ナスカの痴情ェ(@synfunk)さんの人気ツイート(リツイート順)

安倍ちゃんは秘書の報告を信じただけと本気で擁護する人も散見されるが、もしその通りなら安倍ちゃんはウソ言っても見抜けないチョロい人間だと秘書に思われてる無能だし、嘘だと知っていたのならとんでもない悪質な人間ということになるが、その両方の線も捨てきれないとだけ伝えておきたい。
三浦瑠麗氏が「トランプをSNSから排除すれば陰謀論が勢いづき“トランプ的なものが強化される”」と擁護するのは、ヤクザにちょっかい出したら何されるかわかりませんよと猫なで声で脅すチンピラと変わらない理屈だな。
営業部のベテラン社員が「昔は新人が入ると各課対抗ソフトボール大会とか合同飲み会があって楽しかったなあ。なんで無くなったんだろうな」と話したら、弊社社交辞令を許さない会代表総務かおり(仮名)が「楽しくなかったからじゃないですか?」と即答しキーボードを叩く音だけが鳴り響く午後となった
「東京五輪反対デモは日当を貰ってやってる」と公共放送が流し、疑問が向けられると「不確かだった」で済ませられるんだったらヤッたもんがちの社会ってことだな。「政権が反対派を貶める演出で日当を渡していた」ってデマすら許されることになるけど、日当発言は事実と擁護してる人らどうすんだろ。
取引先との雑談で炎天下の話になり、「クールビズとはいえ真夏にスーツはきついですよねえ」と向けたら、今まで黙っていた部長が「や、スーツは通気性、軽さ、これで暑さに適してるんです」「意外と砂漠で適するのはスーツだったりします」と説明しだし、『マスターキートン』読者であることが判明した
部下が業務上の返答で俺と俺以外で「承知しました」「了解しました」を使い分けていた。“させていただくく”をやたら使うようになった。そんな使い方はせんでいいと言ったが、どこで覚えたか聞いたらネットマナー講師だった。日本の未来のためにインターネットは爆発してほしい。
竹中平蔵は日本の格差を助長し労働環境を破壊した元凶と正しく認識されているが、それを重用し推進した小泉純一郎に同様の批判が向かないのはよく分からない。小泉がいなかったら竹中もないぞ。
橋下徹は自分への批判には過敏に反応し誰彼構わず吠えているようにみえるが、慎重に相手は選んでいて、菅直人や米山隆一といった強気で議論が強そうな相手には直接の引用やリプで反論することはない。
菅義偉が言っているのはノーベル賞を政治家に選ばせろみたいなこと。
五輪にしろW杯にしろ、いろいろ問題はあっても始めてしまえばどうせお前ら喜ぶんだろといった主催側のほくそ笑みが浮かぶよな。スポーツウォッシングは俺ら観客の“ともかく、感動をありがとう”も一体となって完成だな。
私達は普通に話せる総理大臣というだけで評価する国の住民になってしまったことに驚いている。
コロナ感染自宅療養がデフォルトになった場合、台風や大雨で避難指示が出たらどう避難したらいいんだろ。平時に有事に備えるものだが、自宅療養推進の政府やリアリスト気取りの人は各自治体が決めることと逃げそうだな。
敗走ではなく転進 募ると募集は違う 旅行は感染しないが移動は感染する New!
21世紀前後から韓国を嘲笑する態度がネットで増えてきたとき、「韓国は社会的に成功したものはなんでも韓国起源とする」というのがあったが、白昼堂々とスマホから量子コンピューターから日本が発明したと政権与党の幹事長がハッタリをかますのを見ると、天に唾したものが顔にかかってる姿みたいよな。
DHC吉田嘉明は前からアレだった何を今更みたいに今回の差別発言も驚くに値しない式の態度を取る人間が少なくないように思える。問題はDHC吉田が前からアレな人間だと広く認識されていたとして、日本社会ではDHC吉田や高須克弥みたいな差別発言も金を持っていたら許される社会になってるとこだな。
大阪は 橋の下まで 竹の中
我が国はコロナに打つ手が無いから五輪を開催するって、世界を笑わそうとしてるとしか思えんな。
新型コロナの恐ろしいところは、小林よしのりや竹中平蔵やといった、コロナはただの風邪だの医療逼迫は現場のサボりみたいなことを言う人間をみるとお前とお前の家族が罹って同じことをいい続けるか現実を味わってみろといった暗い邪な気持ちを抑えるのに多大な力を要するところだ。
若い女性にコンドームを配るのを「売春(性交)を勧めている」と吹聴するのって運転するならシートベルトをしてと促したら車の暴走を煽っていると言ってるくらい頭のおかしいことだからな。
高須克弥の“愛知県知事リコール署名不正疑惑”はきちんと追求されなければいけないものだが、ナチスを賞賛しアウシュヴィッツも南京虐殺も捏造とうそぶく人間がお咎めなく出続けられた本邦のおかしさも覚えとかないといかんよな。
ナンシー関が急逝したとき、その才能を惜しみ色んな人が別の言葉を送っていたけれど、小田嶋隆の追悼が一番響いた。“スタンドアローンな、唯一の、かけがえの無い、稀有にして再生不能な才能だった”“彼女にふさわしい神様のもとにたどり着けるように”“クサかったか?ナンシーよ、「けっ」と笑ってくれ”
日テレ「スッキリ」でのアイヌ差別表現は、発信元の芸人が気づいて反省し向かい合うのは大事だが、放送をOKした番組内部のチェック体制や認識欠如の方がより深刻で、現状や再発防止を表す必要はテレビ側のほうがより重いな。
細木数子がやっていたのは人の不安を煽り自らの益とする不安商法なので、細木を持て囃してTVに出しまくったメディアは反省の弁を述べる必要があるが、ないだろな。今は柔らかで人当たりのいい細木数子を出し続けるのだろうな。
統計調査の数字を勝手に変えたり軽んじる国になっちゃったなあ。
サイゼリヤについて意見するとき「サイゼリア」と間違える人は、「パッとサイデリア〜♪」小林亜星を記憶に刻まれた40代以上の人が98%を占めます(当社比) 豆情報でした。