26
拙著『愛国の構造』で論じたように、近代国家は〈聖性〉を独占する(と主張する)機関である。今日の儀式は、日本という国家の〈聖性〉の主張を非常にはっきり看取できる機会である。「平安絵巻」さながらの装い、などという生易しい話ではない。
asahi.com/articles/ASMBQ… #令和・即位
27
イギリスでは言語学の衰退は目も当てられない状態だという。いわゆるLinguistics Warの結果、各大学で学派間の潰し合いとなり、全体として衰退の一途を辿ったらしい。ランカスター大学だけがそうした学派抗争を封じ込めることに成功し、言語学研究の一大センターとしての地位を守っている。
28
人文学の危機を語るのに、”我々の仕事は重要なのだ”ということを呪文のように唱える大学の指導者がいるが、本当にそうだと言い切れるのか。人文学研究者は、教育者としては批判精神の重要性をこれまた呪文のように唱えるが、不思議なことに、その批判精神は自分たち自身の仕事の内容には適用されない。
29
人文学の意義や価値をいかに物語るか、というような小手先の策を弄するのではなく、人文学研究者が取り組むべき課題とは、現代の問題と何らかの形で切り結ぶことだろう。現代社会をどう理解するのか、これからの市民社会をどう運営してゆくべきなのか
30
しかも、私の周囲を見る限り、そうした人文学研究を行う教員には、研究の「専門化」を隠れ蓑にして自分しか関心を持たないような矮小なテーマに取り組んでいる者が少なくない。これを私は「学問のプライベート化」と呼ぶ(拙稿「人文学としての日本研究をめぐる断想」tinyurl.com/y3qrj43j を参照)
31
一方、人文学からの応答は、といえば、人文学の意義や価値についてどのように学生に語るべきかというレトリックの問題に終止している。皮肉なことに、そうした「説法」を聞くのはすでに人文学を学びに来ている学生であって、これから人文学を学ぶかどうか決めようとしている学生やその保護者ではない。
32
日本の事情はつまびらかにしないが、NZやオーストラリアでは、大学の指導部が政府や企業から研究資金をどれだけ集めるかに関心を集中させている。そのような状況では、カネを集められない人文学は大学内部にかろうじて居場所を認められるお荷物にすぎない、といっても過言ではない事態になりつつある。
33
「嫌韓」は「売れる」そうだが、「売れればなんでもやる」という態度をマックス・ウェーバーの用語で「賎民(パーリア)的資本主義」という。また非倫理的営利活動に基づく富をピューリタンたちはwealth against commonwealthと呼んだ。大手出版社がそういう仕事に手を染めるようでは話にならない。
34
今更言うほどのことでもないだろうが研究助成を申請しないと研究費が取れない制度の下では真に創造的な研究ができるわけがない。学問的研究の真骨頂は常識では言えないことを明らかにすること。常識を大きく逸脱する仮説を提示する申請など「専門家」による審査で当然はじかれ資金援助など望み得ない。