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書いた文章に「女性ならではの認知の歪み」と言ってきた人、男性ですけどと訂正したら揚げ足取りだと言ってるみたいなんだけど、そもそも書いたものに対して女だから無効という内容に関係ない要素で一刀両断しようとしたからその刃物で怪我したのでは…
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書いていないことに反論してくる人って、常日頃何らかの人間や集団と戦いを繰り広げていて、それがどういう奴でどういうことを言ってくるかという像をガチガチに固めてるから人の言ってることが「それ」に見えてくるんでしょうね
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自分のことを無思想でノンポリで「フラット」だと思ってる人って、自分を他者と相対的な位置に置いてなくて何らかの思想を表現できる人はやばいと思ってる場合が多くて、自分が最初から持っているものの見方は「普通で」「絶対的」だという自信の中にすごい偏見を隠し持ってることがあるんですよね
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ほんとうに無思想の状態なんて人間ではありえなくて、自分のことを無思想だと思っているというのは自分の考え方を「普通」だと思っている、つまり自分のように考えない人は全て不自然な状態にあるという偏見とイコールになっていて、そのことを自覚するまでの過程が人それぞれ大変なんですよね
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だから常に何かしら「この人ヤバい」みたいなことを言って”自分の正常さ”を確保してる人に対しては「お前も狂ってるな、オレとは違うところがだが」というハンターハンターのゲンスルーの言葉を贈りたい
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「無思想はなぜヤバいのか」という記事を書きました。自分のことを無思想だと思っている人は、自分と違う考え方だけを「思想」だと思ってしまい、「普通じゃないから怖い」という理由で無自覚に弾圧し得るという話です。しばらく無料にしておくので読んでみてください。 note.com/onoholiday/n/n…
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他人の考え方に同調している=自分の考えではない、という認識は何をしても考えても責任負わなくていいので戦争で全体主義やファシズムに同調してめちゃくちゃやったけど終わったら自分は騙された被害者だ、みたいにコロっと態度を変えることができると思います
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苦労して成り上がった人や激しい競争を勝ち抜いた人がかえって弱者に対して厳しい立場を取るという、自分が「成り上がりコンプレックス」と呼んでいる現象について書きました。最終的にはもっと違う話になってます… note.com/onoholiday/n/n…
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先週の記事ですが、「公益のため無料公開してください」とサポートくれた方がいるので、永久ではないですがしばらく延長して無料公開しておきます。そういうこともある。 twitter.com/onoholiday/sta…
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「自分には悪意がないから差別はしてないはずだ」というような感覚への信頼はどこから来ているのか、というような記事を書きました。「悪いことをしなければ善人でいられた」という時代が終わったのではないかというような考察です。 感覚派ヒューマニストの世界 note.com/onoholiday/n/n…
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こういうドキュメンタリーは色んな巨大資本スポンサーが絡んでる無料サービスではたぶんありえないので、視聴者が直接お金を出してるサービスならではだと思うんだけど、ここにもお金出して見る情報と無料で見る情報に格差が生まれてるわけで…
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自殺の話題になると有名人とかメディアが「頑張りすぎないで」とか「重く受け止めないで」みたいに「追い詰められてる」「個人に」訴えかけるんだけど、それって結局誰かに過剰な負担のかかってる構造じゃなく個人の問題に帰結してるから僕にとっては自己責任論とあんま変わらないんですよね
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もちろん僕たちは個人的にどういうふうに考えたらへこたれないで済むとか色々工夫してメンタルが糞にならないように頑張りますけど、影響力とか調査力のある機関に関しては問題を「個人的」「精神的」なものに矮小化しないで大きな規模の話をする道理もあると思います
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で、個人の苦痛を「物語」にしてしまうのって構造の問題から目を背ける一因になっていて、たとえば育児の過剰負担による産後うつを問題視する視点は「こんな状況で子育てしていたなんてお母さん凄い!尊敬!」と美談として扱うと母性神話に回帰して無かったことになったりしますね
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だから僕はたいへんな負担に耐えている人に「頑張っているから偉い」っていうのが結局負担の肯定に繋がっている側面を無視できないと思うので、「単にかわいそうですね」という切り離しも時として必要だと…思う
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これって、他人じゃなくて自分に対しても絶対やったほうがいいことだと思います、たとえば意味のない苦労(糞みたいな人間の存在に耐え続けているとか)に対して「偉い」と自分を肯定してしまうとそれからも耐え続けることに意味が生まれてしまうんです
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「非モテは不幸で悲惨だ」という、異性愛を介してしか人が幸せになれないような前提がいかにして支持されているかという文章を書いてみました。もてない人は不幸で悲惨だという言説に同意することと反対すること、どちらが優しさでしょうか。 「非モテは不幸だという呪い」 note.com/onoholiday/n/n…
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死ぬほど長いので全部読むのも大変だと思いますが、要は「もてない人は不幸だ」という言説に同意すると異性愛至上主義が強化されて性的でない存在としての人間が貶められるという視点の話です。少しの期間無料にしているので、気が向いたら読んでみてください。
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あと、「愛は生活を豊かにしてくれる」と「愛のない生活は悲惨」というのは雲泥の差があって、前者はまず成立してる自我があってそこに他者が加わる、後者は不完全な自我を他人で補完している、なので自分が不全感を感じたら愛情対象の責任になるということが起こります。大変なことになると思います。
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加藤智大の「彼女さえいれば」もそうなんだけど、「自分が不幸で悲惨なのは彼女がいないせいだ」というのは本人が彼女がいないことに由来する悲惨だと考えているけど「女性の承認を得なければ自己肯定できない」という前提条件はそれ以上に不幸で悲惨ではないか、という視点を持てないでしょうか。
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自分で自分を肯定できないと生きることは厳しい(誰かに肯定され続けないといけないなんて…)、でもその自分で自分を肯定する能力は経済とか学力に匹敵する恐ろしい格差がある、というのが今のところの見解です。でもすごい格差があるからといって一生埋められないものではないと私は思ってます!
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自己肯定感って読んで字のごとく自分を自分が肯定する能力の話なので、誰かの承認を得られるから自分は立派だということではないんだけど、承認ベースで考える人は自分の価値が無化しているので自分の肯定は無意味(たとえば自分で発行したお金のような無意味さ)という反論が出てくるんですよね
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自己肯定感は他人から貰うことはできず(もらえるのは承認なので)、貰うというよりトレーニングしてもらう、魚を持ってるのではなく魚の取り方を知っている、に近いのだけど、この話は「誰にも魚をもらえない私の気持ちが分かるのか」となって行き違うっぽい