鬱になって一番ショックだったのは本が読めなくなったことなのだ。どれほど美しい詩を読んでも心象風景が全く浮かばないし、文の構造が複雑だと三行でも内容把握が難しいし、そもそも集中が持たなくて2頁も読まないうちに本を放り出したくなるから、その時は生き甲斐を全て奪われたようで絶望したのだ
自分がonly oneであるという自覚とone of themであるという自覚のバランスが精神の健康において重要なのだと、確か中井久夫先生が仰っていたのだ。 自分の苦しみを自分だけのものとして受け入れること、と同時に、世の中に数多ある苦しみの一つに過ぎないという突き放した視点も確保すること、なのだ
社会に出てあと発達障害と診断された人に「今まで普通に生活してたじゃん」と言うべきでは無いのだ 中高大で測られるのは机上の言語能力・数的処理能力・記憶力と一種の協調性ぐらい、比べて職種やそこで必要なスキルはより多様だから、就職して初めてグレー含む「障害」が浮彫りになることも多いのだ
鬱病患者に一番かけてはいけない言葉は「でもお前◯◯できてるじゃん」なのだ。あれは別にやりたくてやるのではなくて、ベッドの上で1日中沈んでると発狂しそうになるから仕方なくハードルの低いものに手をつけてるだけなのだ。99%の行動が無理になったあとに残りの1%まで否定されたらもうお終いなのだ
自分の苦しみを多分全然わかっていないだろうなという人から差し伸べられた手でも、あの時有り難く縋りつくことが出来ていたら、と今にして思ったりするのだ~(うつから脱出する契機はなかなか自分からは作りにくいのだ)
ただ、ここで出し抜けに自戒したいのは「私たちうつ病患者の苦しみはどうせ私たちにしかわからない」と思わないことなのだ~(当事者主義のテーゼを極限まで推し進めると徹底した個人主義(私の苦しみは私にしかわからない)に行き着くけれど、本当のところ自分でさえ自分のことはよくわからないのだ、、)
鬱病の辛いところは「趣味でリフレッシュ」ができなくなることなのだ。映画を観ても内容が頭に入ってこないし、好きだった小説や詩にも全く心を動かされない。頭に霞がかかったようになって、1日中ネットサーフィンして罪悪感にかられつつ導入剤飲んで眠る生き地獄の無限ループなのだ