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国民の政治への無関心が原因であろうか?特に若い世代に顕著だ、とても危険な事だと思います。
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言えます。乗組員の数よりも多い敵兵を艦に上げる事がいかに危険な事か、工藤俊作も乗組員も知らないはずはありません。しかしそれでも尚、目の前で溺れ死のうとする者達を助けずにはいられない日本人の精神は最早本能とでも言うべきかも知れません。それはリトアニアでユダヤ人を救うためにビザを発給
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撃沈され海に放り出された日本兵を、アメリカ軍は空からの機銃照射で撃ち殺して行ったと言います。しかしこれは戦争という極限状態の中ではやむを得なかったのかも知れません。スラバヤ海戦で撃沈され海に放り出されたイギリス軍兵士422人を救出した駆逐艦「雷」の工藤俊作艦長の行為こそ異例な事と
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し続けた杉原千畝やドイツから逃れた来た多くのユダヤ人を救った樋口希一郞、東条英機にも言えると思います。戦争という狂気の中で人間性を失わず人命を救出した彼等の行為はキラ星の様に歴史の中で輝いている。しかしこれらの歴史的事実は杉原千畝を除いて日本の子供たちに教えられる事はありません。
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その代わり「慰安婦」や「南京虐殺」という嘘を叩き込まれるのです。国を滅ぼすのは常に教育であって他にはありません。
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あらゆる人種差別に反対し人命を尊重した先人達に比べ、中国のジェノサイドによって作り出された太陽光パネルを設置義務化した小池都知事や都議達、太陽光パネルで日本の自然を破壊し中国に血税を流し続ける再エネ議連(河野太郎、小泉進次郎所属)には心から憤りを覚えます。
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再エネで自然を破壊し、散々野鳥や野生動物を殺しておいて、外国の生態系保護に1170億円?頭がおかしい。生態系保護したいんだったら再エネを止め、再エネに使われる31兆円を防衛費に回すべきだろう。 twitter.com/hoshusokuhou/s…
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駆逐艦「雷」によるイギリス兵救出劇は、この時救出されたサムエル、フォール氏が「死ぬ前に1度工藤艦長にお礼が言いたい」と言って日本を訪れなければ日本人が知る事はなかった。戦後、雷が撃沈され乗組員全員が戦死した事を知った工藤俊作氏は、戦友と会う事もなくひっそりと暮らしたという事です。
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太陽光パネル義務化の問題点を産経新聞が説明している。第1にパネル設置に初期費用が百万円がかかり、建築費用に上乗せされる。義務化は国民の財産権を侵害する恐れがある。原料に鉛など有害物質が使用されており、リサイタル体制も確立されていない。さらに火災などが生じたり水没した場合、感電
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する危険性がある。東京都はそれを都民に説明していない。加えて、中国製パネルはウイグル人の強制労働によって製造された可能性が高い。ではなぜ?小池百合子は問題山積みの太陽光パネルを、かくも強引に押し進め様とするのか?上田玲子都議によると、小池は昨年の1月にダボス会議にリモートで参加し
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2025年までに温室効果ガスを50%削減する約束を発表したと言うのである。ダボス会議(世界経済フォーラム)は形を変えた共産主義。この間も幹部が中国共産党を絶賛したばかりである。都民との公約は1つとして守らない小池も、ダボスでの約束は実現しようと必死だ。私はウイグル人ジェノサイドに加担する
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恐れのあるパネルではなく国産パネルを使用すべきだと思う。それでなければ、小池都知事もそれに賛成した公明共産立憲都民ファもウイグル人ジェノサイドに加担したものとして弾劾されるべきだ。彼等には2度と平和とか人権を語る資格はない。我々はどの様な選挙であれ、小池公明共産立憲都民ファには
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1票も投ずるべきではないと思います。
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12月15日午後六時頃、中国浙江省に大きな隕石が落下した。幸い隕石は道路に穴を開けただけで、死傷者はいなかった。ただ、前回(1976年)に隕石が落下した時は、毛沢東と周恩来という二人の大物が死亡している。今回は誰が死亡するのか?共産党が滅ぶのでは?と議論が湧き上がっている。
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木村強が初めてブルネイの地を踏んだのは、1942年の事であった。ブルネイはそれまで、イギリスの植民地として豊富な天然資源を有しながら実に貧しい国だった。イギリスが全ての富を奪い取ったからです。木村はブルネイ国王に対し敬意を持って接し、ブルネイを見て回りたいのでガイドを一人付けて
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貰いたいと頼んだ。ガイドとしてやって来たのはオマルという26才の日本語を解する好青年でした。実は、この時国王も国民も日本を全く信用しておらず、どおせイギリスの様に資源を盗みに来たのだろうぐらいに考えていた。オマルも全く同じだった。しかし木村はそんな天然資源には興味を示さず、
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どうしたら国民を豊かに出来るのか?オマルに相談するのはその事ばかりだったそうです。木村はブルネイにゴムの木が豊富なのを知り、ゴムの生産工場を造ります。そして利益が出る様になると、その金で道路電気などのインフラ整備に着手します。学校を建て、田畑を広げ、国民が豊かになるためには何でも
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やったのです。この頃には国王も国民もオマルも木村を信頼する様になっていった。ブルネイ政府と敵対していたイパン族とブルネイを融和させ、挙国一致でブルネイを発展させる体制を整えたのも木村強でした。ブルネイは木村の尽力で信じられない程発展しましたが、木村は着任後僅か1年でマレーシアへの
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ブルネイを訪問する事になったのです。王宮で木村強を笑顔で迎えた国王は、何と22年前に木村のガイドを務めたオマル青年でした。オマルは国王の弟だったのです。二人は抱き合い夜を徹して語り合いました。国王は木村に「もう一度ブルネイで一緒に働いて頂けませんか」と懇願しますが、木村は固辞して
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移動を命じられます。突然の別れに国王も国民もオマルも男泣きに泣いたそうです。22年の月日が流れ、故郷の宮城県の市役所で働いていた木村の元に一通の手紙が届きます。ブルネイの国王が貴方に会いたがっています、というブルネイと取引のある商社からのものでした。こうして、木村強は22年ぶりに
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います。国王は別れの朝、木村に感謝を込めて贈り物を渡しました。それは何処にでも売っているブルネイの安価な土産物でした。世界有数の大金持ちの国王にはどんな高価な贈り物も可能でした。しかしこの安価な土産物こそ木村が最も喜んでくれると考えたのです。国王の思惑通り、贈り物を受け取った木村
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は子供の様に喜び、その贈り物は木村強にとって、ブルネイの思い出と共に生涯の宝物となったのです。
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北京ではゼロコロナ政策を緩和した結果、感染が拡大し死者が爆発的に増えた。火葬が間に合わず死者が出ても、何時葬儀が行えるか分からないと言う。しかし、何処の国でもウィルスは変異を繰り返すたびに、感染力は強まるが毒性は弱まり死者は減るはず、死者が増えているという事は新種の病原体では
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ないかと、欧米は疑っています。武漢ウイルスが漸く収まりかけているのに新種の病原体が入ってきては堪らない、中国人の全面的入国禁止を検討し始めている国もあると報じられています。
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私の妻は木村強さんと同じ宮城県栗原の出身ですが、木村さんの事は聞いた事がないそうです。慰安婦や南京の嘘は教えるが、日本の偉人については教えない。戦後の日教組教育は本当に異常です。