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24時間で一体最長何km列車に乗れるのか? という話があって、鉄道ファン2003年8月号で実際にこれを試したという記事がある。これがまた身も蓋もないというか、日がな一日新大阪ー博多間を〈のぞみ〉で往復しつづけ、夜に〈サンライズ出雲・瀬戸〉に乗るという方法で、結果は営業キロ4927.0 kmだった
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この辺の議論は1970年代の新交通システム黎明期に都市工学畑でも指摘されている話で、そこで「ビルのエレベーターに誰も運賃を支払わないことが当たり前だ」という例え話をよく見かける
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仮に猫耳幼女記念大垣駅前タワー(全高410m)が建設されたとして、入場料1,000円+展望台行きエレベーター運賃500円みたいな徴収の仕方をすると多分「中に入ったらまたカネを取られた」って評判が立つと思うんだけど、入場料2,000円(エレベーター代も含む)だと誰も文句を言わないはずなんだよなとか
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車社会の人が公共交通機関に抱く観念って、言わば今みたいに自販機やコンビニで山ほどミネラルウォーターを売り始める前のあの「えっ、水を“買って”飲むの?!」という感覚に近いのではないかと思っている
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クルマはその“維持”や“燃料”に対してお金が掛かるけれど、“移動”という行為に対してはお金が掛からないという感覚は車社会で暮らさないと実感できないと思う
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戦時中、なぜか米軍から埼玉県の県庁所在地だと勘違いされていた熊谷市。終戦後、勘違いしたままやって来た進駐軍を迎え入れる熊谷市は、県庁所在地の座を浦和から奪うべく進駐軍に対して埼玉県の県庁所在地であることを装う。熊谷市役所は埼玉県庁、熊谷市長は埼玉県知事として演技をはじめるーー
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ストリートビューで明らかにダメな場所に入ってるやつまた見つけた
google.co.jp/maps/@43.55518…
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何故か伸びておりしかも勘違いしてる人間が多いので解説すると、彼は大変クオリティの高い女装男子であり、シームレスバスマップなどの開発にも携わり交通政策関係者から気鋭の若手専門家として有名な人間です(そしてこれは鉄研OBによる模型運転会です) twitter.com/bire1eys/statu…
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本来は小単位かつ自由な移動を実現するための枠組みであった「新交通システム」はただの軽便電車になってしまうし、LRTの「トランジット」の部分はおざなりになるし、BRTは「ラピッド」の観点が抜けていつの間にか連接バスのことになってしまう本邦の運輸行政……
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貴重なフリクションドライブ機の操作風景。右手奥のレバーがブレーキ、右手手前のレバーがクラッチ、左手のレバーがアクセル、そして中央のハンドルで円盤の位置を操作する
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うちの近所のレンタルビデオ屋、『1リットルの涙』とか『世界の中心で、愛をさけぶ』とかがまとめて【余命】というジャンルで括ってあるの身も蓋もなくて良いなと思う
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戦前のバス運転手は自動車運転免許を持っているということで相当イケてる人士扱いだったらしく、深夜に急患のために医師を乗せて車を出したところ(戦前のバスはタクシーとの境が曖昧)往診先の人に「運転手さんもこちらへ」と言われて医師の隣に座らされて戸惑ったというエピソードを読んだことがある
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大手私鉄が譲渡車を受け入れるやつ、昔の西武は打算的にやってたし、名鉄は旅客急増からの緊急避難的なものでいずれもまぁ納得感。むしろ一時の京成が冷房車が欲しいけどなかなか新造できなくて京急から1000形を借りてたやつの方が事例としては近しいかも知れない
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年齢の割に金の使い方を間違っているせいで「ホテルビュッフェ」と言われて思い浮かぶのが、誰も居ないフロントの横にバターロールだけが山盛りに置いてあって「朝食バイキング」と言い張っていた米子のビジネスホテルなの本当に人生の敗北
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新交通システムとかニュータウンとか富野由悠季とか小松左京とか、調べれば調べるほどすべては'70年代に世間を覆っていた「このまま人口が増え続けて、日本は人間と公害で溢れかえることになる」という”恐怖”に集約していく。’90年代生まれの私は知りません。人口増加を知らない子どもたちです