SNSで「ポテサラ爺さん」的な迷惑な他人をぶっ叩く論調が大盛り上がりする一方、「地域が子育てをする私たちに冷淡だ!」というのは、一見すれば無関係に思われるかもしれないが、これらはつながっている。私たち全員が合意して、この「子ども・子育て世帯に冷たい社会」をつくった。
先日アメリカでの3週間の旅を終えて帰国した田端さんと会ったとき、「牛丼と無料のエロ動画、このふたつが日本に暴動が起きない大きな要因になっていると思うんですよ」と語っていたことを思い出す。
え? ジブリパーク来場者が不適切写真を投稿 愛知知事「毅然と対応」 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20230…
学力試験の一切をスルーして面接と小論文で入ってくる女の子に理系人材としてなにか期待感があるかっていうと別にないですからね。常識的に考えるとなにか別の意図があると推測できます。 twitter.com/sPkpN3RgCyfAc5…
身も蓋もないことを言いますと、右も左も言論人と呼ばれる手合いがみんな運動不足の不健康な中高年ばっかになってるんですよ。 twitter.com/1098marimo/sta…
まあ公金チューチューよりはるかに潔いと言えるのかもしれない
ふるさと納税そのものはかなり欺瞞的なシステムではあるものの、これが「クソみたいな公金の使い方をする行政に対する資産防衛」という意味合いを帯び始めたら、もう止まらんだろうな。
この人たちがいう「家父長制」って具体的にどういうことを指しているのか、そういえば定義説明されていたっけ。 twitter.com/mt_yamamoto_/s…
朝日新聞がいつも説教がましく言っている「無意識のジェンダーバイアス」の答え合わせみたいになってて面白いな。
こんなのは別にギョっとするようなことでもなく、姑と二世帯で同居してた時代にはいちいち言語化されることなく遂行されていた話にすぎないが、子ども世帯と離れて暮らすのがデフォになり、文字ベースのコミュニケーションで「わざわざ明文化される」ことでグロテスクな話になってしまっている。
書いてないことで怒るのはちょっと……と一瞬思ったが、さすがに文脈的に「女性/女児」に限定した記述にすることに道理がなかった。 twitter.com/UNIC_Tokyo/sta…
インターネットによって成敗された「ねこホーダイ」だが、おそらく2020年代以降の論点として無視できない側面を含んでいる。世間は今回はこれを「正義」としてやっつけることができたが、しかし遠からず「ペットを飼うこと」そのものに倫理的な批判が向けられるフェーズが必ずやってくる。
いわゆるポリコレ・リベラル系の人びとが「多様性」という言葉を使う時、「お互いがお互いのことを思いやって、配慮したり譲歩したりして、手を取り合いながら仲良く穏やかに生きていく」ようなイメージを自明の前提にしていることが多い。 ――だが、はっきり断言しておく。 そんなものはない。
こういう情報発信という名の、その実ほとんど恐怖煽りと見紛う放言が「専門家の意見」として無責任に発信されてきたことへの批判はあってしかるべきでは、という話をこの昨日一昨日としたところ、普段は自由がどうのこうのと言ってる人まで手のひら返していたのは驚きでしたね。
教育投資チキンレースを本当はどこかでやめないと、あきらかに負の側面がデカくなってしまっているのだが「自分がやめてもだれかが抜け駆けするかも……」という状況が生まれてしまっているので、この膠着状態を抜け出す方法がない。
立派な肩書も経歴もない名もなき人が「まともなこと」を言っているのにだれからも注目されず、他方でご立派な学歴や肩書の人が無茶苦茶なことを言ったらそれが爆バズ――みたいな非対称性を延々見せられる時代に、よし自分も盛るぞ、って誘惑に負けてしまう人が出てくるのは、そんなに不思議じゃない。
本当にカネを稼げる稼げないの軸だけなら、政府がここまで人文系に締め上げ強くするわけないでしょ。
せっかくの連休を「アラサー女子は洗濯ばさみを髪留めに使うかどうか」で大喧嘩していたかと思えば、週明け早々お次は「カップ麺を買うことは貧乏人の節約術か否か」で憤怒が爆発していたようだ。我々は、インターネットをいますぐやめるべきではないか?
共謀罪で国民の言論の自由が~とか言っておきながら、脱糞がどうので刑事告訴ってどう考えてもおかしいでしょ
ひろゆき氏のやっていることが、これまで右派が伝統的に左派に対してやってきた「性格の悪い揚げ足取り」的な行為であるといってしまえばそれまでなのだが、しかしながら世間の人びとが素朴にイメージする「座り込み」が本件では実際には行われていなかったことは事実である。
「嫌いな奴がいること」よりも、「嫌いな奴のこと、嫌いな奴が出す作品のことを好きな奴がたくさんいる」という光景が、人間にとって憎悪を深めてしまう。なぜならその光景は、「人それぞれだから」ではなくて「お前の価値観は間違っている」という挑戦に見えるから。
キャンセル・カルチャーとは結局のところ、自分たちにとって都合の悪い相手を社会的に抹殺し、またそれによって自分たちに潜在的には不同意あるいは異論を持つ人びとをそのまま黙らせるための「見せしめ」の手段である。ようするに徹頭徹尾「イデオロギー達成」のツールでしかない。
まあこんなん見ても、アホなこと言ってる嫁を張り倒せない弱夫が悪いなという感想しか抱かなくなってしまった twitter.com/YS_GPCR/status…
「累積的な抑圧経験」「性的まなざし」みたいなジャーゴンよりはいくらか反論のスキも少ないだろう。