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冷戦期に北方領土の領海スレスレ(時には越境)で漁をする漁船団、暗号通信でソ連国境警備隊の動きやその他情報やり取りしてたらしいけど、その暗号を作ったの帝国陸軍の通信科出身の人だと聞いた記憶。ソースも何もかも不明。話した人は既に故人。もっと詳しく聞いておけばよかったなぁ
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これが運命の別れ道になった訳ですが、お客さんが乗船した船は、逓信省電䌫敷設船小笠原丸。稚内を出航後小樽へ向かう途中、ソ連潜水艦の雷撃を受け沈没。乗員乗客約700人の内、生存は約60名と。
戦後、あの友達も「何故寂しい」なんて言ったかわからないと。
そんな事もあるんですね。
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露軍の指揮官レベルがどんどん戦死して、戦争が長期化してるけども、面倒臭いのは戦死した将官の後釜に現地の戦闘で経験を積んできた将校が、飛び級で野戦昇進してベテランが揃ってくる事なんだよな。
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「引き揚げ大変だったでしょう!大変にお疲れ様でした。」
と言うと、ポツリポツリと1から思い出す様に終戦前後の話をしてくれて。
国境側の古屯という所に住んでて、終戦間際の日、家に帰ると母親が血相を変えて「ソ連が攻めてくる」と、パンパンに詰まったリュックを兄弟姉妹一つづつ渡されたと。
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同級生で中2と中1の息子がいる4人家族。もう子供じゃないから…と給付金を均等に使おうという話になって、
父〜車のパーツ
母〜switch
息子2人〜金を出し合って、2人の部屋にエアコン
となり、暑い日は両親2人が息子達の部屋の隅っこに、嫌がられながら居つくという、どっちが大人かという光景がw
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施設科っていうもんはな、奴らが三途の川に行ったら、
賽の河原に地雷原を構築して鬼を排除するわ、奪衣婆を指向性散弾で吹き飛ばすわ、石は重機で一気に積み上げるわで、渡河点を悠々確保して立派な橋架けて、三途の川を堂々と進撃するんじゃ!(何かを受信
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日本の流行前に中国に医療物資援助した事を、ちょっと非難気味な話題としてお医者さんに振った時、
「政治は分からんけど、あの状況見て助けてやろうと思わなきゃ、臨床医じゃねぇわな」
と言われて、赤面した。落ち着いてきた今だからツイ出来る話。
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GoToキャンペーンの一時停止になってしまったけど、なぜあそこまで政府が旅行や観光に注力するか、自分にはピンと来なかったんですよね。漠然と経済回すって感じだけで。なので、色々と自分なりに調べて初歩的なことから考えてみたんですよ。結論もなし真偽不明で、例によって駄文長文なのですが。
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ここ数日、確かに政治的に荒れるようなツイートが流れてこないけど、ミリクラは相変わらず意見や宗派対立がアレなので、Twitter社の情報操作に踊らされなかった健全なクラスタなのでは?と思い始めた。
さぁ、大和とアイオワを一対一で戦わせる想定で意見交換しようかwww
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実際の死亡率とか、医療従事者の努力でギリギリ踏ん張ってる医療体制に目を向けず、「海外ではー」を連発する連中って、既視感あると思ったら、企業アドバイザーとかマナー講師の類だった。
あいつら、問題ないとこで騒ぎ立てて現場を大混乱させて、一散に逃亡した奴しか見たことない。
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そんな感じで、1時間以上も貴重なお話しをお聞かせ頂いた訳で。奥様が帰り際に、主人が私も知らない事をこんなに話したのは初めて…とおっしゃっていました。雪解けしたら、噂だけだった収容所の跡地に行ってみようと思う。
長文連投ですが、生き残りに方々の体験談をお裾分け。
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そう考えると、全員歩兵の訓練受けてそこから各兵科に進む、米海兵ってなんだかんだ考えられた組織なのかなと。今は建前かもしれないけど、歩兵が最上で全ての兵科は歩兵を支援する為に動いている様な部隊だから。
DANGERCLOSEじゃない支援は支援じゃないって、海兵航空隊の兄ちゃんが言ってたな。
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あ、ちなみにお客さんの親父さんは国民義勇戦闘隊に招集されて、現地で武装解除投降。シベリアに送られる事なく、現地で半軟禁みたいな状態で、3年後に帰還したそうです。苦労はなされましたが、戦没者はいなかったと言う話でした。
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無料を期待して色々トラブルになるより、よっぽどマシだと思ったのは、この手の業者の手口が色々報道された時以降。
余り話してくれなかったけど、処分場への行き帰りに、その商売の色々な話(手口)聞いてきたとか。(父親も、こーいう話を引き出すの上手い)
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まぁ、なんだ。Twitter 社7500人ぐらいの内、3700人解雇しても粛々とTLは稼働してるわけで。
でもミリクラのフォロワーさんなら分かってくれると思うけど、旅団規模の部隊が突然予告なしで半数が消失して、それでも部隊活動維持してるのって、凄い抗堪性の高い部隊だと思うぞwww
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自分と母親が無料じゃないの??というのを制して、ウチの父親は「無料」業者と価格交渉。最終的に搬出と積込みを手伝い、市の処分場までトラックに同乗という事で当初の3万円で妥結。廃棄が終わった後、「寸志」と書いた封筒にお金入れて支払ってた。
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日本の警察は大人しいとか思ってる人多いだろうし、実際諸外国に比べて紳士的で怠けてても何とかなっちゃう治安の良さなんだけど、リアルタイムでオウム事件見たオジさんは、アイツら本気になったら、どんな対象でも、全員合法的に拘束されると思ってますもん。
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そんな混乱の中で、タコ部屋の人達が監視付きで市内に買い出しに来た時に、色々オマケをしてあげてた商店があったそうで、そこの商店には朝鮮人が寝ずの番をしながら、同じ朝鮮人からの略奪から守ってくれてたと。ちなみにそこの商店は過疎化の中で今も商売してる数少ないお店らしい。
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日付は不明だけど、11日ぐらいらしい。お客さんは当時12歳。家のそばにあった、憲兵隊の建物も騒がしくなってて、いつもは私服の憲兵隊の兵隊さんが、軍服を着てたのが印象的だったと。そして、憲兵さんがひたすら「豊原か大泊に行け」とメガホンで絶叫してたそう。
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多分に運にも左右されます。でも、そう言う商売なんですよね。現場のSPに責はないかもしれませんが、上の誰かが責任を取ってその人のキャリアはほぼ終わります。誰も責任を取らない組織は反省も改善もないので、誰かが責任をとる組織の方がよっぽどマシです。そんな厳しい仕事です。
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そのお客さんに、小さい船は小笠原丸という船で、出航は8/20。大きい船は第二新興丸といって、同じく留萌沖でソ連潜水艦に襲撃を受け大勢の死傷者を出したと話したら、10日も歩いていたのか運が良かったと、大笑いしてた。あまり当時のことは調べたり思い出したりしてなかったそう。
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今も昔も結構グレーゾーンだけど、半世紀以上前から会計隊で原価計算課やら契約課とか渡り歩いていたら、そーいう業者相手にも対等以上の取引できるのかねーと、年寄りも強えなぁと感心した出来事だった。
相手の手口と本来の料金知ってて、相手も商売と割り切ったてるから、こういう事出来たんだろね