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当時は6㎜BB弾が主流になっていましたが、まだ7㎜鼓弾を使い続けていた人がいたんです…同じ部隊内で隣の奴の弾の貸し借りできないなんて、そんな不便な事はありません。実際の戦場で、その様な出来事があったかは知りませんが…日本軍をえがいた有名な戦場漫画で拝見したシーンの様でしたね…
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人は妙な事を思い付く事があります…撃たれた箇所が使えなくなるサバゲーと言うものをしたことがある。余興的なものだったので勝ち負けを拘らない楽しいゲームだった。例えば右手を撃たれたら左手で銃を扱うと言う感じです。自分は、いきなり頭を撃たれてしまったのでアホのふりをしていた記憶がある…
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「拳銃は15mも離れると当たらないからライフルも持って来た」十代の頃に森の中で戦争ゴッコしている時に来た警官に言われた事…その時、辺りを確認するとパトカーに肘をついて此方に狙いをつけてる警官がいた。付近住民の方に説明してから遊びなさいと叱られた。拳銃は戦場で役立つかの話で思い出す…
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行軍時の先頭は弾に当たったり地雷を踏む確率が高い。最後尾は捕虜になりやすい。真ん中くらいが良いぞ。と言う話を聞いた事がある…本日、新隣組長顔合わせ会が開催される。古いしきたりが根強く残っているので行軍時のお話を参考に善処して行こうかと思っております。
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TLで天皇陛下万歳!と言って戦死した方が多数いたと考えると仰っていた方を拝見したが…たまたまかもしれないが自分が聞いた話では殆んどなかった。何か言い残すのではなく…胸を撃たれてスゲー痛くて拳銃を取り出して自決しようとしたとかもっと生々しかった…
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自分の持っている物を会う度に「譲ってくれ、それがあれば揃うんだよ」と言ってくる方がいた。熱意に負けて買った値段でお譲りした。その後骨董市で会って…「あれ、処分した、売っちゃった」とさらりと言われた。売ったら他人の私有物どうこうは言えない。だけど市で手斧が売ってなくて良かったと思う
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山道なんだけど前に大型トラックが停まっていて道をふさいでいる。窓から顔をだし「どうしたんです?」と聞いてみる。「故障です。すみません」と返ってきた。映画「野生の証明」で似たようなシーンがあったなと思う…車から降りて近付くと小銃で撃たれちゃうんだよなあ…バックして迂回するか…
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焚き火で思い出したのだが真冬のドヤ街で木材を燃やし暖をとっていたおっちゃんが居た。寒いので自分もあたりに行ったら暖房代として500円を支払うように言われた事がある。所謂しのぎなんですが何も無い所から考えてお金を生み出す仕組を学びました。因みに50円まで値切り倒して火にあたりました。
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TLで日本兵が火炎放射器でトーチカを攻撃している絵画を拝見した。米軍の火炎放射器で焼かれる日本兵の印象の方が強いと感じられる方が多いかもしれないが日本軍は火炎放射器の有効性に気付き意外と早くから装備している。独り言なんで気にせんで下さい…
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実際にこの様な状況を目撃した事が御座います。ヒットマンは包丁でしたがタオルを巻いて手に包丁を固定し腰だめで突進してきました。狙われた方は警棒は持ってませんでしたが両手で受けとめて腕を持ってしまい押さえていました。押さえた後も暴漢が何回も刺そうとして手を振っていたのが怖かったです twitter.com/bodetan/status…
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寝覚めの良い音「機械音」
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日本軍の陶製手榴弾をミリタリー物販で「幸運を呼ぶ陶製手榴弾だよ」と言って販売したことがあるが霊感商法の壺ぽかったなあ…気を付けよう。
だけど一個も売れなくて「お洒落な一輪挿し花瓶だよ」に変更したら売れ始めたんだよなぁ…
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三八式歩兵銃が大活躍する物語りは色々とあり自分も好きな小銃でありますが四四式騎銃も中々格好良いと思います。
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以前御聞きしてスゲーなと思ったお話です。暗夜の戦闘中に軽機手から「軽機故障!」(十一年式軽機が射撃不能になった)の怒鳴り声。其を聞いた少尉が「直せ!」の命令。しばらくすると暗闇の中で携帯天幕をバサっとひろげる音がし続いて軽機をばらすであろう金属音がカチャカチャと聞こえてきた…続く
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映画「硫黄島からの手紙」で日本軍将兵が自軍の小銃の事を「ライフル」と呼んでいて、とても驚いた記憶がある。その時に友人が一般の人は、それでないと理解できないのだよと説明してくれて二度びっくりしました。なので本日「小銃とはハンドガンのことですか?」と質問されても冷静に対応できました…
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続き…班長、教官は殴られながら「かんべんしてくれ!」て言っていたが「あんたと同じくらいの少年の時だよ、とまらななかったね…」と仰っていた。自分は話の内容よりその時の店主の目付きが忘れられず…其以来、お店から足が遠退きました。もう、お亡くなりになっていると思います。
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予科練の記事を拝見すると十代の時に聞いた予科練帰りの骨董店店主の話を思い出す。終戦直後の話である。やたらと殴った班長、教官を皆で取り囲んで殴りまくったそうだ。真っ赤になって動かなくなったところで皆で御神輿の様に担いで海に放り投げた。その後はどうなったかは知らんと言われた…続く
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子供の頃、聞いた話であるが…親の実家の近くに戦闘機や重爆を製造していた軍需工場があり警備の為憲兵隊の分遣隊が駐屯していたそうだ。やたら殴るは威張りちらすで住民はうんざりしていたそうですが誰も口答えさえできなかった。やはり、戦後直ぐに住民の不満が爆発し屯所を焼き討ちに行った…続く
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続く…そうです。普通の一軒家くらいの屯所(戦後は刑務所の仮留置場として使用)だったので憲兵を逃がさない様に住民が取囲んだ。押し入ったら中はもぬけの殻、逃げた後だった。その話を聞いた何十年か後に友人の旧軍コレクターから憲兵腕章の実物を見せて頂いた。裏の部隊印がその憲兵隊の物であった…
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憲兵腕章の実物は少ないです。戦後、処分されたのではないかと思います。本物と言われている物のなかには戦後作られた精密複製が意外とあります。自分も判断がつかないものがあります。友人のはお話しした憲兵隊の印がありましたので実物間違い無しであります。自分は複雑な気分でありました…
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軍需工場の班長さんが憲兵にビンタをとられてるのを見た方からお話しを伺った事がある。米軍の空襲があり班長が先頭して班員を防空壕に避難させたそうだ。班長が外を伺うとB29が墜落してくるのが見えた。班長は友軍機がやってくれたんだと思い…爆撃中にもかかわらず感極まって壕から飛び出し…続く