割と本気で「ジャニーズ主演で大学入学から大学院卒業までを描く青春ドラマを地上波で放送する」のほうが,理系進学者を増やす効果が高いと思ってます.
10年前は「分からないことはググれ」と言っていたんだけど,最近は「下手にググるより質問して」になってきた.Web上には害悪な情報が多いので,ググった後に情報を取捨選択する能力が無いと,ググっても混乱するだけになっている.
何度も言いますが,地方国立はキャンパス内清掃や草むしりを学生(教員や職員も)にやらせ,電気代節約にと建物内の電灯が半分抜き取られ冷暖房の利用が制限されるところがあります.すでに研究以前の問題です.
「国はどんな研究に投資すべきか」の答えは明白で「現時点で役に立たない研究」です.すぐ役に立つことが分かっている研究なら民間企業から資金を募れますし,国が民間と競合するメリットはありません.民間じゃやれないハイリスク研究に先行投資して総取りを狙うのは,国にしかできないんですよ.
罵倒による指導って,する側が無敵なんですよ.された側が奮起したら「俺のおかげ」,潰れたら「その程度の志ならどうせ失敗する早めに気づかせてやった」,周囲から批判されたら「指導にも多様性が必要」って論理で正当化できますから.これは,法で規制する以外解決しようがないです.
学生に覚えておいてほしいのは「講義を全て出席しレポートを全部出しても,レポートの質が低ければ単位は落ちる」という事実です.数回欠席しレポート未提出があった学生の単位が出たことは,無欠席で全レポートを提出した学生の単位が出ることを保証しません.
経団連が学校に求める要求をまとめると ・学校に天下り枠をよこせ ・新人社員の教育コストは学校で負担しろ ・俺らが変わらず済むためにお前らが何とかしろ の3点です.
ラーメンハゲの価値観は,研究指導をやるうえでも学ぶところが多い(ラーメン才遊記2巻).私は,学生がやりたいという研究テーマに対し「学術論文にならない」などという賢しい理由でストップをかけず,できる範囲での助力をする研究室を目指している.
これ,研究者でもありがちです.例えば,すでに年齢は中堅クラスなのに「厳しい審査を乗り越え博士号を取った」ことを勲章のように掲げる人とか.実際は単にプロのスタートラインに立ったに過ぎず,そこから何を成したかが大切なわけです.学歴自慢も同じようなものかな.
オープンキャンパス等で高校生の声を聴くと「キャンパスが綺麗であるか」や「サークルの充実度」はかなり重要であることが見えてくる.一部の旧帝大を除き入学時に大学院を意識していることは稀で,高校時点から「研究」どころか,将来何になりたいかも分からないって学生が多い.
モスキート音が鳴っているエリア.若者はともかく,明らかに苦痛そうに耳を覆っている子供をたまに見かける.小学生中学年くらいだと可聴域の上限が18歳程度よりも高いという研究があって,我々には想像できない苦痛なんだろうなぁ.これは,大人中心で街を設計した弊害だと思う.
大学教員の人達がTwitterでたびたび衝突しているのを見るたびに,「そりゃ,そんな言い方で学生指導してたら大学全体に恨み募らせる人は出てくるわな」ってなってしまうなぁ.なんというか,言語化が難しいんだけど,「関わりたくない」と感じさせる独特のヤバさがある.
音声型ロボットが女性が多いという話題.「女性声のほうが合成結果の品質が高い」というテクニカルなお話が最初に来る.厳密に言えば,F0の低い声の合成のほうが相対的に難しいってこと.
昨日の「稼ぐ大学」のニュース,世界トップレベルを目指すのに,別に世界トップでも何でもない産業界等から外部人材を入れてどうするんの(要約,という辛辣なコメントがあってワラタw
日本の女性管理職が少ない問題で「女性は管理職になりたがらない」論には若干懐疑的だったんだけど,最近PTAの男女比とPTA会長に男性がなる比率というデータを見て,「女性は管理職になりたがらない」論は正しそうと考えを改めるに至った.
研究って色々検討した結果が全部ゴミってのが普通で,むしろ成功率が高くなればなるほどすでに「研究」ではなく,無意識下で「置きに行っている」とさえ思っている.体感的には,成功率1割くらいが一番研究してる感じがする.
少なくとも,大学院博士課程まで進学した人が「貧困」を訴えても世間には響かないと思います.世の中「実家の家計を支えるため中卒・高卒で働くことが必須」なんて事例はゴロゴロあるんで,「大学への進学を許可された」時点でそういう世界の住人から見れば恵まれて見えるでしょうからね.
「〇〇な研究は存在しない」は私の卒論でも原則禁止している書き方.理由は,過去に他研究室の発表会でそれを言った瞬間PCを開いて調べ始め,質疑の時間に「ほら,あったよ,フランス語の論文だけど」って詰められた例を知っているからです.
経験的に「研究にはまとまった時間が必要」といってもピンとこない人は多いんだけど,「2時間の映画を20分毎に1時間別の仕事をしながら半日かけて見たらどうなる?」と聞くと割と理解してもらえます.同じ時間でも細切れにされると価値が変わる.まとまった時間,大切.
研究室配属で,研究室の研究ポリシーがあるわけですけど「卒業研究は,試行錯誤して全部失敗しても卒業できるという運用なので全力で失敗してください」と伝えています.成功するか否かを考えて悩み,止まってしまう方が問題です.
割と面白いのは,博士課程に対する学生の支援は私学の方が比較的充実していて,同じ大学からの進学のみ優遇する制度が結構ある.すると「学部で卒業」だと私立の方が経済的負担が大きいけど,「博士まで進学」だとこの負担がひっくり返る可能性もある.
さっきの件の渦中にある大学教員,KAKENやResearchmapでも名前が出てこず,経歴見ると見事なまでの実務家教員なので「大学教員は社会経験を」なんて言ったところで「長年社会経験を積んでもこれですよ」って事例になってしまうなw
ここしばらくの大学院関係の話題を見ていると,論文の読み方や書き方の教育以前に,「他の分野や文化,価値観などを尊重し,自分の価値観にあわないものを安易に批判せず,自分の価値観の押し付けもしない」という教育をするのが先かな,と感じたなぁ.
国が大学に「稼げる大学」を求めた以上,教育的視点からの滅私奉公をする理由は無くなったので,利益にならない要請は積極的に拒否すべきって大義ができちゃったんだけどね.「稼ぐ」ってそういうことですから.
女性限定公募については現実でも話題になることがあって,推進派のシニア男性に対して「まずご自身が転職するなりしてポストを開け,それを歴史的に不遇に追いやられたシニア女性に明け渡してはいかがか?」と言ったことはあるんだよね.