畠山重忠が滅んだあと、島津氏は畠山の一族や郎等を招き入れました。重忠の郎等・本田近常(重忠の乱でともに戦い自害)の子孫も島津に仕えています。 島津氏の祖・忠久と畠山氏に縁があったといわれます。その後、鉢形など畠山の所領の一部が島津のものとなったとか。 #鎌倉殿の13人
宗時お兄ちゃんが生きてたらな……。 時政パパと義時の間に入って……くれたかもしれないし、余計引っかき回してたかもしれない #鎌倉殿の13人
#鎌倉殿の13人 第37話 ・オンベレブンビンバ(クセ強タイトル) ・一週間その意味を考えた視聴者 ・正しくはオンタラクソワカ ・笑えるシーンなのに、唱えるといいことがあるはずの呪文を正しく言えない悲しみ ・政子様に甘っ甘の大江広元(尊い) ・謀略で頼りになる男・義村 ・すでに来週が辛い
#接客業であったすごい客 たこ焼き屋でバイトしていた頃。 年配の女性が来店されて 客「あの〜昨日の番号札5番なんですけど〜😀」 全店員「(昨日、あなたをずっと待ってた!😂)」 店長「作り直しますので少々お待ちくださいませ〜」 客「昨日のなのに、ないの?」 店員「(昨日のだから、ないの😂)」
#鎌倉殿の13人 第41回 ・起請文は吐けば良し ・俺の指を使え(?) ・二階堂に戻ります!(もはや清々しい) ・強すぎる大江広元(甲冑なし) ・我こそが鎌倉随一の忠臣じゃ ・我こそは忠臣・和田義盛の妻、巴なるぞ! ・よみがえる、木曽義仲との別れ…… 巴に二度も生きのびろというのは酷なのよ……
肩ポン、トキューサ。 政子は4/15に京都を出発しますが、トキューサは上皇の蹴鞠に付き合うためしばらく残ったので、政子より後に帰ったとか。 トキューサ、ヒロインみたいな気に入られ方だったなw #鎌倉殿の13人 #吾妻鏡
🔴小説告知🔴 年明けの2023年1月17日 講談社文庫『どうした、家康』 が発売します✨ #小栗さくら の初家康小説は関ケ原が題材! 上田秀人先生、井原忠政先生、谷津矢車先生など著名な先生方とのアンソロジーとなっています☺️ ↓家康の人生の岐路を描いた一冊↓ hanmoto.com/bd/isbn/978406… #講談社
#どうする家康 第1回 ・14歳で木彫りのウサギと遊ぶ家康🐰 ・家康「では、遠慮なく」(←好き) ・本業を発揮する今川義元 ・義元「余と氏真を末永く支えてほしい」  家康「身に余るお言葉」  ※支えるとは言ってない ・達磨大師みがある信玄 ・同盟できそうにない回想の信長 ・俺の白兎(え?)
🐰家康うさぎ年生まれ説🐰 家康が自筆で署名したとされる都状(願文)による説です。 慶長8年、家康将軍任命の際の都状に「癸卯(きぼう)年」とあり、癸卯が天文12年に当たるため、これが本当なら通説より1歳下の卯年となるとか。 寅年生まれは印象操作という見解もあります🐯 #俺の白兎 #どうする家康
#どうする家康 第2回 ・於大「寅年、寅の日、寅の刻!ニコッ(圧)」 ・竹千代ラブすぎて、すでに脳内同盟してそうなノッブ ・対して、信長にいい思い出があまりない家康 ・悪態つきつつ体張って主君を守る忠勝 (最高です、ありがとう) ・厭離穢土欣求浄土! ・(次回予告)また海老すくいやってる
この時期の今川氏真が三河に力を割けなかったのは、#上杉謙信 の関東侵攻の影響が大きかったようです。北条・武田との甲相駿三国同盟のため、共闘に専念していた氏真。 一方で保護を得られない西三河の国衆たちが、生き残るために今川との関係を考え直すのもやむを得ない…… #どうする家康
#どうする家康 第三回 ・美しすぎる主君特集に出てきそうな義元 ・手が混みすぎた忠世の作戦地図  (からの秒で敗北) ・信玄だけいつも違う世界観 ・つよつよ於大と下まつ毛の存在つよつよ殿潤様 ・真田丸・直虎に学ぶ国衆の生き残り ・冷静なのに熱い数正しゅき ・和気あいあい後は凄惨が大河の常
家康と信長が和睦をした頃の書状(推定)に、家康が足利将軍・義輝に馬を送ったことが分かるものがあります 将軍が馬を欲しがっていたところ、家康は迅速に献上。義輝は信長にも所望していたもののまだ献上がなかったので、家康を褒めています。 周囲とバタバタ中でも機会を逃さない家康 #どうする家康
#どうする家康 第4回 ・将来信長に足蹴にされた光秀を不思議な顔で見そうな秀吉 ・岡田信長と北川お市兄妹の美の暴力 ・幼少お市をちゃんと藁の上に下ろすノッブの優しさ ・顔ペチからのビンタ ・とにかく秀吉が怖い ・好きゆえに優しい嘘をつくお市と、好きゆえに傷つけてしまう氏真の対比
本多正信は、のちに真田と幕府を繋ぐ取次になったり、正信の息子が直江兼続の養子になるなど、その繋がりも興味深い人物。 真田信之が父・昌幸の死にあたり、葬儀について正信に相談していたことはよく知られます。謀略家のイメージが強そうですが、返事の内容からは気遣いを感じます #どうする家康
瀬名奪還の話はフィクションですが、元となっている編纂物はあります。 鵜殿攻略の際に鵜殿の子二人と家康妻子の人質交換をしたという話は、江戸中期以降の編纂物にあるため、江戸期に創作されたものを脚本に取り入れているという形かと思います。 #どうする家康
#どうする家康 第5回 ・家臣内で(ヤバくて)有名すぎる正信 ・真面目なはずなのに何か笑える半蔵 ・「己は策がないくせに」はリアルでもあるある✊ ・毒入り菓子じゃなかった(毒に慣れた「麒麟がくる」勢🍵) ・巴ママも田鶴も「そんなつもりじゃなかった」 ・悲しみの「どうする瀬名ちゃん」回
#どうする家康 実際、於大の夫・久松長家には戦後に上之郷城が与えられました。 於大たちはそこに移り住むことになります。 家康の異父弟である、於大と久松長家の間の子(康元・勝俊・定勝)には、家康から松平の名字が与えられ、久松松平家が誕生しました。
桶狭間で家康を守った時も、今回の榊原康政(小平太)を助けた時も、瀬名たちが無事に川向こうから家康のもとに戻った時も、サッと我が身を前に出し槍を構え守ろうとする本多平八郎忠勝見ました!? (面倒見の良いツンデレですね) そのうち康政と仲良く競い合うだろうから楽しみにしてる #どうする家康
#どうする家康 第6回 ・毎話強き戦国女子すぎて、自称サバ女など蹴散らす於大ママ ・当たらないと定評のある半蔵の飛び道具 ・「お前などには任せぬ!」「でしょうな!」 ・ドシリアス今川ターンとシリアスになりきれない松平ターン ・「そなたが命をかけるべき時は、いつか必ず来ます」それダメ……
#どうする家康 第九回 ・"色男"がもはや本名感ある忠世 ・“寺を丸裸に“……皆の頭をよぎる大坂の陣 ・捕まった正信の言葉、現代にも通じる説得力 ・家康より瀬名の方が動じない ・高すぎる海老すくいの頻度 ・歩き巫女・望月千代女と仙人・信玄 ・寺を元通り→約20年後、寺院再興を認めてるよ
長政が信長を裏切った理由は諸説あります。 一説として、信長との同盟を続けることで、浅井が織田の家臣団の一部と化し、大名としての独立性を失うことを懸念したことが挙げられています。 #どうする家康
信長は、長政だけでなく、松永久秀や荒木村重に裏切られたときも、はじめは信じないんですよね。 意外と信じやすいところある。 「松平記」「三河物語」など徳川方のお話では、信長は家康に知らせることなく自分は退却したことになっています。 #どうする家康
このドラマの、「築山殿を悪女に書かない」という意気込みが感じられる描き方が好き。 史実云々はまた別として、誰から見たかで「正義」は変わるし、その視点を描けるのはドラマや小説ならではなのよね。 ドラマで瀬名ちゃんが一番好きなので、瀬名ちゃんが出ると集中して呟きが減る… #どうする家康
五徳はこのあと織田に戻るのですが、再婚することは無かったそうで、ドラマの通り「岡崎殿」と呼ばれていたようです。 信長の死後は兄の庇護を受け、のちに秀吉への人質になったということなので、また後で出てくることもあるのかな。 #どうする家康