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気仙沼に住んで2年目のある日、農家のおじさんに「学芸員は美術作品ば見で、いいだの悪いだの言うげど、なにで判断してんのや? 俺だづにはさっぱり分がんねげんと」と言われました。
「お父さんは一等米と二等米をどうやって見分けるのですか?」と問い返すと、「ばがやろ、俺は専門家だぞ!」と。
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「専門家だがら、米見ればすぐ分がんだ!」と。私も一言、「そうですよね、私もこう見えても専門家なんです。一般の人の何百倍もの美術作品を見てきました。だから、見れば分かるんですよ」
すると、おじさんは「なるほどな!そいづはそうだ!しづれいした!」ということで仲良しになりました('ω')
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専門家同士、腹を割って話せば共通点も多く、いずれは理解しあえるものですよね。気仙沼に来てから、そういう経験をたくさんしました。
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「きれいごとにしか聞こえない」
あの日以来、被災地で生きてきた者の本音として、どうしても必要な台詞だったと私は感じています。
帰ってきた彼女が何事もなく受け入れられ、地元で活躍するという展開は間違っている、そう感じていたところにこのセリフ。正直救われました。
これは個人の意見です。
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農家のおじさんは続けて「俺だぢも、いっぺえ見だら、美術作品の良し悪しが分がるようになんだべが?」と。「そうです!だから美術館に来てください!私が解説しますから」と私。「よし!今度見に行ぐがら、よろしぐ! 乾杯!」ということに。
朝までたくさん飲みました。
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