それでは先週の続き! 喧嘩して別行動をとるスレイとミクリオはそれぞれ人間にとっての、天族にとっての『穢れ』の実態を目にします。そもそも穢れって何だ?ってシーン。アタックは今のミクリオの状況になぞらえて、墓掘り青年は原作のアガサさんと同じポジションを別の切り口でとアレンジしました
ミクリオに同行したエドナは、「すれ違ってしまった兄弟」の(ような)姿を見かねて応援…というか、こっそりと助け舟を出す役に。自分とどこか重なって見えたんでしょう。人間の穢れで憑魔化しかけ、自分の愛するものを傷つけてしまっていたアタックの姿にも思うところがあったと思います。
それぞれの立場、それぞれの場所で自らの想いを確かめた二人が、まるで示し合わせたように合流。 自然と隣同士であれる存在。そんな二人の和解についてはコミックスをご覧ください!!
こちらは第8話の扉。雑誌以外でカラーでお見せできる機会がなかったので… ハイランドブルーの幕の向こうにいるアリーシャにスイートピーを添えて、彼女の物語のひとつの終わりと始まり(閉幕・開幕)、別れがテーマでした。
ピンチの中ロゼに助けられたスレイ。ウサギのくだりは「何かを生かす(生きる)ため、生命の営みとして命を奪う」というスレイもイズチで経験してきた行為を、ロゼのナイフ=ロゼの生き方を手に行わせる事、それをロゼに見せる事が目的でした。ウサギおいし…
ウーノさんに続き、ミクリオにとって二人目の先輩役になるデゼル。ミクリオには一人の天族としても成長してもらわなければならないので“天族同士のコミュニティ”を描きました。 デゼルがラファーガに影響を受けたように、ミクリオにも兄貴分が必要だったんです
第15話はロゼたち風の骨とルナールのお話。色々見返してると実はルナール関連は結構ギリギリまで超縮小予定だったんですが、描けて良かった…
浄化の炎が通じないルナール。 どれだけ<今>救われても、孤独に震えた<過去>は在り続ける。忘れ去ってしまえば、過去の自分は己からも見放された本当の独りになってしまう。 救われることは“アイツ”が許さない。今の己を形作る起源、幼少期の自分がかける呪い。
「仲間ができて嬉しい」と言った本心に嘘をつき、自分を化かす狐となってしまったルナール。 自らを穢し続けるだけの出口のない迷路の中、康らかに、寧らかで在れる場所を見失った彼の歩みを止めるためにロゼは刃を向けます。
ちなみにこちらが過去ルナール(10代前半)の設定画。大人のものをかっぱらったのでブカブカ上着。憑魔(今の姿)になる瞬間や過程が描けないので、ぱっと見でわかるよう顔はかなりそのまんまにしてます。
第16話はデゼル回。天族が人間と共に在るということについて。
デゼルの前に突如現れたのは死んだはずの友の姿。サイモンの見せる幻が過去の記憶を呼び起こし、デゼルを揺さぶります。そして駆けつけるザビーダ兄さん。
以前ご紹介した設定画。ロゼの髪飾りは育ての親に買ってもらった思い出の品ということなので幼少期デザインにも組み込み、それを皇子の手で外して(別のものに替えて)もらいました。う~ん卑劣!
@shiramine_ そんな思い出の髪飾りは、彼女の基盤になっている生い立ちそのものを表すアイテム。こういう演出を考えるのは楽しかったです。
特攻を仕掛けるというデゼルの決意を見届けるミクリオ。それこそが天族デゼルの生き方であること、彼をその答えに導いた刻の存在――彼にとっての人と天族の在り方を、ミクリオは同じ天族として理解している。
第17話はライラの抱える後悔と苦悩、災厄のはじまりの真実のお話。やっとライラの事が描けるとフンスフンスしてました。
こちら裏表紙のミケル少年。人間キャラクターの幼い頃というのは非常に大切な要素なので、幼い頃の回想なんかは大事に描かせていただきました。
少女らしいサイドテールを下ろし、ピンクの上からハイランドブルーの肩掛けを羽織ることで、彼女らしさとそこからの成長・大人っぽさが見える形に。
ウーノさんの言う人間と天族の理の違いを改めてスレイに突きつけられるミクリオ。<導師スレイ>の旅が終わる時、答えを示した後のスレイは、アリーシャが大人になったように、今のままのスレイではない。人間は天族と違い、時間・経験と共にその在り方を変えていく。
けれどスレイの根底の部分――彼が彼たる理由を、夢と刻を共有してきたミクリオは持っている。穢れなき不変の心として永い時を在り続ける天族・ミクリオに、スレイは夢を託す。旅が終わった後も、また自分自身と共に歩き出せるように。
天族とは誰かの想い、誰かの祈りから生まれた露わな<人の心>そのもの。彼らは己に嘘をつくことを知らず、自ら穢れることもない。ミクリオを生んだミケルの絶望は、同時に彼の抱いた希望でもあった。執行者の名を持つ天族は、その心の最も純粋な形として生まれた化身。
そんな天族と人間――心と身体が共に在ることができたなら。身体が自らの心を見失わず、声に耳を傾け、その存在を感じる事ができたなら。人は穢れることなく、自らの思う道を生きることができるはず。天族と共に生きてきたスレイがその証。
右手は身・体の、左手は霊・心の在処。スレイが使う手やキャラの立ち位置の左右は常に意識しており、何気ないシーンにもプロット段階から書き込んでいたりするので、見返してもらえると面白いかもです。かも。
本丸博やっと来れた!
『Fate/Grand Order』のコミカライズを担当させていただくことになりました! 7/28発売の月刊コミックZERO-SUM9月号より連載開始です。よろしくお願いします!! 特設サイト⇒ ichijinsha.co.jp/special/fgo/