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久々に出張で飛行機に乗ったら、機内アナウンスで、「お客さんどうしが不安にならないためにも、機内ではマスクつけてね」と言っていて、その思いやりの感覚は忘れずにいたいと思った PCRしたから大丈夫、みたいな問題じゃなく、「お互いに無用な心配をしない・させない」という感覚はあると思う
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JHeC2022|株式会社Raise the Flag.(ビジネスコンテスト部門) youtu.be/kGogI7SpA74 ねえ見てこれ見て。時間がなければ3分48秒くらいから見て、鳥肌が止まんねぇ、全盲の人が目の前の柱や自転車、グラスやお皿まで認識できるようになる夢のメガネ 最後に眼科医が声を詰まらせる……
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10年前、ぼくは30代前半で、稀少職種であるためにさまざまな学術講演に呼ばれた。ただし、メインキャストとは名ばかりで、実際には「若手に勉強するチャンスをあげよう、大丈夫、何をしゃべっても会は成立するから笑」というムードであった。ぼくは「呼びやすくて使いやすいコマ」で、イロモノだった
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わたし、魔女のキキです! こっちは中年の危機
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ホテルにて
ぼく「朝からカレー食べたい」
ぼく「朝からカレー食べたくなるときない?」
ぼく「朝からカレーしかない」
ぼく「家では選ばない朝カレー今なら食える」
ぼく「朝カレーある!食べる!!」
カレー食べて部屋に帰ってきた40代中盤のぼく「なんで朝からカレーなんか食ったの?」
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世の中には自分と同じ考え方の人も自分と違う考え方の人もどちらもいっぱいいるということを確認できる日であり、どちらに対してもやさしくあるにはどうしたらいいかなということを考える日でもあるので、選挙の日はわりと好きですね
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ちょうど1か月くらい前に病気になり、その後いくつかの精密検査をして事なきを得た。体調不良の理由が過労だったので、6月中は仕事を減らした。休めばすぐ元気になるとも思えなかったが、休まないといつか大きな事故を起こしそうだと思った。いざ仕事を減らしたら、驚くほどの燃え尽き感がやってきた
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特にダメージがでかかったというか大きく変わったのはコミュニケーションの部分だった。目上、目下、同僚、他人、誰とやりとりをするにあたって、必要な手続きをこなすことはできるのだが、その手続きの末に相手が「ありがとう」「よかった」「うれしい」と感謝しても、自分の心がそれを受け取らない。
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過労からの回復過程で誰もがそうなるものなのかはわからないのだけれど、日常の行動原理のひとつである「誰かの感謝をエネルギーにして自分を駆動していた部分」が故障したのである。
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しかし、今回、疲労回復の過程で「他者の喜びを受け取る神経」みたいなものがマヒしたことで、あらためて気づいた。ぼくの毎日もまた、当然のように他者との小さな感謝のやりとりで動いていた。それが感じられなくなったとき、ものすごく世の中から浮く、というか沈み込む思いであった。
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「ぼくは、仕事相手から感謝されることを自分のエネルギーにしており、たくさん働くにはエネルギーがたくさんいるから、感謝をより多く得られるように多くの手続きをこなして、得られる感謝をがんがん燃やしてきたが、その内燃機関ごと燃え尽きた結果、手続きにより出てくる感情にしらけてしまった」
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医者あてのツイート: 医局や学会などの制度を「宗教」とか「カルト」と呼称するの、単なるツイの言葉遊びだろうってことはわかってますが、大多数の「宗教といい関係を築いている人たち」や、一部のいわゆる「問題あるカルト宗教に悩んでいる人」たちから見ると決していい気分はしないと思います
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説明うめぇなあ……こんな短い量でここまで的確に語れるものなのか。まとめがうますぎるのか
nhk.or.jp/gendai/comment…
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今までにワクチンを打ってくださった人びと、手洗い・マスクを徹底して三密を避ける生活を続けてくださっている人びと、あなたがたのおかげで「何度も波が来て、多くの人が感染しても、毎回必ずその波が収束する」のだと思っています、ぼくが言うのもヘンな話ですがいつも本当にありがとうございます
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「波がおさまるかどうかは感染対策関係ないのでは」と言われてたしかにそうだな、と思ったけど、感染対策がすごく適当になってしまった国の感染者数をみると、波の底の部分でもめちゃくちゃ感染者数が多かったりするので、日本の波がちゃんと毎回「収束」してるのはやっぱ対策ありきだろうなーと思う
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これから、反ワクチン的な人びとの話を連ツイしようと思うのだが、冒頭で少し「重い」例をあげることをお許し頂きたい。これを例えに使うくらいには重い話だということであり、決して例示した内容を軽く考えているわけではない。
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最近ぼくはフォロー外からリプライで飛んでくる「ワクチンは不要」とか「コロナはデマ」系の人たちをブロックしなくなった。なぜ、と一言で説明できないので、ここから例え話を使う。
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かつて、とても親しい人をがんで亡くした。その方は長く闘病していて、できる治療がなくなってからも1年以上、意識ある状態で暮らしていた。当時の緩和ケア体制は今とくらべてもあまり整っておらず、本人はベッドで寝ている以外のことをできず、自宅にも帰れず、辛い毎日を過ごしていた。
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その人は冷静でクレバーであり、他人に対する攻撃性もなかった。長い闘病でも愚痴ひとつ言わなかった、少なくともぼくは聞くことがなかった。しかし、亡くなる3か月ほど前、お見舞いに行ったぼくに、切迫した顔で「もう死にたい」とつぶやいた。その瞬間ぼくはおそらく表情を硬直させてしまった。
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ぼくはすでに医者であったが、死を控えた人間の心理的なものなどろくに学んでいなかったし、身近な人の見せる突然の弱さにどう反応していいか狼狽した。「死にたいと思うの?」と、おうむ返しをして、その人の心を自分なりに受容しようとしたが、聡いその人は、瞬間的にぼくの拒絶を察したと思う。
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その後、その人は、ぼくに二度と自分の苦しさを語ることはなかったし、いつもお見舞いに行くぼくをねぎらい、ときに昔話をして「私はいい人生だったので心配しなくていい」と語ったりもした。しかし、やはりぼくは、その人の「死にたい」に込められた感情を受容できなかったのだと思う。
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「死にたい」という言葉にはさまざまな感情が詰めこまれていた。本当に死にたいという気持ちもあったとは思うし、悔しさ、やるせなさ、閉塞感などを言い表すために一番ニュアンスが近かったということなのかもしれない。ぼくはそれを「理屈では」知っていたからこその、「おうむ返し」をした。
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しかし結局、ぼくの表情ににじんだ「そんなことを言われても」というかすかな部分を、聡く優しいその人は敏感に感じ取り、「ああ、この言葉ではだめだな」と、辛いにもかかわらず、コミュニケーションのやり方を変えてくれたのだと思う。
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以上は今回ぼくが言いたいことを説明するための「例え話」であって、本筋ではないので、そろそろ本題に戻る。
ワクチンなんてやめてしまえ、新型コロナウイルスなんて存在しない、感染症禍は人災だ、などとぼくにリプライを送ってくる人たちは、その言葉に何を込めようとしているのか。