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知覧 特攻隊(長文になります)
知覧から飛び立って行った特攻隊は昭和20年の5月から6月にかけてでした。
439名の若い特攻隊員達が、たった一つしかない命を散らしてでも守りたいものがあった。
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ホタルになって帰って来た、宮川三郎軍曹の話を、鳥濱トメの孫である私が語ってる動画もこちらで観れます。
(YouTube)
youtu.be/_yuIYlGlC5s
桜、散りゆけど
想いは、散らん
知覧特攻の母 鳥濱トメ 孫
赤羽 潤より
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・知覧 特攻隊・
私の祖母・鳥濱トメから代々語り継がれている特攻隊員のお話と日本人の魂
中島豊蔵 軍曹(20歳)
長文になりますのでアメブロで紹介させていただきます
知覧特攻の母 鳥濱トメ 孫
赤羽 潤より
ameblo.jp/20206917/entry…
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・知覧 特攻隊・
私の祖母・鳥濱トメから代々語り継がれている特攻隊員のお話と日本人の魂
戦中は勿論、しかし本当の苦労は戦後にありました
長文になりますのでアメブロで紹介させていただきます
知覧特攻の母 鳥濱トメ 孫
赤羽 潤より
ameblo.jp/20206917/entry…
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・知覧 特攻隊・
これは有名な写真で一番左側、桜の花を振っているのが私の母・礼子です
知覧基地で毎日特攻隊員の身の回りのお世話をし出撃していく特攻隊の見送りをしておりました。
特攻隊の言葉
学校にも行けずいつも俺達の世話ばかりさせて申し訳なかった、俺達が次から次へと特攻すれば、
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花見
昭和二十年、私の母(礼子)はなでしこ隊として特攻隊員の身のまわりのお世話をし、妹のように可愛がられ、よく一緒に軍歌を歌った。
出撃の時、特攻機の操縦席に桜の花を飾り付けてあげたそうだ。
飛び立って行く特攻機に最後の別れと必死に桜の花を振るなでしこ隊の礼子達に操縦桿を握りながら
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眠る魂を震わせる
学校では先の大戦を学ぶ為の教科書が無い、先生も教える事ができない。
私は日本各地の学校で鳥濱トメと特攻隊の講演会を行っております
子供達も真剣な眼差しで私の話を聞き入っております
講演中盤頃には大半の生徒が鼻をすすり涙を流します
1時間半の講演の最後に鳥濱トメ
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が語ってる貴重な映像を観せると生徒達は大粒の涙を流します。
私は常に思います。我々日本人、大和民族は100年や200年では変わりません。ちゃんと血や遺伝子は受け継がれています。ただそれが眠っているだけで、生徒達の眠っている日本人として大切なものが胸の中で震えます。
私は100%理解して
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・4月22日 鳥濱トメ 命日・
日本各地から知覧に集まり早い方では一日、長い方でも十日後に皆さん特攻に行かれます。
その間、皆の憩いの場がトメが営んでいた富屋食堂でした。
食べたい物を食べさせ、出撃前夜にはテーブルいっぱいのご馳走を振る舞ったそうです。
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6月6日は蛍になって帰って来た宮川三郎軍曹のご命日です
(私の母・礼子が書き残した本文)
・・前文は省略・・
宮川三郎様のホタルについて正しく知って頂かなければならないと思い事実の事
書きました。
6月6日午前5時半頃出撃
其の前夜6時から7時頃、とみや食堂家につたって居る藤棚に止まって↓
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なんと~‼️出てきました🎶
お店の倉庫、アレルギーを持っている私としては開かずの扉なのですが、マスク😷してゴーグル🥽してコンビニで買ったカッパを着て、探し物にチャレンジ💦
さて、何を探すのかと言いますと、石です。私の母が戦中に特攻隊を見送りする時に特攻隊員の方が最後に→