sekisaba(@9559re)さんの人気ツイート(リツイート順)

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20年前、0系がいなくなってから100/300/500/700と様々な車輌が彩った東海道新幹線。その中でも100系2階建ては抜群の存在感でした。
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聖火よりも被写体力あるな・・。
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2階建なのに普通車という、一時期流行りそうで流行らなかった車輌。前面帯なしって違和感ある。
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北越急行・大池いこいの森。ジェットコースターのような線路の奥から轟音が聞こえてくる。ピントはすでに手前のシャッターポイントに固定しおり、トンネルの奥はボケたまま。だが気分が高まって1発。 今から20年前のGWでした。 Nikon F3 Ai300mm/2.8 RVP +1
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G車・食堂車の2階建4輌という圧巻の100系V編成。食堂車で過ごす優雅な時間は、鉄道が航空機に勝る顧客価値だと思うのですが・・、収益を考えるとやむなしです。関東近郊で車免許なし世代が新幹線を撮るなら小田原一択でした。98年。
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AMBITIOUS JAPAN!の車内チャイムが約20年で終了だとか。気が乗らない出張や、祖母の見舞い、先を急ぐ撮影行にと、様々な場面のスタートにこのチャイムがありました。2003年3月。
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大雪で速度が落ち、急遽抜海にて上り普通列車と交換することになったこの日の宗谷ラッセル。詰所の除雪作業員が運転士のもとへ労いに。シャッタースピードは1/320。雪玉にして舞台を演出。
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原宿駅の宮廷ホーム、かれこれ18年使われていない。たまに灯りが点いているのを山手線から見かけるが、その度に次のお召が近いのかと期待してしまう。
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南部縦貫の撮影会は、バリな主催者が車輌の配置やライティングまで細部にこだわって現役っぽさを演出してくれます。
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2010年のE31形さよなら運転時のマークデザインを踏襲するとは、大井川鐵道やること凄い。
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99-00年頃の記録を見返していたら、新座で撮影したPFと九州885系の写真が。なんでわざわざ関東に来ていたのか思い出せない。
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北陸を走る485で原色なのにブサイク顔と言われていたA2。タイフォンお開きが全くないのに、次は変顔だから撮らずに飯買いに行こう、とか当たりまえだった。それに引き換え、最後まで白Hを保持した端正な顔立ちのA10は、常に倶楽部485で注目の的。
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ピカピカだったのでNゲージみたいな感じになった。ED75単回。
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20年前の横川展示車輌回送。パンは下がっているけど電機三重連となって激アツ。先頭の520も横川にいるけど、そのまま収納されたのかな?覚えていない・・。
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12年前に運転されたイゴマルなにわ。日中の山陽本線を下る粋な企画でした。この時はイゴマルどころかロクイチでさえも本線上から消えるなんて思ってもみなかった。
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蒸機無煙化の敵役を演じたDD51が、C58を引く。今や両者とも相当な老体になって、シンメトリーな構図に違和感なく収まります。昨日、深夜の八高線をゆっくりと走りました。SS 1/6、ISO40000。
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DD51定期貨物終了ということで、懐かしの下白滝バルブを。前からの光がなく、ISO400でも40秒開けているのでせっかくの星も光跡に。24-70mmは万能でしたが、こういう時にはもう一段明るいF値のレンズが欲しいところ。 ここまで書いて気づきましたが、石北貨物は定期ではなく臨時でした。2012年10月。
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ラストナンバー54号機。末期の頃は色褪せてしまい、無残な姿で横軽廃止を迎えました。
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ED62も全機貨物標準色になるのかと思いましたが、なぜかこれ1輌きりでした。
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96年秋、D51498が軽井沢まで入線。横軽を越えられないので、わざわざ上越信越とぐるりと廻って。当時も長野支社はやる気に満ち溢れていたと思う。
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マークの色から、左あおさぎ、右くろさぎって呼ばれていました。今みたいにTwitterもなく、倶楽部485に噛り付いて金サワ見たままを読むことが撮影の始まりでした。
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国鉄色残存率が低く、3島の中で最も趣味的に面白くない…と撮り鉄に言われながらも、時折、信じられないほどの企画を作って驚かせるのが四国のいいところ。02年6月にはわざわざ西から181を借りて新改のスイッチバックに入線させている。
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磐越西線223列車。現在も、当時とあまり時刻を変えずに223Dという普通列車が走っているようで、長きに渡って地域の通勤通学列車として定着しているようですね。当時、多くの人が本州最後のDD*50系客レとレーマガに煽られまくって、745の臨客と同じくらいヒートアップしていました。
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立ち位置が同じだった写真です。車を持たない学生たちはここで丸一日、上下列車を一網打尽にしてその場で情報交換するのが常でした。#横軽廃止25年
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薄暗い早朝の鳥取駅。急行だいせんを降りてしばらくすると入線する米子行きの普通客車列車。撮り鉄には伝説の号?とされるレーマガ145号に煽られるがままに、国鉄王国山陰をその入り口からいきなり体感。96年。