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庵野秀明のテレクラ潜入ドキュメント。お相手の女性がエヴァの話題を振ってくる超展開(庵野の素性は伏せている)。
「映画とか観に行った?」
「映画は、うーん、まあ観たっちゃ観たんだろうなあ」
「詳しいっすねえ」
「結構じゃあハマってた方なの?」
「いや、俺、冷めてたけどーー」
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仰天したトリュフォーとゴダールが映写室に駆け込んでフィルムを確認したという『新・平家物語』(溝口健二、1955年)冒頭の超絶技巧の長回し。
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「映画を倍速で見たい」「映画を自分の好きな速さに調整したい」という欲望自体は映画史初期から存在する。日本のサイレント映画の場合、映写が手廻しだった頃は活動写真弁士の意向で速度が変更されていた。見せ場を作るためにあるシーンの映写速度をわざと遅くすることが平然とおこなわれていた。
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コピーを変えても写真のメッセージは温存される。真顔で視線を斜め上に向けている男性の「上昇志向」に消費者を誘導する一方、笑顔を浮かべてこちらに視線を向ける女性はあくまでまなざしの対象にとどめ置かれる。「見る性/見られる性」の不均衡をあられもなく露呈している。nikkei.com/promotion/camp…
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おそらく溝口健二作品のなかでもっともよく知られている『雨月物語』(1953年)の、もっとも有名なワンショット。同一ショット内で文字通り(映像通り)世界が一変する。撮影は『新・平家物語』と同じく名カメラマンの宮川一夫。
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そう、直接には言っていなくても間接的に悪意を仄めかせるのが表象(言語)の力なんですよ。たとえば間の抜けたフレーズを二回繰り返してみるとかね。それは僕の想像力が豊かなのではなく、言語が潜在的に有している豊かさにほかなりません。 twitter.com/bakabakaweb/st…
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続きの部分(庵野秀明のテレクラ潜入ドキュメント)。
女性からとある「いい言葉」をかけられた庵野が「ありがとう」とお礼を述べつつ、エヴァとは言わずにエヴァの苦労話を訥々と語り始め、それをおもしろがった女性が「遊ぼうよ」と誘ってくる。
そして渋谷で夜9時に待ち合わせをすることにーー。
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いくら丁寧に説明しても、参考文献を提示しても、最終的には本人に学ぶ意思がなければどうしようもないですからね。未知の考えに触れるのは怖いですもんね。自分の考え方を変えるのには勇気もいりますし、無理強いはできません。おもしろいものが世の中にひとつでも見つけられてよかったですね。 twitter.com/2g929fh27/stat…
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一番伝えたいメッセージ(「商品/サービスを買ってくれ」)を隠しつつ、その目的を遂行するのが広告の本質なので「そんなことは言っていない、書いて/描いていない」式の批判はそれ単独ではあまり有効ではないと思う。さまざまな記号の組み合わせによって、間接的にメッセージを伝えることができる。
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名刺で思い出すのは『アメリカン・サイコ』(メアリー・ハロン監督、2000年)の「名刺マウンティング」のシーン。ウォール街で働く超エリートたちがフォントや紙質でセンスのよさを競い合う。彼らの人生の空虚さを端的にあらわすシーンとしてしばしば取り上げられる有名なシーン。
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「見る側にいると思って安心して消費に励んでいたら、いつの間に見られる側に置かれていて恐怖を覚える」というのはおもしろい見方ですね。何かの核心をついているかもしれません。批評的に展開できそうなアイデアだと思いました。 t.co/xIxZedBWu7
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5月16日は溝口健二(1898-1956)の誕生日。
代表作の『雨月物語』(1953年)より、画面に幽霊を招き入れるためのあまりにも魔術的なワンカット。
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ご冗談を、漫画家さんがわからないわけがないでしょう。本気でわからないのだとしたら表現に対する見識の点でも、リプライにいくらでも答えが書いてあるのにそれを視界に入れるだけのリサーチ能力がない点でも、適性を疑ってしまいます。ごめんなさい。 twitter.com/_kprc_/status/…
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『雨月物語』の有名なワンショットは、撮影もさることながら実は録音技師の「超絶技巧」に支えられて成立している。マイクを4、5本使ってシンクロ(同時録音)で撮ったそうだけれど、ミキサー側に入力端子が2つしかないため、マイクのコードを早業で抜き差ししながら必要な音だけを拾い続けている。
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しだゆいさんによるnote記事「隠れた権力としての「サイゼ」vs架空の権威としての「大学教授」」がめちゃくちゃおもしろくて読み応えがあった。
note.com/shida_huit/n/n…
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『ラーゲリより愛を込めて』(瀬々敬久監督)について「映画における主観的な時間」をテーマに書きました。
もう劇場公開も終わりに差し掛かっていますが、つい先日、シベリア抑留経験者の祖父が亡くなったばかりで、映画に絡めて最後に個人的な思いも書いています。
hitocinema.mainichi.jp/article/x9lc6d…
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映画論の授業は三週にわたって『椿三十郎』を取り上げた。黒澤明のオリジナル版(1962年)と森田芳光のリメイク版(2007年)の比較。同じ脚本を使っているのでそれ以外の要素(演出、カメラ、編集等)に注目しやすい。たとえば序盤の抜刀シーン。見比べてみて、それぞれどんな印象を受けるだろうか。
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『ドライブ・マイ・カー』に対する違和感の表明を目にするようになったけれど、そもそも作品が話題になっているからこそ、そうした声が届く(共感を集める)ようになっている点と、それによって、世の中にさまざまな立場や考え方があることを可視化してくれている点で健全で望ましい状況だと思う。
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20秒でわかる「イマジナリーライン」入門。
『パプリカ』(今敏監督、2006年)より。 twitter.com/yuassamakoto/s…
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ニュースで報道された是枝裕和監督の発言「(赤ちゃんポストが)赤ちゃんを救う箱なのか、母親を甘やかす箱なのか」の後半部分は「母親を甘やかす箱なのか(いや、そんなはずがない)」という反語的表現に決まっているけれど、文字通りに受け取っている人が少なからずいるようで驚いた。
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「もうすぐお父ちゃまのところへ行くのよ」
今日の講義は「ゴジラ」。初代『ゴジラ』(本多猪四郎監督、1954年)のこのシーンを説明するときに涙ぐんで学生に不審がられてしまった。… twitter.com/i/web/status/1…
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何が言いたいかというと、映画史的には「映画を早送りで見たい」とか「自分好みの速さに調整したい」という欲望自体はずっと前から存在していて、個人視聴環境の一般化と再生技術の発達がその欲望を全面化したという見方もできるだろうということ。
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「わ」はそれ単独ではただのひらがなのひとつでしかないかもしれないが、二本線の記号とともに提示されると別の意味を帯びるようになる。わざわざ丸みを強調した字体が採用されている意味も、それが何を表現しているかも多くの人にとって明らかだろう。