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『吾妻鏡』での義盛の最期はだいぶ違うんですよね。
最愛の四男が討死したことを聞いた義盛は「あいつが死んでしまったのなら、戦を続けても何の意味もないじゃないか」という旨の言葉をこぼして号泣しながら歩いていたところを敵に討たれています。
#鎌倉殿の13人
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北条義時が畠山重忠と一騎討ちすることがどれだけ無茶で勇気がいることか知ってほしい
頑張れ小四郎
#鎌倉殿の13人 twitter.com/kotouta_sige1/…
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あのさぁ
実朝と和田義盛の仲良しな様子を描くとか人の心がないんですか?
悲しい目に遭うのは視聴者なんですよ?
#鎌倉殿の13人
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吾妻鏡の欠落は頼朝の死の前後が注目されがちですが他の年もかなり欠落してるんですよね
#鎌倉殿の13人 twitter.com/1059kanri/stat…
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つつじこと辻殿とその祖父為朝と頼朝、頼家たちの血縁上の関係はこういう感じです
かなり頼朝に近い血筋ですよね
#鎌倉殿の13人
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和田さんが持つ首桶に入って登場した泰衡の首ですが、この首はミイラとなって現存しており、その詳細な最期が鈴木尚氏によって推測されています。
実に惨いですが、泰衡の首に行った儀式は頼朝が頼義の正当な後継者たる「別格の存在」だと知らしめるものだったという指摘もあります
#鎌倉殿の13人
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頼朝の弓を引く義経がプルプルしていましたが、これは平家物語の「遠矢」にある通り義経は非力で弱い弓を使っていたからだと思われます。
一方、怪力の持ち主の頼朝の弓は当たった敵を必ず殺す高威力だったと言います。
#鎌倉殿の13人
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「なんで小四郎と佐殿は帽子(烏帽子)をかぶって温泉入ってんの?」
と思われるかもしれませんが、当時は頭頂部を他人に見せるのはかなり恥ずかしいことでした
博打で褌までとられてもなお烏帽子を死守した人が描かれた絵もありますのでこの描写もありえないものではないのです。
#鎌倉殿の13人
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21世紀においてもウクライナのパワーリフティング選手 Dmytro Khaladzhi氏が馬を担いで歩行する姿が激写されております
重忠の逸話が事実かどうかは兎も角、選ばれし肉体を持つ人間というのはいつの時代も存在するんでしょうな twitter.com/mousou_roku/st…
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この三人は平家物語における首取りについて論じた論文、その名もズバリ
『「頸ねじきッて」という表現をめぐって:源為朝・巴・畠山重忠』
に名を冠されるほどの首ねじ切り界のスターなのです