飯島明子 💉×6😷(@a_iijimaa1)さんの人気ツイート(新しい順)

「無闇に野草を食べない」。これに尽きます。 食べられる野草でも人によって耐性が違うことがある、という事例はこちらです。つらかったよう…。そして救急隊員の皆さん、救急外来の先生や看護師さん、本当にすみませんでした……。 togetter.com/li/1910795
ゴールデンカムイの影響か、ニリンソウを食べてみたいという人がいるようですが、地域によっては絶滅危惧種です。 東京都では準絶滅危惧。高尾山近辺の群落は人の手が入って保全されています。採取する前にその自治体のレッドリストは確認すべきです。
きのこは植物ではないが、仮にきのこに含まれるビタミンDを「植物性ビタミンD」と呼ぶとして、それは「動物性ビタミンD」や日光を浴びて体内で合成されるビタミンDと違いはあるのだろうか? いきなり「食の欧米化」が問題であるように書かれているけれど、それは本当? twitter.com/livedoornews/s…
蓄電池の歴史にも、電気自動車そのものにも、発電技術とその歴史にも、知識も関心もないのはよく分かるんだけれど、それなら何故、言及しようと思うのか。 twitter.com/levinassien/st…
人が銃撃されて亡くなったというのに、その葬儀の日に犯人の心情を描いた映画が公開され、大新聞が「監督の思いを聞きました」と提灯記事を書く。何故悪に悪を重ねるのか、全く理解できない。何の正当性もない。
めいろまさん、難儀だなぁ……。 私の母が癌になったときも、マクロビ勧めてきた人がいた。やり取りするのがものすごく面倒だった。大迷惑なんですよ、病人(とその家族)に自説を開陳する人って。
こういった「認知の歪み」は、程度の大小はあっても多くの人が持っていて、それが自分の生活に支障をきたすようになると治療した方が良いのではないかと思う。できるだけ持たない(程度が軽い)方が幸せに生きられる。仏教系の瞑想も、「認知の歪み」に気づくきっかけになるので心の平穏に役立つ。
10)個人化:学生が課題をやってこなかった。「まぁそういう学生もいるよね、注意はしておこう」ではなくて、「学生が課題をやってこないなんて、教師である私の責任…!」になってしまう。
9)レッテル貼り:ダイエット中にアイスを1個食べてしまった。「あー、やっちゃったな、明日からしばらく禁欲ね」ではなくて、「私は意志の弱い人間!」とレッテルを貼ってしまう。これにより、かえってダイエットの継続ができなくなったりする…。
8)すべき思考:これは例を挙げるまでもなく、自分に対して「〜すべき」と考えすぎると、辛さがどんどん増していく。暴君Should。私の中にもよく出現しやがります。
7)感情的決めつけ:「何もやる気が起きないけど、とりあえず立ってお皿1枚だけでも洗おうか」ではなく「何もやる気が起きないので、何もできない……」になってしまう。(この状態は本当に具合が悪いので、続くようなら病院へGo!)
6)拡大解釈と過小評価:会議に遅刻した時に「やってしまった、謝って次から気をつけよう」ではなく、「やってしまったぁぁ、これで私の評判はもう地の底まで落ちてしまった…orz」と失敗を巨大に拡大解釈してしまう。あるいは自分の仕事への貢献は芥子粒ほど小さい、と過小評価する。
5)結論の飛躍:最前列で居眠りしている学生を見た時に「疲れてるんだろうな」ではなくて「私の講義は退屈なんだ、寝ていない学生もきっと退屈しているに違いない!」と悲観する。(教師あるある💦)
4)マイナス化思考:仕事を褒められた時に「嬉しい!」と思うのではなく、「いや、お世辞に決まっている…」とか「今回はまぐれで上手く行っただけだ…」と思ってしまう。
3)心のフィルター:ツイッターで誰かが別の誰あにとても酷い言葉をぶつけているのを見て、「酷い奴っているもんだよね」ではなくて、「人間なんてこんなものだ、みんな残酷なんだ」と思ってしまう。リアルで自分に酷い言葉をぶつけた人なんて半年以上見ていないのに。
2)一般化のしすぎ:「勇気を奮ってデートに誘ったけど断られた。まぁこういう時もあるよね、別の日にまた誘ってみよう!」ではなくて、「きっと嫌われてるんだ、これが私の運命なんだ、誰も私と付き合いたくないんだ、生涯孤独に過ごすしかないんだ…」になっちゃう。
鬱を引き起こす10種類の「認知の歪み」は以下の通り(バーンズ著『いやな気分よ さようなら 自分で学ぶ「抑うつ」克服法』星和書店、1990より)。 1)全か無か思考:「遅刻しちゃった!たまにはこんなこともあるよね」ではなくて、「遅刻してしまった…!私は完全にダメな奴だ…!」
鬱状態のときに受けた認知療法によれば、「感情は全て”認知”(物事の受け止め方・考え)により作られる」。そして鬱状態のときには誰でも「悪い方向ばかりで物を考える」が、その多くは不合理な思い込み(「認知の歪み」)であり、これを正すことは可能である。
「認知の歪み」という言葉を、「性格が悪い(酷薄・卑怯・自己中等)」の意味で使う人が最近とても多い気がする。認知療法における「認知の歪み」は、そういう概念ではないのだが…。
自然環境に関心を持ちはじめた人が、「何かをしたくなる」のは心情的に分かる気がする。関心を持ったその時に、「やってはいけないこと」「やった方が良いこと」が何か、専門的な知識を持つ人に訊けるようにするには、どうしたら良いのだろう。
どんなに性格が悪くて現状認識が間違っていてデマ発言が多い人間でも、四六時中間違ったことばかり言っているわけではなく、稀にマトモなことを言う場合もある。だが全体としてダメな言動が多いのであれば、わざわざその人の(わずかな)良い点を探す必要はない。まるっと無視するのが吉。
原子力の平和利用への長年の願い、化石燃料の大量消費への強い危機感、増加する一方の電力需要から原子力発電は生まれた。核兵器と原発を一緒くたに考えることに、私は心底から反対する。
うわー!アーネスト・シャクルトンのエンデュアランス号が南極で見つかった! bbc.com/news/science-e…
清水氏のこのツイートにはまったく賛成できない。「津波が来ている時に役場の職員は危険を犯して最後まで残れ」と言っているようなものではないのか。大使館員も人間である。彼らの身の安全を望んでやまない。 twitter.com/yuko_yuko/stat…
フクロウ、こんな痕が残るのか。音もなく飛来して足を繰り出し、雪の下にいるネズミを捕らえて飛び去った痕跡。 twitter.com/Rainmaker1973/…