昔の特撮映画でも「ミニチュアセット丸出しと笑っていたが、怪獣が立っていないだけの同じミニチュアセットを実景と誤認していた。怪獣というキグルミか人形でしか存在し得ないモノを見て判断できてただけ」ということはあった。
シン仮面ライダーのVFXについて「安っぽいCGだと思ってたのにメイキング見たら気づいてなかったところがCGだった」という意見がたくさん流れてきた。 これ、結局我々は「CGがなければ撮影できないと分かりきってるシーン」を指して「安っぽい」と言ってただけなんだろうな。
いや『電光超人グリッドマン』は近年掘り起こされた結果「根強い人気を持っていたことになった」だけで2000年代には忘れられてたよ。
「ビートルズや手塚が焼かれたことを知らない世代」の件、無知が怖いというより「権威」の怖さを感じる。今は権威となってしまったから「手塚漫画が焼かれるはずはない」「ビートルズを焼いたのは『愚かな』上の世代」という認知になっちゃってる。彼らは権威なき物なら平気で焼けるのかも知れない。
トリガーと逆の構造だな。 「自分はトリガーの力を借りてると思ってたらトリガー自身だった」 「自分がデッカーだと思っていたがそれはデッカー本人の身代わりだった」 #ウルトラマンデッカー
この番組の構造的な欠陥「どうやったらゴールなのかわからない」をネタにしてきやがった。 #ドンブラザーズ
ビッグ・オーとは、桑田次郎が描いたみたいなキャラクターが石森章太郎が描いたような顔したマッハバロンみたいなプロポーションのロボに乗り込み、レッドバロンに出てきそうなロボと戦う物語である。 あとモブと背景美術はバットマンTAS。
仮面ライダーは色々としがらみがある番組になってきたのでスピンオフもプレバン限定も多すぎるフォームも多すぎるライダーもおかしな展開もシリーズの運営自体が破綻するまで続くんだろうなと諦観している。
件の番組見てないからわからんけどジェンダーフリーは女の子が怪獣の人形で遊んでようが男の子が着せ替え人形で遊んでようが咎めないことであって、わざわざ怪獣を女の子に売り込んだり着せ替え人形を男の子に売り込むことではない。
どれだったか思い出せないが、円谷プロのウルトラ関係企画書の中に「ウルトラマンは作れば絶対受ける(のに休眠しているのは予算がべらぼうにかかるから)」という文面があったが、ニュージェネの歴史は「作れば絶対受けるウルトラマンを低予算で作るノウハウ蓄積の歴史」だったかもしれない。
渡辺裕之というと、ガイア当時の宇宙船インタビューでのノリノリっぷりが印象深い。 「僕は時期さえ合えばウルトラマンになるはずの役者だったんですよ」まではリップサービスと受け取れたが「この衣装は謎の円盤UFOのストライカー司令官を意識しました」で本気度を理解した。
ガンプラが手に入らないなら他のプラモ買えばいいもそうだし、マイメロママが発売中止になったら他のマイメログッズ買えもそうだけど、キャラクタービジネスの本質がわかってない。 見てないアニメの知らんキャラのおもちゃ買う我々こそが狂人であり、常人は目当てのキャラクターの商品が欲しいのだ。
そういやついこないだまで「我が国ではデブは自己管理管理ができないやつなので出世できないでーす」とかやってた国が「デブをスーパーヒーローにするのが政治的に正しいのでーす」ってやってるんだな……
なぜスーパー戦隊の人気低下が時間帯変更の影響ではないかと言われてるかというと視聴率という数字の話でなくて「日曜日の子供がいつまでおうちにいるのか」という話です。これは放送時間が遅くなるほど不利です。
特撮作品が次々庵野監督にすがるの、「あ、これ数年前にキッズアニメが次々レベルファイブにすがったやつみたいな流れだ」とか言いづらい雰囲気。
日本人は子供の頃から「暴動を起こすとデビルマンに焼かれたりガイアー呼ばれたりなんだかんだあって人類が滅びる」と学ばされてるんですよ。
実は、首相が強権をふるわない(ふるえない)ことを前提に「僕たち一人一人が頑張らなきゃいけないんだ」っていう方向の報道や論調になると思ってたのに「緊急事態宣言出せ。強権ふるえ」「国が決めてくれないとどうしたらいいかわからない」って話ばっか出てきてちょっと驚いてる。