tenpelon(@tenpelon)さんの人気ツイート(古い順)

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北村昌士氏によるクレイジー・キャッツのレビュー。「この事を見抜いたナベプロは日本のマルコム・マクラレンというほかない」
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サワキカスミさんのUKエジソンの社長の話も酷いけど、北村さんがフールズメイトから離れて行ったのもこの社長のせいだったみたい。今更ながらエジソンにいっぱいお金落としたのがなんか悔しい。
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じゃがたらのライブを見に行った蛭子能収。それを漫画に「ヤクザみたいだなぁ」と書いたら後日、江戸アケミから電話がかかってきた…。
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92年の宝島に掲載の新宿西口のレコ屋事情。この頃はあまり行かなくなっていたけど、よく行っていたのはやはりUKエジソン、ヴィニール・ジャパンとか辺りかな。ラフ・トレードショップは一回だけしか行かなかった記憶。
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81年、アナーキー、マリさんとジャパンのスティーブ・ジャンセンという意外な取り合わせ。アナーキーがロンドンのクラブでライブを演った時に見に来たらしいです。アナーキーの1st、いつの間にか無くなってしまったな。マリさんのご冥福をお祈りいたします。
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戸川純ワンマンでのMC、戸川純が好きな映画、鬼龍院花子の生涯。テレビでドラマ化されることになった時、梶芽衣子が当時新人だった戸川純をキャスティングするなら自分も出ても良いと条件を出したそう。戸川純は嬉しくて周りに言いふらしていたら、事務所の力により他の人がやることになったと…
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Phew 1st アルバム録音時、コニーズ・スタジオでのホルガー・シューカイとPhewさん。2人の表情を見ると何か張り詰めた空気が漂っている気が。Phewさんによるとホルガー・シューカイはよく喋る、社交家とのこと。
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RTした戸川純の話、2001年のインタビューでも話してる。ユーミン、中島みゆきを断ったら予算カットで鈴木慶一プロデュースも無し。自分でやるという事で、ハルメンズのサエキさんがボツになった曲や既発の曲でも闇から闇に葬り去られるより戸川純に歌ってもらった方が良いと曲を提供してくれた。
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知らない人が見たら、ライブ会場に乱入して来たテロリストが会場を征圧している様といった感じの法政大でのギズム。
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戸川純の家に遊びに行った、まだ、メシ喰うなをリリースする前の町蔵。戸川純のレコード棚を見ていた町蔵が矢野顕子の「ごはんができたよ」を見つけて、「これ、わいの嫌いなやつや!」。これのアンチとしてINUのアルバムはメシ喰うなになったとか。 twitter.com/ddt8976/status…
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宝島、ロッカーズ1983のレコード紹介コーナー。縦軸にリリース年代順に並べた中でこの2枚をちょうど左右に持って来るのって、狙ってませんかね?
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遠藤賢司さんで思い浮かぶのは猫。猫グッズに囲まれた自宅で猫と遊ぶ遠藤賢司さん。
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「寝図美よこれが太平洋だ」の寝図美。当時の彼女の猫の名前がフランソワで、それは勘弁してくれと。寝てる姿が図々しくて美しかったからと改名。写真は実際に寝図美を鎌倉に連れて行ったけど腰を抜かしてしまった時の様子だそうです。この後、寝図美は細野晴臣さん家に嫁入りしたそうです。
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FRICTIONのRECKによる77年頃のニューヨークの状況。 「NYって村みたいだよな。下の方はヴィレッジって名前があるくらいだから。えらい狭いとこだよね…CBGBが高円寺にあるとすると、マクシス・カンザス・シティは阿佐ヶ谷くらいのとこにあるわけだから…」
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法政大でのINUのライブを見た戸川純に「いい男なのにパンクやってるなんてずるいわよ」と言われ、友人づてにそれを聞いた18才の頃の町蔵、当時の彼女に「わいは、男前で通ってるんやで」 気を良くした町蔵は友人と戸川純の家を訪れた。
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桜にスロッビング、 巷の混乱にグリッスル この時期になるといつも思い出す。 春の狂気を感じさせる名コピーだな。
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デビューした頃の戸川純。Y.AさんやM.Yさんには毛嫌いされていた。理解してくれたのはサンディー&サンセッツのサンディーさんぐらい。町田町蔵がY.Aさんのアルバムタイトルにアンチして「メシ喰うな」と聞いた。 戸川純、デビュー当時、悲壮な気持ちで活動していたのが窺い知れる辛い話。
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随分と反響をいただいたので、元ネタは2012年発行の雑誌エレキング(vol.5.6)に掲載された戸川純の連載記事「ピーポー&メイ」より。 ここで耳寄りな話。 この連載記事を一冊に纏めた本が出るみたいです。この間のバースデーライブで戸川純が言っていました。後、二人分書き下ろしたら原稿が揃うそう twitter.com/tenpelon/statu…
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ロッキン・オン、レコードレビューの悪しき例。レコードとは関係ない話しを前振りの体を装いながら延々と続け文字数を稼ぐ。まあ、ロッキン・オンてこういうスタイルだからいいんだけど、それにしてもベンがワット出たら…。しかもレビューされてる方がかなり綺麗な人で編集部内では衝撃だったとか。
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70年代のNYパンクのムープメントについて語るトム・ヴァーライン、87年のインタビュー。 「誰かがシーンが発生したかのように書き立てたのが幻想の始まり。本当は色んなバンドが出るCBGBてクラブがあっただけ」「同胞意識なんてのは存在しなかった」
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83年のPIL初来日時のジョン・ライドン、観客についてのインタビュー。 「東京はひどかった。洗練されていないくせに、洗練されたふりをしている。東京以外は良かった。特に名古屋」
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小川アナって、鬱々としてる日にはあえてザ・スミスを聴いているそうです。#news23
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81年放送。スロッビング・グリッスルが日本のラジオ用に作った20分程の番組。メンバー4人が各々好きな曲をかける内容。丁度日本で20Jazz Funk Greatsが発売される時だったのでプロモーションの意味合いもあったのかも。そのうち削除するので聞きたい方は早めにどうぞ。 soundcloud.com/tenpelon/throb…
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長らくカセットの再生環境が無かったので安いラジカセを購入。久しぶりにカセットを色々物色してたら何も書かれていない茶封筒。 中見たらP-Modelの埼玉県動説という印刷物にチケットとカセット。何処にも年号の記載がないので日付、曜日から推察して86年のライブ。その時に配られたカセットのよう。
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自宅で猫と遊ぶ町田康さん。 「犬や猫を飼うということは飼主の持物になる事ではない。たまたま家に居る命。家に居る以上、犬猫は自立して生活出来ないからこちらが一つの命を預かっている。預かっている以上利息を付けて返さねばならない。それは犬猫の健康で幸せな生活を全うさせること」09年放送