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父に関するインタビューの打ち合わせ。依頼主も本人も満足のいく仕事ができたのは71、2歳までだったろうと言った後に残酷だな、と思った。でもそれ以降明らかに絵が弱っていくのだ。2010年にある大きな仕事を納品したが採用されなかった。その事を彼はどう受け止めたのだろう。
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生賴範義画集〈SAKYO MOVIES〉見本出来ました。
「復活の日」「日本沈没」「首都消失」。
小松左京原作の映画のために生賴範義が描いたイラストレーションが
一冊になりました。
10/15、復刊ドットコムより刊行になります。
note.com/fukkan_com/n/n…
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今年に入ってから、生賴範義の油彩作品を宮崎市の旧みやざき歴史文化館で保管するための準備が進められています。父のアトリエからまずはみやざきアートセンターへ。長年にわたり高温多湿のアトリエで埋もれていた間に画面に付着した汚れや埃を、長岡センター長が丁寧に取り除いてくださっています。
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「怪獣王子」の製作に名を連ねている瀬戸口智明という方は、生賴範義に初めてイラストを描かせた人です。父と高校が同窓で広告代理店に勤務、新聞広告や社内報のカットなどの仕事を世話してくれた恩人です。 twitter.com/takerumitsuru/…
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その時も進行中の仕事があったが、発注先に詫びてキャンセルとなった。
豪胆かつ緻密な作風を身上とし、120歳まで描くとうそぶいていた画家にも、そんな事はお構いなしに認知症はやって来た。
せめてあと10年描いてほしかったが、十分すぎる仕事を遺してくれた、とも思う。
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普通なら着荷と同時に担当者から感謝と絶賛の電話が来るのに、それがないまま報酬が振り込まれていたと、何年か後に母から聞いた。
父が納品後の経緯を問い合わせたかどうかはわからない。多分してないだろう。翌年彼は脳梗塞の発作に見舞われ入院する。