仮蔵(@karizo2022)さんの人気ツイート(古い順)

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27/85 ソ連軍は、核の移動弾幕射撃に覆われて進まなければならない。核の荒れ地を進むために特別に設計されたのだ。BMP-1は、放射能から身を守るために多くの防護策を持っていた。しかし、川も泳いで渡れるようにと、装甲はほとんど積んでいない。 twitter.com/kamilkazani/st…
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28/85 ソ連軍はインフラが破壊された後の、核の不毛地帯を進まなければならなかった。そのため、車両には多くの放射線防護を施し、装甲はほとんど施さなかった。核の荒れ地では、どうせ大した抵抗は起きない。 (放射性物質を除去する訓練をするソビエト人) twitter.com/kamilkazani/st…
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29/85 通常戦争では、ソ連軍の利点はほとんど役に立たない。放射線も少ない。それなのに、通常戦争に投入された核戦争用車両は、弱い装甲「が」大きな欠点になっている。そのため、兵士は手作りの保護具を取り付けなければならない。アサドのBMP-1を参照。 twitter.com/kamilkazani/st…
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30/85 ウクライナにいるロシア軍の車両の写真をググってみよう。似たような手作りの「なんちゃって」保護具を装備した車両が山ほどひっかかる。これなどまだましな方だ。戦車やIFVには、もっとひどい装備もある。ロシアは準備不足のまま通常戦争に突入してしまった。 twitter.com/kamilkazani/st…
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31/85 ある意味、私はソ連・ロシア軍の運命を深く詩的に感じている。それは核戦争を想定して設計された。彼らは何十年にもわたって核のホロコーストの準備をしてきたのに、それを経験する機会がなかったのだ。まるで作家ブッツァーティの作品のプロットのようだ。 twitter.com/kamilkazani/st…
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32/85 核戦争以外にも、ソ連軍にはいろいろな役割があった。その1つが、ジャガイモの収穫だ。文字通りの意味でも、比喩的な意味でもだ。軍隊は、ソビエト経済と労働市場におけるあらゆるスキマを埋めることを命じられた。それがジャガイモを収穫することだ。 twitter.com/kamilkazani/st…
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33/85 春から晩秋まで、ソ連軍は農作業に追われた。シベリアからウズベキスタンまで、広大な土地を耕し、水をやり、収穫する。誰も逃げられない。ハンガリー駐留の華やかな空挺軍も、クバンの畑で働かなければならなかった。 twitter.com/kamilkazani/st…
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34/85 誰も農作業から逃れられない。核ロケット隊員、海軍水兵隊員、空挺隊、ヨーロッパ駐留軍、すべて車両と人員を畑に送り込まなければならなかった。つまり、農繁期には、ソ連の軍事力は非常に低下していたのである。 twitter.com/kamilkazani/st…
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35/85 それは、昇進にも影響した。軍隊は畑で働かなければならない。したがって優秀な将校ではなく、優秀な農業経営者が昇進した。ソ連が崩壊した時、陸軍が奇妙なほど無為無策だったのもこのためだ。1991年8月。兵の多くが畑にいたのだ。 twitter.com/kamilkazani/st…
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36/85 最後に、ソ連・ロシア軍は衛星国での治安維持活動を行わなければならなかった。それがZ作戦の論理の背景だ。それは戦争とした計画ではない。1968年のドナウ作戦をモデルにした治安維持作戦としての計画だ。ロシアの情報源はそれについて非常にオープンだ。 twitter.com/kamilkazani/st…
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39/85 ロシアのオブザーバーは、Z作戦が1968年のドナウ作戦をモデルにしていることを公言している。ドナウ作戦がZ作戦の基準であると声高に主張する西側のアナリストは、私が知る限り数少ない。その一人がエドワード・ルットワックだ。まさにその理由でロシアの失敗を予言した twitter.com/kamilkazani/st…
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40/85 ロシアはウクライナでの素早い勝利を目指したが、電撃戦の計画はなかった。戦争にする計画は全くなかったのだ。それは「ドナウ作戦」のコピペなのだ。ソ連が反体制派のチェコスロバキアを鎮圧し「プラハの春」を終わらせたときの。比喩ではない。文字通りの意味だ。 twitter.com/kamilkazani/st…
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43/85 抵抗を最小限にするためには、侵攻は予期せぬものでなければならない。そのため、侵攻の準備は2回とも「大演習」で偽装された。Z侵攻は「ベラルーシでの合同演習」、ドナウ侵攻は「ネマンの大演習」として。後者はチェコスロバキアの国境に巨大な戦力を集結できた。 twitter.com/kamilkazani/st…
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44/85 1968年も2022年も、兵士たちは自分たちがどこに向かっているのか知らなかった。指揮官でさえも知らなかった。侵攻の直前、指揮官は無線で"Vltava-666"という命令を受けた。それは、秘密命令が入った封書を開封し、直ちに実行せよ、という意味だったのだ。 twitter.com/kamilkazani/st…
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45/85 1968年のチェコスロバキアでも2022年のウクライナでも、占領者は自分たちと被占領者の車両を区別するのに苦労した。そのため2022年には「Z」、「V」、「O」などのマークを、1968年には白いストライプを車両に付けた。これは「自軍」と「敵軍」を区別するためのものだ。 twitter.com/kamilkazani/st…
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47/85 ドナウ作戦もZ作戦も、空挺隊が空港を攻撃するところから始まった。1968年、ソ連の輸送機が「事故」を理由にプラハに緊急着陸を要請した。プラハはそれを許可した。飛行機が着陸し、空挺隊が上陸して空港を占領し、他の侵攻部隊がスムーズに上陸できるようにした。 twitter.com/kamilkazani/st…
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48/85 Z作戦も同じように始まった。作戦は爆撃で始まり、ロシア空挺軍が主要な空港に空挺部隊を降下させた。彼らがキエフ近郊のホストメル空港を攻撃しているところを見てみよう。ここに大きな違いがある。ウクライナ軍は直ちに発砲したのだ。 twitter.com/kamilkazani/st…
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49/85 ロシア側から見たウクライナの空港への最初の空爆の様子。ご覧のように、Z作戦の初期段階は、ドナウ作戦と同じような展開だった。輸送ヘリコプターを大量に使用し、空港を制圧し、空から多くの部隊を輸送する。 twitter.com/kamilkazani/st…
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50/85 しかし、Z作戦における空襲は、ドナウ作戦よりもモスクワにとってずっと悪い結果になった。ウクライナ軍はロシアの空挺軍を前に、より覚悟を決めていたのだ。結局、空挺部隊は本来、正規軍に対抗できない、見せかけの警察部隊だ。破壊されても不思議はない。 twitter.com/kamilkazani/st…
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51/85 2022年の陸上侵攻も1968年をモデルにしているが、準備はもっと悪かった。1968年のチェコスロバキアでは、50万人の巨大な軍隊が2つの部隊に分かれて攻めてきた。25万人の第一部隊が進撃し、次に第二部隊がやってきて領土を占領し、補給線を確保した。 twitter.com/kamilkazani/st…
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52/85 Z侵攻は、はるかに少ない兵力で行われた。2月下旬、ウクライナとの国境を越えたロシア兵はわずか16〜19万人。1968年と同様、彼らは突き進んだ。だが、第1部隊の背後の陣地を占拠し、補給線を確保するはずの第2部隊は来なかった。なぜか。それが存在しなかったからだ。 twitter.com/kamilkazani/st…
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53/85 プーチンはウクライナ人が降伏すると思っていた。抵抗するとは思っていなかった。プーチンと一部の西側のアナリストはドンバスの大惨事による文化的影響を過小評価していた。東ウクライナの親ロシア感情は消え去っていたのだ。ドンバスでのロシア支配は悪夢と化した。 twitter.com/kamilkazani/st…
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54/85 ロシアの公式プロパガンダでさえ、ロシアがウクライナの大衆感情を見誤っていたことを認めている。彼らは、ウクライナ人はつまるところロシア人であり、ウクライナの独立は単なる茶番だと誤って信じていた。一方、彼らは思いがけず、辛辣で断固とした抵抗に遭遇した。 twitter.com/kamilkazani/st…
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55/85 はるかに小さな兵力で行われたドナウ型の侵攻は、失敗に終わった。なぜか?ウクライナ人はそれを予見していたからだ。彼らはゲリラ戦と敵の深部後方で活動するための準備をした。ポーランドを模範とした領土部隊の構想は、このような戦争を想定したものだったのだ。 twitter.com/kamilkazani/st…
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56/85 Z軍が未占領地を残しながら進軍したことで、ウクライナ軍が準備していた通りの戦争ができたのである。その結果、彼らは本格的なゲリラ戦を開始し、ロシアの補給隊や陸軍の隊列を荒らし回った。下記ビデオを参照。 twitter.com/kamilkazani/st…