つからないのでトンファーで叩いてみたら深い音がした。やはり木槌とトンファーは大きい方が良い。
まともに買うとエライ値段だが、運良く茶道具の中古があったのでポチッてみたが、まさか盆の最中に届くとは!
釣鐘の小さいのが無いので大きい凛を喚鐘の代わりにしている。これは鳴らすと住職が出てくるが、家庭の仏壇で鳴らすと本尊さんやご先祖が何事かいな?と注目が集まる。
施餓鬼法要 盆の三日間は地獄も一斉点検で責め苦もお休み(俗説)→地獄の亡者や餓鬼などが現世に溢れるので施餓鬼棚で食事を供給→餓鬼や亡者が成仏→功徳! コミケ…平均的な社畜の休日→新刊を求めて亡者がうろつく→スペースで新刊を得て心の栄養を供給→亡者が成仏!功徳! だいたい同じだった
設営終了!スペースは棚一シ49bたくさんの精霊さんお待ちしております。
江戸時代の檀家さんが自分で描いて送ってくれた地獄絵図 #ヤマの日
AIお絵描き、生成の構文を呪文と秘していくタイプと公開してくタイプに分かれてきてるあたりに顕教と密教っぽさが出てきて、事象に対するアプローチって歴史的に大体そうなるよな感
通じないと言えば夭折(ようせつ)が 坊さん同士で通じないことがあって 「○○さんも夭折しはりましたな」 「いや溶接はやってなかったで」 「?」 「?」 「まって夭折って何?」 「若くして死ぬのが夭折(iPhoneで辞書かざしながら)」 「知らんかった、てっきりアークとかガスやと」 なんて会話が最近
ロゴとかイメージはマジでAIでそれっぽいモノが生成されるんやなと感心(草原に浮く曼荼羅)
この手の話への感想としては珍しく、これは原作が今の感覚から乖離してるし日本むかしばなしが放送してない時代なんだから「お通夜に来てくれた人に振る舞う料理を作っているようだ」くらいに地の文を変えないと無理ゲーだろうなと。まぁ問題はそこではなく文化資本格差・貧困の話になるのだけれど。 twitter.com/bunshun_online…
さて、丑の日でうのつく食べ物か…うどんだけは寄せ付けまいという固い決心
アニメ会社にとって新宗教系の仕事は取っ払いで貰えるので臨時収入・資金繰りに最適なうえ、モノは二線級のスタッフを回してお茶を濁し、資金と一線級の人員はメインで注力してる作品に回すボーナスバフ!みたいな与太話を聞いて「新宗教の上前をはねるが如きの強かさ!」と感心した覚えがある
丑の日…うな重のタレでご飯たべたい!むしろうなぎは要らん!米に雑味が入る!という嗜好なので、偉いさんから「美味いものの喰わせ甲斐が無いやつ」との評判で御相伴力は低かった
夏のジブリ祭りがあるなら、上映時間だけで セリフのエア実況が出来る人数に定評のある 1週目「コマンドー」 2週目「バトルシップ」 夏のボンクラ映画祭りもやって欲しい
にわか旧車乗りの後輩が「旧車で最近のバイクを峠で抜かすのが最高なんですわ」とか言うので先輩諸氏から 「面倒くさいアホが来たと思って譲られただけやで」 「レギュレーションも同意も無しで勝負とか」 「ノーマルのZ900で相手するからサーキット行く?」 など速攻で詰められており時代の変化だなと
大阪万博やめて「ミャクミャク様祭り」で良いんじゃねぇかな
延々と永遠を間違えるってのは致命的に国語能力に難ありと思うも、マジで延々が駆逐される勢いで頭を抱えるが絶対に屈して欲しくない。有限と無限で語義がかけ離れすぎやないか! >RT
ミャクミャク様イラストもぼちぼちと上がってくるが、不必要にグロくすると素材の不気味さが死んでしまうので画力の匙加減というかセンスを試す別の意味で祟り神的な効果を発揮してるなと