「森元叩きは今イケイケだから乗っかるけど、中共のウイグル問題に口を出すとヤヴァいから黙ってまーす」みたいなチャラい料簡だってのがバレバレなのに、何が「沈黙は賛同」だよ、莫迦じゃねーのかって批判されてるのよ。このくらいかみ砕かないと理解できませんかね。
腐女子のツイフェミくんさぁ、あんたらの中にもコミケに回ってきた献血車に協力した人だっているでしょう。その協力に感謝しているからこそ、献血のコラボに腐女子ウケするコンテンツも含まれているわけでしょう。
オタクを釣る為にオタクコンテンツとコラボしてオマケを附けてるんじゃないんだよ。オマケなんかなくても積極的に献血に協力してくれるオタクに対するお返しとしてオマケを附けてくれるようになったんだ。献血に見向きもしなかったくせにそれに文句附けてるフェミが憎まれるのはそういうことだよ。
言いたかったのはこれなんだよな。オタコンテンツとコラボしてオマケを附けたからオタクが献血するようになったんじゃなくて、コミケで献血を募ると喜んで協力してくれるオタクが輸血用血液の需要を満たしてくれていたから、感謝の印としてオタク向けのオマケが附いたんだよ。 twitter.com/Dol_Paula/stat…
そもそもコミケの献血って、別に日赤がオマケで釣ってオタクに献血させるようになったわけじゃなくて、たくさん人が来るイベントだから献血車回したら、何故かオタクが素直に献血してくれるのでオタクが喜びそうなコラボでオマケを附けるようになったって経緯だったよな?
「自民にお灸を据える」ために国民が変化を恐れず、むしろ変化を期待して「試しに」政権交代させてみたら、経済が壊滅的に衰退した上に消費税が倍になり、慌てて自民に戻したら経済が劇的に改善したというのに、民主党は今以て嘗ての失敗を頑なに認めてないんだから、そりゃ政権交代とかもうないわ。
そして、新聞記者が世間から軽蔑されるようになったきっかけが、まさに新聞記者によるSNS利用が発端で、曲がりなりにも新聞ジャーナリズムを真に受けていた人たちにとっては、こんなに頭の悪いことを堂々とTWするような人間が新聞記事を書いているのかという衝撃があったんですよ。
新聞記者の中の人たち、これだけSNS使っていても、自分たちがマジで世間から軽蔑されているだけだって気附かないの、やっぱり認知的不協和みたいなアレですかね。
そういう昭和の汚職スタイルが糾弾されたことで、大蔵省と同じ権限を持っていながら財務省はカネを配る権力者ではなく、国民から吸い上げる税金を増やし国民に還元するカネを絞るという何の為に存在するのか誰も理解できない無意味な権力機構に変身してしまったんですね。
大蔵省と財務省の違い。それは、官僚のノーパンしゃぶしゃぶ接待という下世話なスキャンダルでお取り潰しになった大蔵省が財務省に生まれ変わった際に、財務省設置法で「健全な財政」が明文化されたせいで大蔵省時代は一〇〇年掛けて実現するはずだったことがすぐできるようになった。
しかし、ガースーの「何があるかわからないから、しっかり確保」という発言の頭の悪さだか性根の悪さだかには呆れかえるよな。あほかい、この先「何かあった」時はまたカネを刷るんだよ、そのカネは国民に配るために刷ったんだよ。
あとGotoについて「旅行に行ったり飲み会に出たらハメを外すのが当たり前」とか言ってる奴、正真正銘のアフォかと。Gotoはあくまでコロナ禍で感染拡大を抑えつつ経済を回す趣旨の支援政策なんだから、何が悲しくて感染症対策に協力する気もないようなアフォにカネ回す義理があるのかと。
何つか、日本中の大した産業もない地方都市が観光だけで喰っていて、そういうところでは観光業者の裾野が広すぎて直接給付じゃ追い付かないというのは何度も言われているのに、今更蒸し返してもしょうがないと思うんだけど。
三原じゅん子はアレなウヨ発言がリベラル界隈で嫌われているが、自身ががんサバイバーということもあって医療や公衆衛生関係の活動ではかなり大きな実績があるんだよな。ウヨだとそんな実績もなかったことにされるのかねぇ。
元々安倍晋三って汚職とは無縁のクリーンな政治家ってのが売りだったわけだけど、ぶっちゃけそれは汚職する必要がない大金持ちだということで、金権絡みで政治家を告発して辞任に追い込むというマスコミの常套手段が使えなかったのがマスコミを狂わせたねぇ。
それはともかく、安倍晋三がここまで粘着して叩かれたのって、新聞記者にとって閣僚や総理を辞任に追い込むのが最高の栄誉で、今出世している記者が飲み会で散々「誰それのクビは俺が獲った」みたいな自慢話をする文化が続いているからだろうなぁ。
彼らは自分たちについて、大衆に情報を提供する黒子ではなく、権力と闘う主役としての英雄だと勘違いしてしまった。皆さん、大衆が欲しているのは主役である自分たちが権力と闘って勝つ物語だと勘違いしている。そんな田舎芝居は誰も観たくないんだけどな。
いつの頃からか、それとも最初からなのか、日本のジャーナリストたちはジャーナリズムというものを、実体的な権力を握っている権力者に対して、ペンの力で闘って勝つ物語を提供することだと勘違いしてしまって、その「ペンの力」の大部分が嘘や煽動に堕してしまっているんだよな。
ジャーナリズムの権力批判自体は民主主義の健全な機能なんだけど、どうも日本のジャーナリズムは「反権力」という権力者の全否定がデフォになってしまっていて、権力者の為政の客観的分析に基づく是々非々の論評という機能をついに持ち得なかったのだと思う。
ジャーナリズムが日本の最大権力者である総理大臣を批判するのは別に問題じゃないんですよ。問題なのは総理大臣を批判すること自体がジャーナリズムの目的化してしまって、総理を批判するジャーナリストが例外なくおかしくなるところなんだよな。
七年以上に及ぶ安倍政権時代を通じて、ジャーナリストは一貫して受け手に「こいつらは何と闘っているんだ」という不信感を植え付け続けてきたと思うんだよね。比較的マトモな江川紹子でさえアベが絡むとおかしくなるので、あれは日本のジャーナリズムの病根みたいなものなんでしょう。
女性がファッションで肌や髪や瞳の色を変えるのは、別に白人様に憧れてるからじゃなくて「そのほうがカワイイから」に過ぎないわけで、白人様が「アジア人ならこうだろう」なんて決め付けるのは人種的ステロタイプに縛られたレイシズムじゃなくて何だというのかね。
そもそもアジア人が「黄色い肌」だというのは白人視点での虚構に過ぎなくて、アジア人でも肌の白い人はざらにいて美白に命かけてる人もたくさんいるし、今時の女性は髪染めたりカラコン入れたり変幻自在なんだから、おまえらの硬直的な人種ステロタイプ押し付けんなやって話なんだよな。
これ百回くらい言ってるけど、アメリカの規制派ってホントに野蛮なレイシストだなと思ったのは、日本人が見たら「うわ、きっつぅ」って思うくらいアカラサマなJKコスプレAVを「大人か子供か見分けがつかないから制作するな」って外圧掛けてきた時な。そんなおまえらの都合とか知るかよ。
一度「ポリコレ」という正義の錦旗を手にすると、正視に耐えないほど野蛮で硬直的な差別性を剥き出しにして暴力的な言動に走るの、ホント人間ってどうしようもない生き物ですね感ある。