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聞こえないはずの拍手や笑い声が
聞こえた気がしましたよ。
不思議な体験でした。
さて、これにてひとまずひと段落。
でも!
皆さんのお手元にこの映像が届くまでが
「天保十二年のシェイクスピア」ですから!
僕らもまた皆さんに
お会いできる日を楽しみに待ちます!
#天保十二年のシェイクスピア twitter.com/toho_stage/sta…
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昨日の一生さんのスピーチは
日本演劇史に残る素晴らしいものでした。
みなさま良ければご一読ください。
#天保十二年のシェイクスピア twitter.com/toho_stage/sta…
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あらためての、終演のご報告です。
たくさんの応援、本当にありがとうございました!
#天保十二年のシェイクスピア
「天保十二年のシェイクスピア」終演のお知らせ|
山野 靖博(ぷりっつさん) @YasuhiroYamano #note
note.com/yamanononote/n…
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(聞こえますか…あなたの心に直接話しかけています…この…タイミングで…いまだからこそ…絶版となっている「天保十二年のシェイクスピア」の…文庫本化を進めるのです…ずっと前から思ってたのだけど…権利問題が難しいのだろうけど…文庫版…みんなが待ちわびてると…思うのです…)
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「著名音楽家や主役級の俳優たちが急場をしのげても、彼らを支える中堅以下の出演者やスタッフらがいなければ興行は成り立たなくなる。」
これは重要な指摘。
フリー音楽家ら、6割超が10万円以上減収 新型コロナ: 日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXMZO…
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今日の稽古場では
中川晃教さんと藤岡正明さんのシーンが。
このふたりの「小さな声」の歌の表現力。
本当にすごい。
僕なんかまだ半ちくだから
すぐ大きな声で歌いたくなっちゃうけど
このお二方の小さな声の
その表現の「輪郭の濃さ」はマジすごい。
歌上手い人って、ほんとすごい。
#チェーザレ
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これは非常に興味深い現象。だから、思わず考えたことを書いちゃうんだけど。
星野源さんの「うちで踊ろう」は、InstagramとTwitterを中心に、「stayhomeをどのように楽しく団結して過ごすか」という課題に対しての、ひとつの解決策の提示だった。 twitter.com/abeshinzo/stat…
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日本国内ですでに広いポピュラリティを獲得している星野源さん(そのバックボーンにはサブカルや、いじめ被害者、壮絶な闘病経験といった文脈もある)が、「みんなしんどいけど、こんなときこそ一緒に、それぞれの場所で、生きて踊ろうよ」と投げかけた動画はその歌詞のとおり、
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世界各地の人々に対して、歌でも、楽器でも、踊りでも、きゅうりでも、なんでもいいからコラボして、この世界的危機を「楽しく乗り越える」というメッセージを伝え続けてきた。そのムーブメントは日本のインターネットで一種のミームとなっている。
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そういう前提を含めて本日上がった新しいコラボ動画を観てみると、とても興味深い。マジで興味深い。
たくさんの疑問があるが、大きなひとつとして、安倍晋三さんとその周辺の方々は「うちで踊ろう」というインターネットミームの文脈を理解しているのだろうか?という問いがある。
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で、基本的にコラボ動画を上げる人は、なんらかの演奏やダンス的身体表現を伴った動画を上げるんだけど、岡崎体育さんと大泉洋さんは「なにもしない」というアウトプットを選択してバズった。これは、普段のそれぞれのキャラと、星野源さんとの関係性という文脈のもとで成り立つ「面白さ」だ。
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で、たぶんだけど、僕の推測としては「ぜんぜん理解してないだろうな」っていう結論になる。
なんでかっていうと、「うちで踊ろう」は「セッションしようぜ!」からスタートしてるからだ。「うちで踊ろうコラボ」をしたいときには「セッションすること」が基本的なルールになるのだ。
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セッションの方法はそれぞれに託されている。演奏でもいい。歌ってもいい。踊ってもいい。それぞれのベストな「表現方法」でセッションすればいいのだ。下手でもいいし、上手くてもいい。
岡崎体育さんや大泉洋さんのように、その人にとっての最適な表現方法が「なにもしない」だったらそれでもいい。
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話を戻すときっと安倍晋三さんと周りの人々は、こういう
・セッション
・それぞれのベストな表現方法で
という文脈を一切キャッチできていないんだと思う。「セッション」を前提とした動画で「なにもしない」を選択するのは、非常に高度な判断だ。それこそ、岡崎体育や大泉洋じゃないと成立しない。
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星野源さんは「stayhome」のムーブメントに「うちでセッション」という選択肢を与え、表現の場を失った表現者たちに「自己表現の場」を与えるとともに、視聴者にとってもエンタメを提供した。これはものすごく価値のあることだと思う。こんなことができる人はそうそういない。
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(蛇足だろうけど補足すると、大泉洋さんの選択した表現方法は「なにもしない」というより、「ボヤく」だった。これは彼にとってマジでベストな表現方法だった。)
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こういうのは、瞬間的にそのカルチャーの文脈を察知できるかどうかという、「センス」があるかないかの問題だから、説明してどうこうって話でもない。つまり、今回の安倍晋三さんのアカウントに投稿された動画は、「うちで踊ろう」のムーブメントという文脈において、圧倒的に「センスがない」のだ。
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「施政者とカルチャーの分断」は、このところよく目にするモチーフだった。あいちトリエンナーレ、ひろしまトリエンナーレ、新型コロナウィルスによる公演中止要請と補償の問題。その「分断」がよく表されている動画だと思う。この「分断」はつまり「無理解」に起因しているのだ。
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「弱者」の文脈を持っている星野源さんの動画に「圧倒的強者」のイメージしかない安倍晋三さんが「なにもしない」ことでコラボする。これは、もう、ただの、「美味しいところの搾取」か「乗っかり」にしか見えない。
そう見えてしまうようなことをやる、そのマーケット感覚のなさにも驚く。
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どんなブランディング判断をもとに、この動画の企画が立ち上がったのだろう。少なくとも言えることは、この頃のSNSカルチャーやサブカルチャー、ポップカルチャーなどについて最低限の知見を持っている人間が、首相官邸には「いない」ということだ。これがハッキリした。まあ、前からわかってたけど。
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その上でもうひとつ思考を進める。
この動画によって、なにを達成したかったのだろう、ということだ。
「セッション」が前提のミームで「なにもしない」を選択するのはイレギュラーな「ひねり」だ。「ひねり」には工夫と技術が必要。失敗したら大惨事だ。そう考えると
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いちおういまは「そういうリスクも承知の上で」「あえて」あの動画を上げるくらいに、首相周辺の人々のインターネット・ポップ・カルチャーへの理解が深い、と仮定して推論していく。
そう仮定した上で今回の動画を読み解くと、マジで恐ろしい気持ちになる。
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たとえば安倍晋三さんが「踊る姿」を上げることよりも、「ただ家で過ごしている風の姿」を上げることの方が、失敗するリスクが高い。そのリスクの高さを理解してないからこそできたのだろうと思う。だとしたらやっぱり「絶望」の一言でしかないんだけどそれは置いておいて。
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その過程の上であの動画を観て気づくのはこういったメッセージだ。
・なんか高そうな刺繍のソファー
・小型犬を膝の上にのせて撫でる
・磁気のマグカップでお茶を飲む
・黒いハードカバーの本を読む
・ダイニングテーブルに座ってテレビを観る
・それらからそこはかとなく香る「富裕層」感
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別の例を出す。
ニュージーランドのアーダーン首相は、自分のプライベート空間から国民に対して語りかけるような動画を多数発信している。「普段着でごめんなさい」という謝罪の後には「子どもを寝かしつけていました」という説明が入る。彼女が見せているのは「自然な日常」だ。