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「バリエーション」や「色違い」「出世魚」「ナンバリング」など、収集欲を喚起する要素を洗い出して仕組みをブラッシュアップしていきました。その中のひとつに「メンコ」もあったと思うけど、少なくとも「元ネタ」ではありません。
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ポケモンおよびゲームフリーク伝説の語り部として老いていく決意をした人間なので、そこでまちがいを語られると黙ってはいられません。
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最初に田尻社長がポケモンの企画書を作ったとき、ぼくは「これ、この企画自体が金になるから、バンダイとかに持っていってSDガンダムとかで製品化すれば企画料だけでも数百万円で買ってもらえるんじゃない?」といったんですよ。→
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でも、それだと数百万円もらって終わりだから夢がない。ぼくたちのオリジナルキャラで作ってヒットすれば、もっと利益が上がるじゃん、と社長に言われて、そこに掛けたんですよ。まあ、結果は皆さんご存知の通りで、社長の判断が圧倒的に正しかったのです。
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前段として『ヨッシーのたまご』があって、あれは300万本のスマッシュヒットになったけど、自社のキャラではない。その後、元はオリジナルとして作っていたゲームが『マリオとワリオ』になり、大ヒットもした。そこに唯一ゲームフリークのオリジナルキャラである「ワンダ」ちゃんがいた。→
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これで、やっぱり「うちのオリジナルキャラが欲しいよねえ」という気分が社内に強くあった。それがその後の『ポケモン』を完全オリキャラで、という方向性に影響したのは間違いない。
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『マリオとワリオ』なんてさ、最初は山内社長から「今度うちが出すスーパースコープ用のゲームを作れ!」って指令から始まったプロジェクトだからね。で、田尻社長とおれが延々アイデアを練って、社長がある日「グレムリンだ!」ってひらめいて、→
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洋館に住み着いた謎のモンスターをバズーカで網を発射してキャプチャーし、トリガーで捕獲するっていうゲームにした。試作もしてけっこういい感じになってきたんだけど、バズーカが全然売れないので、任天堂はマウスを出してきた。→
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それで、グレムリン系のゲームをマウス(ポインティングデバイスという点では構造は一緒)向けに改良する過程で、迷路内を動くキャラをマウスで誘導するゲームになっていった。
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そこに、任天堂サイドから「どうせなら任天堂のキャラを載せようや」という提案があり、僕らもその方がどう考えても売れるので承諾してマリオとワリオになった。でもギリギリでワンダちゃん(杉森建のオリジナルキャラ)を残してもらった。
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これが、のちの『ポケモン』(完全なゲームフリークのオリジナルキャラの集合体)の伏線になったわけです。
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『テトリス』の発想経路は、パジトノフさんと会って話したことありますが、有名なプラパズルの「ペントミノ」から思いついたのはその通り。それをコンピュータ上で再現し、ブロックを上から落とすようにして、揃った横ラインを消せば永遠に遊べるじゃないか、と閃いた。→
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そのとき、揃ったラインを全部消すか、半分だけ消すかでゲームバランスが変わる。と同時に、落ちてくるピースもトリオ(3)にするか、テトロ(4)にするか、ペント(5)にするかで、やはりバランスが激変する。それで試行錯誤の結果あの形に落ち着いたんですね。完成まで13日間だったそうです。
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ついに逃げ切られたかー。『無限の本棚』の初版印税は半分だけでも回収できたし、印税未払いのおかげで契約を解除してちくま文庫に入れることができたので、結果的にはよかったのかも。 twitter.com/Bookness2/stat…
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日本四大○○感のないバンド。
・T-BOLANのT-REX感のなさ。
・ファンキーモンキーベイビーズのキャロル感のなさ。
・OKAMOTO'SのRAMONES感のなさ。
・BOØWYのD.ボウイ感のなさ。