審理の冒頭に裁判官が「統一協会が反社会的な団体であることについて、争いはないものとしてよろしいでしょうか。」と述べたのは印象的ですね。
淡々と書き、誇張、侮辱罵倒的な言葉を使わないことが前提です。侮辱罵倒的な言葉を使うと、公益目的が否定されるリスクがある。
カルト=宗教だけではない。宗教性を否定するカルトもある。宗教法人登録していない宗教団体も沢山ある。故に宗教法人法改正だとザル法になる。世俗団体だろうと、宗教団体だろうと、こういうメンバー勧誘の仕方はダメ、こういう資金集めの仕方はダメなどという包括的な行為規制の網をかけるしかない。 twitter.com/matju08/status…
統一協会と政治家との関係が明らかになるのも、政治家と統一協会の関係が切れるのも良いことだ。統一協会と政治家との関係はいずれ膿を出し切るしかない問題だし、きっかけが山上被疑者の犯行であったことを理由に追及の手を緩める口実にするのはあまりに非常識である。 news.yahoo.co.jp/articles/3048d…
山上被疑者の模倣犯が出る可能性は、抽象的なリスクに過ぎない。統一協会問題への追及があろうとなかろうと要人の警備強化などの対策は講じざるを得ないし、きっかけが山上被疑者の犯行であったことを理由に追及の手を緩める口実にすることは統一協会、一部の政治家を利するだけである。
「統一協会と政治家の関係を追及するのはテロリストの思う壺だよ」=以下「テロ壺理論」によれば、自分と反対の主張を掲げてテロを起こせば政策を阻止できる。例えば消費税増税派がテロが起こし、消費税を値下げしろと主張すれば消費税引下げ阻止は実現する。テロ壺理論はテロの効果を高めてしまう。
テロ壺理論は、自民党と統一協会の関係の擁護がどうにも無理になってきて、なりふり構わず火消しのためにひねり出した理論だと考えています。自分の苛立ちを解消するために無理を言うとまずいことになるという典型例。
全国霊感弁連は30年以上前から統一協会の被害者救済に取り組み情報発信を続けていました。安倍さんが殺されるまで、世間の関心が統一協会問題に向かなかっただけです。 twitter.com/SlowhandTokyo/…
統一協会による被害、統一協会と政治家の関係性への追及は、元々存在し報じられてもいたがなかなか光が当たらなかった社会問題について、安倍さんの殺害をきっかけに世間とマスコミの関心が高まり、岸田首相も動いただけだから「テロリストの思う壺」という批判(テロ壺理論)は、完全に的外れ。
信教の自由は、宗教に非宗教団体に対するもの以上に、批判等に対する保護を付与しない。教祖、教団、教義、教団の活動等に対する批判等(以下、宗教批判)は信教の自由侵害ではない。宗教批判により、個々の信者が傷つくこともありえるが、特定少数人に向けられたものでない以上、違法性はない。
信教の自由は、「何人」(信仰を持たない人を含む)にも保障されており、宗教団体や信者だけに保障されるものではなく、信仰するしないを自分で決める宗教的な自己決定権も含まれる。信仰というのは非信者にとっては、本質的に不合理、検証不可能なものであり、事後的に検証が困難である。
練馬区が登録の清掃ボランティア、旧統一教会の関連団体だった 異変察した区が調査→実態判明で支援取りやめ news.yahoo.co.jp/articles/28cec…
統一協会の教祖故文鮮明曰く、 ※出典は、報道1930 TBS
「自民党は統一協会との関係を断て」というより、「韓国の反社会的な宗教団体の政治利用を許すな」の方が分りやすいかな。
安倍さんが殺害されてから生じた統一協会やその関連団体へのネガティブな反応は、統一協会に対する魔女狩りではなく、日本社会に長年実害をもたらしてきた統一協会についての情報への関心が高まった結果、統一協会に対する市民社会や公権力等の反応が正常化しただけだと思います。
統一協会に関するメディアの報道も決して過大ではなく、今までが過少だっただけだし、個々の信者への攻撃などがあるとしても、大元は統一協会が日本社会に長年実害をもたらしてきたことが原因なので、正しい対処方法は、個別的に警察などが対応することであり、報道の「加熱」を抑えることではない。
統一協会には引き返し、反省し、反社会的な行為を中止し、被害への賠償をし、社会と和解する機会は幾らでもあったのに、責任から逃げ続けた。その反動が強く帰ってくるのは、自業自得である。
政治家にどのような人物、団体が影響力を及ぼしているかは、有権者にとっての重大関心事なので、統一協会の反社会性や統一協会と政治家の関係について社会の注目が集まるのは当然のこと。「テロリストの思う壺だ~」などという声は、市民の知る権利を軽く見るものでしかないと思います。
偏差値時代の終幕は、勉強できなくても実家が太い高学歴を輩出し、格差の固定化、エリート層における多様性の減少を招くのではないか。選択の基準を増やせば増やすほど多様性は減少するので、試験一発主義のメリットを見直すべきだと思う。 nikkei.com/article/DGXZQO…
統一協会の田中会長が「民事訴訟に関しては、着実に数が減ってきている」という背景には、信者(元信者)が弁護士に相談に行く前に、信者(元信者)の困窮に付け込み著しい低額で示談し「合意書」を作らせ、損害賠償請求を諦めさせる「コンプライアンスもどき」があります。
合意書を作らされても、統一協会問題に詳しい弁護士に相談すれば、何とかなることもあるのですが、弁護士に相談すること自体を諦めさせてしまい、被害を減らすのではなく、損害賠償請求の件数を減らす戦略。
統一協会による「コンプライアンスもどき」の具体例。被害を減らすのではなく、損害賠償請求を諦めさせ、弁護士のところに行きにくくする戦略。 twitter.com/6666DEVIL9999/…
>かつては統一教会の行事への出席は躊躇されるものでした。ところが、自民党総裁で首相の立場でもあった安倍さんが教団との関係を深めたことで状況は一変。安倍派の議員を中心に、堂々と名前を出して祝電を送り、イベントに参加するようになっていったのです(自民党関係者) news.yahoo.co.jp/articles/80460…
弔問外交のための国葬なんだし、故人を悼むか否かは各個人の勝手(内心の自由)なので、国民一般(勤務中の公務員については議論の余地あり)に黙祷の要請をする必要はない。コロナの際の自粛要請とは違い、黙祷の要請により得られる公共の利益は何もない。 news.yahoo.co.jp/articles/6de5c…