ちゃみおか(@chamioka_)さんの人気ツイート(古い順)

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1970年代の羽田空港、最後はやっぱり鉄道です。 空港線が230形から400形に替わって間もなくの頃です。 女の子が小さな靴を脱ぎ棄てて大きな靴に履き替えているポスターが印象的でした。 名ばかりの”空港駅”、ここから航空機に乗り継ぐことは殆どなかったようです。 奥には全日空機の姿も。
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平成の時代、まだ首都圏にも旧形国電が残っていましたね。単行で短い距離を往復する姿はこの電車に似合っていたようです。 1995年11月撮影
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#路面電車 都電荒川車庫に憩う7000形。ワンマン化にあたり車体を更新し近代的な姿に生まれ変わりました。それまでの丸みを帯びた形から角張った様子に随分と時代の違いを感じたものでした。 1978年撮影
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#旧型国電 久しぶりに動画を揚げます。鶴見線大川支線のクモハ12053、誰もいない車内に扇風機だけが回っています。冷房の無いころ電車の中ってこんな感じでしたよね。 1994年6月撮影
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#旧型国電 #鶴見線 一時期、鶴見駅に乗り入れていたクモハ12形。発車時刻を確認せず慌ててカメラを向けました。鶴見発海芝浦行のクモハ12052の出発風景です。 この後もクモハ12の動画を1カットずつあげていく予定です。 1992年8月撮影
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#旧型国電 #103系 #鶴見線 扇町行の103系が出てゆくと同じホームに海芝浦から折り返してきたクモハ12052が入線します。地上の線路からは横須賀線でしょうか15両編成の通過音が聞こえてきます。 1992年8月撮影
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#チンチン電車の日 なじみ深いのはやはり都電です。幼少時には渋谷駅前や万世橋あたりの電車を見ていました。今も残る荒川線。写真は変貌を遂げた早稲田電停です。 1978年11月撮影
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#旧型国電 #鶴見線 車掌の笛の音に続き客扉の閉まる音、それを確認して運転士がクモハ12を発車させます。マスコンとブレーキの操作が電車に連動して動いていきます。大川から武蔵白石までのひと駅です。 1992年8月撮影
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#名古屋鉄道 豊橋駅飯田線ホームの名鉄3400系です。荷扱いの関係のためか分かりませんが1番線ホームに入っていますね。 1981年11月撮影
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急行列車にはグリーン車が連結されるのは当たり前と感じる世代です。6、7両の編成にも1両はグリーン車がありました。優等列車として編成が締まる感じがしますね。画像は急行「丹後」のキロ28 2307です。 1992年11月撮影
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非電化時代の川越線川越駅。相鉄から直通電車が乗り入れるようになるとは思いもしませんでした。 1977年8月撮影
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#115系 身延線の旧型国電置換用に新製された115系2000番代。 折畳み高さの低いPS23形パンタも身延線では通用せず若干屋根を削った2600代のモハ114が特徴でした。当初の4連はクハの向きもちょっと変わっています。クモハ115-2008他の編成が西富士宮に憩います。 1981年8月撮影
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地平時代の奈良駅。中線に留置されているのは旧塗色時代の207系です。画一化された高架駅は個性がなく何処も似たような雰囲気になってしまい寂しく感じますが、利便性を考えると仕方ないのかもしれません。 2000年9月撮影
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#身延線 下り633Mは乗客の乗降が終わると出発していきました。 乗車した62系の630Mは電留線のクハ66001を横目に富士を目指します。 1981年6月撮影
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高曇りの日、山が見えて撮影には理想的な状態でした。早速、1/80スケール13mmゲージのセクションを外に持ち出してみました。 背景と一体化させるには撮影方向や画角が制限されてなかなか思うようにいきません。これは研究が必要なようです。
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#身延線 6月6日なのでクハ66の既出画像から。66002と66000です。同じ向きですが幌の有無がありますね。富士口では戦前型との併結運用がありましたが、貫通扉は使われていなかったはずです。幌は何故付いていたのでしょうか。 1980年8月、1981年6月撮影
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#身延線 635Mのクモハユニ44801。昔は多くの駅で荷扱いの風景を見ることができました。郵便も列車で運んでいましたね。こんな情景を模型で再現できたら良いなぁ。 1981年7月撮影
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ボンネット特急。すべて形式が異なります。 次のコマの巻き込みがあって酷い写真ですが、記念に。これが日常の情景だったのが懐かしい。 1976年5月撮影 #これを見た人はスリーショットを貼れ
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#都電 #東京タワー 父が遺した写真から、赤羽橋をゆく3系統です。 撮影日不詳